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取引情報
境界線を曖昧にする ケアとコミュニティの関係を耕す
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2025年9月25日
- 書店発売日
- 2025年9月19日
- 登録日
- 2025年7月3日
- 最終更新日
- 2025年10月10日
書評掲載情報
| 2025-10-30 | 月刊ケアマネジメント 2025年11月号(通巻411号) |
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重版情報
| 2刷 | 出来予定日: 2025-10-25 |
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紹介
《一人ひとりが望む健康な暮らしを実現するには、「医療・福祉」と「人」と「まち」のあいだにどんな「つながり」が必要なのだろうか――。「医療・福祉の専門職」と「まちの一住民」という二つの視点を往復し、人と人との「つながり」のかたちを模索しながら訪問看護ステーションやコミュニティカフェを運営してきた理学療法士の実践と思考の記録》
二つの総合病院と訪問看護ステーションに勤務した著者は、医療の閉鎖性やパターナリズム(父権主義)に違和感を抱き、32歳で起業。医療と患者、医療と地域のより良い関係を目指し、東京都府中市を拠点に、訪問看護ステーションとコミュニティカフェの運営に乗り出した。
〈医療者に対する患者の遠慮が医療の世界をより一層閉鎖的にしていることを考えれば、病院などの医療機関が中心となって取り組んでも大きな変化は起こらないのでは?〉
〈医療と患者、医療と地域のあいだにある壁や関係の偏りを解消するためには、医療や福祉の専門職がまず白衣等のユニフォームを脱ぎ、お互いがまちで暮らす一住民として出会うことからはじめる必要があるのでは?〉
〈医療や福祉の視点でまちを見ることと、まちからの視点で医療や福祉を見ることを日常的に行き来すれば、それぞれが抱える課題がもっとリアルに見えてくるのでは?〉
――そんな仮説に基づき、「医療」と「暮らし」という二つの軸による事業を展開して10年。医療・福祉領域では新たに居宅介護支援事業も手がけるようになり、コミュニティ事業は近隣の空きアパート2棟へと拠点を広げた。この一帯とそこでの活動は「たまれ」と呼ばれ、アート、食、教育、子育てなど、多様なテーマの仕事や活動が多世代によって営まれている。
著者初の著作となる本書では、起業当初に直面した資金繰りの悪化やマネジメントの混乱などを経て、地域の人たちとの関わりを深めながら「場」が自走していくプロセスや、医療・福祉と地域住民との「関わりしろ」をつくってきたことが力を発揮したコロナ禍での取り組みなど、著者と仲間たちが格闘してきた軌跡を振り返る。また、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を患う母やアルコール依存症の父との関係についても率直に綴り、「医療・福祉」と「人」と「まち」の「つながり」のかたちを問い直している。
【本書より】
僕たち医療や福祉の専門職の多くは、「目の前に困ってる人がいるなら、すぐに解決してあげなきゃ」と思う癖がついてるし、たくさんの「科学的に正しい選択肢」を持っている。でも、それってあくまでも医療というフィールドでの正しさであって、その人の人生の中での正しさとは限らない。だからこそ、「ゆらぎ」の視点が大事になる。そして「ゆとり」を持って関われることが、相手にとっての、その瞬間における答えを一緒に見つけていく上で欠かせないんだと思う。(第5章「弱く、淡く、ゆるやかなつながりの確かさ」より)
目次
まえがき
第1章 まちと溶け合う訪問看護ステーション、誕生
訪問看護ステーションとカフェで「地域の空気を変える」
医療の魔法が解けた瞬間
白衣を脱いで、まちへ出よう
理学療法士が起業するには
訪問看護とスペシャルティコーヒー
第2章 おだやかならざる日々
マネジメント迷走録
母に降りかかった「死の宣告」
夢見る力と命の選択
[コラム] 父とアルコール依存
第3章 医療とさりげなく隣り合うコミュニティ
まちのセカンドリビング「フラットスタンド」
2拠点でのコミュニティ運営――「たまれ」という名の村づくり
[コラム] 「たまれ万博」という風景
隣町でコーヒーを手渡す――旧国立駅舎プロジェクトという実験
駅ナカスペース「武蔵野台商店」のはじまりと終わり
第4章 暮らしと医療の境界線をめぐって
コロナと暮らしと在宅医療――あのとき僕らは
インタビュー
医療から暮らしへ、暮らしから医療へ――それぞれの関わり方
[コラム] 専門性と市民性――介護予防の現場から
第5章 弱く、淡く、ゆるやかなつながりの確かさ
「わかりあえない」からはじまるコミュニケーション
「つながり」への違和感
「つながり」を時間軸で考える
たゆたう「つながり」――ただ、共にある関係
引用・参考文献
あとがき
前書きなど
この本は、「一人ひとりが望む健康な暮らしを送るためには、医療や福祉と僕たちの暮らしのあいだにどのような『つながり』が必要なのだろうか」という問いに対する取り組みと思考の記録だ。
2006年、理学療法士としてのキャリアをスタートさせたばかりの僕は、勤務先の病院で経験した、あるできごとがきっかけで、医療者と患者のあいだには見えない壁のようなものがあるのではないかという考えを抱くようになった。それは、医療者として働きはじめたばかりの僕に、大きな違和感というより、医療への不信感や不安感すら抱かせるような経験だった。
それ以来、僕の関心は「医療と患者」「医療と地域」「人と人」といった〝〇〇と〇〇〟のあいだに引かれた境界線に向くようになった。「と」で引かれた境界線に、どんな「つながり」があれば、一人ひとりが望む「いい感じ」の暮らしが実現するのか。そんなことばかり考えるようになり、気づいたら会社を立ち上げていた。
僕が代表を務める株式会社シンクハピネスでは、東京都府中市を拠点として二つの事業を行っている。一つは訪問看護ステーション、居宅介護支援事業所という医療や福祉の事業で、もう一つはカフェや空きアパートを使って場づくりを行うコミュニティの事業。カフェに隣接する2棟のアパートは築40年を超えていて、10年前まではほぼ空き家だった。いまでは、アート、食、教育、子育てなどのいろんなテーマと多世代が集まり、お菓子や銅版画のアトリエ、大学生が運営する中高生の学びの場、文房具メーカー、八百屋など、さまざまな仕事や活動が営まれている。僕らは、この一帯と活動そのものを「たまれ」と呼んでいる。そして、医療と暮らしという二つの軸で、まちで暮らす人たちと一緒にさまざまな取り組みをしながら、医療と患者、医療と地域、人と人との「いい感じ」な関係を模索している。
会社を立ち上げてからの10年のあいだに、たくさんの「つながり」を経験してきた。医療と暮らしという文脈で活動をしてきたことで、地域の医療機関や行政、教育機関、そこで暮らす人たちなどと関わりを持ったり、海外から視察や研修で来てくれる企業もあったり、鉄道会社と一緒にカフェを立ち上げたりなど、さまざまな「つながり」を持ってきた。そうした経験を積み重ねた結果、僕の医療に対する違和感は少しずつ解消され、手の届く範囲の空気は確実に変わってきている。
そのプロセスで見えてきたのは、どうやら「ゆるいつながり」というものが、僕の違和感を解消するための手がかりになりそうだということだ。「人とまち」と「医療や福祉」のあいだに「ゆるいつながり」を育むことで、「いい感じ」な関係が生まれる。「いい感じ」とは何かについては本文で詳しく書いているが、この関係こそ、それぞれが望む健康な暮らしを送ることと大きく関わっていると考えるようになった。
「つながり」は非常に抽象的な言葉だ。にもかかわらず、「つながりをつくる」という言葉が近年よく使われるようになっている。この言葉に、ちょっとひっかかりを覚える人もいるかもしれない。もしそうなら、その正体を一緒に探してみようと思って、この本を書いた。逆に、「つながり」という言葉を普段から何の違和感もなく使っている人にとっては、いつもとは少し違う角度からその意味を見つめ直せる本になっていればいいなと思う。
僕はというと、少し前までは、どちらかといえば後者だった。「つながり」という言葉を使っておけば、なんとなくいいことを言ってる感じがして、ちょっと高尚な人間になれたような気がしていた時期もあった。でも、いまは全く逆で、いつの間にか「つながり」という言葉を目にしたり耳にしたりするたびに敏感に反応し、頭の中がフル回転するようになっている。
幼少期に何かがあったのか、もともとそのような性格なのかはわからないけれど、僕は目の前の誰かやその周りの人たちに心地よくいてほしいという気持ちがかなり強い。たぶんそれは、僕自身を誰かに受け入れてもらいたいという気持ちの裏返しで、相手がどんな人でどんな状況だろうと、「理学療法士の糟谷」や「コミュニティ運営者の糟谷」として相手に近づこうとしていた。とにかく、相手が「いま」「ここで」心地よくいてくれればそれでいい。そんな、表面的な「つながり」を持つことで自分が満足していた。
でも、そのたびに自分が何者かわからなくなって、僕は窮屈になっていく。その感覚は、相手の価値を覗かずに、僕が気持ちよくなるために相手に入り込んでいるがゆえに生じるものだったと思う。だからこそ、自分の思うような反応が返ってこないときは「おかしいな」と感じ、自分が思っていたような反応が返ってきたときは満足するわけで、「ただの自己満足じゃん」と言われても仕方ないことをしていたことに気づいた。
だから、この本では僕と、僕に関わってくれた人たちの10年にわたるあれこれを振り返りながら、「つながり」を三つの角度から考えてみようと思った。一つ目は僕自身がこれまで築いてきた「医療や福祉」と「人とまち」の活動において、どんな「つながり」が生まれているのかを明らかにし、新しい意味づけをしてみたい。二つ目は「そもそも『つながり』ってなんだろうか」ということを皆さんと一緒に考えるための問いを示してみたい。三つ目は、それぞれが望む暮らしを送るためには、「人とまち」と「医療と福祉」のあいだに、どんな「つながり」があればいいのか、そのためにはどんな「関わり」をすればいいのかを考えたい。そんな思いで書き進めてみた。
第1章では、医療の現場で感じた「医療と患者」、地域で感じた「医療と暮らし」の関
係性への違和感から、理学療法士としての専門性と一住民としての視点を行き来する場をつくるために起業するまでのエピソードを書いた。人と人が自然につながれる関係を目指しながら、訪問看護を通じて「医療と暮らし」の境界をゆるやかにし、コーヒーや対話を入口に、「医療と暮らし」のあいだに「いい感じの関わり」を生み出す実践を紹介する。
第2章では、起業直後の訪問看護ステーションで理想を掲げながら少しずつ前に進む一方で、スタッフの相次ぐ退職や、思うようにいかないマネジメントに直面した経験を綴った。僕自身が「代表とは何か」を模索していた時期だ。そんな中、母が筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断され、父のアルコール依存症とも向き合うことになる。専門職として、そして息子として、揺れ動く気持ちを抱えながら、家族という関係性についても考えている。
第3章では、コミュニティカフェ「the town stand FLAT」(通称・フラットスタンド)
がオープンしてからの日々を描いた。コーヒーを淹れたり、イベントを開いたりしながら、そこを訪れる人や地域の人たちとの関わりを、少しずつ模索していた時期だ。僕らが主役にならないこと。押しつけにならないこと。何かをしなくても、ただそこにいるだけでよくて、「また来ようかな」と思ってもらえる関係って、どんなものだろう? そんな関わりを丁寧に重ねていく中で、僕らの取り組みは、隣町や駅ナカにも広がっていった。
第4章では、「医療と暮らし」の境界線が予期せぬできごとによって崩されたり、ある
いは意図的に崩したりしたエピソードを書いた。前者では、コロナ禍という有事の中で、僕たちがどんなふうに動いてきたのかを振り返っている。後者については3人の方をインタビューし、医療から暮らしへ、暮らしから医療へという双方からのアプローチを紹介した。
第5章では、人と人のあいだにある「つながり」を、無理に「正しさ」で結びつけるのではなく、「待つこと」や「ただ『いる』こと」を大切にしながら築いていくプロセスを書いた。僕の過去の反省や現場での経験をもとに、相手との距離感やコミュニケーションのあり方を見直した。社会デザインや「ゆらぎ・ゆだね・ゆとり」の視点も取り入れながら、人と人との「いい感じ」な関係を模索している。
皆さんと誰かの、そしてケアとコミュニティの関わりが「いい感じ」になることを心から期待して、この本を手渡したい。
版元から一言
医療者と患者の関係や、医療における暮らしの視点の欠如といった課題の本質は、患者が病院にかかる前の「地域」や「日常」に潜んでいる――。会社経営の知識は皆無に等しいものの「理想とする社会像だけは自分の中に持っていた」という著者が、七転び八起きの末に自らの仮説を実証していく道のりには説得力があります。
その一方で、「人とコミュニケーションをとることが苦手」だといい、失敗を重ねながらも「関係の距離感」や「つながりのかたち」をつかんでいく姿には、多くの方が共感してくださるのではないかと思います。
医療や福祉の関係者はもちろん、まちづくりや場づくりに関わる方、社会デザインやソーシャルビジネスに関心のある方、コミュニケーションのあり方を問い直してみたい方など、多くの読者とめぐり合えることを願っております。
上記内容は本書刊行時のものです。





