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「国体」とは何か
教育勅語から八紘一宇まで
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2026年4月2日
- 書店発売日
- 2026年4月6日
- 登録日
- 2026年2月26日
- 最終更新日
- 2026年4月7日
紹介
いま、〈魔力〉の源泉を解き明かす
教育勅語に盛り込まれた「国体の精華」の精神。それは半世紀近くを経て、戦争遂行のうえでもっとも強力な観念となった。「国体」の核心をなす八紘一宇などの理念が、いかに愛国・敵愾心を極限まで高めていったかを追究する。
目次
はじめに
Ⅰ 「国体」はどのように広まり、定着したのか 29
1 「国体の精華」の登場―一八九〇年代・一九〇〇年代
2 「国体」不可侵性の進行と異論・抗論―一九一〇年代
3 「国体」観の広まり―一九二〇年代
4 「国体観念」涵養の高唱と空転―一九二〇年代末・一九三〇年代前半
5 天皇機関説排撃から「国体明徴」へ―一九三五年
Ⅱ 「国体」の魔力はどのように発揮・発散されたのか
1 「国体」の氾濫と席捲
2 教学錬成から皇国民教育へ
3 思想戦の跳梁
4 「八紘一宇」の旋風
5 日本法理研究会と「大東亜法秩序」
Ⅲ 「国体」は変わったのか、変わらなかったのか
おわりに
あとがき
参考文献
人名索引
事項索引
前書きなど
はじめに(抜粋)
●「おっかないですよ」から「恐怖観念」へ
治安維持法による検挙者数は日本国内と植民地朝鮮・台湾を合わせると、最小限でも一〇万人に達する。日本近代史上、「法の暴力」が最大限に発揮されたこの治安維持法を一般の人々はどのように受け止めていたのだろうか。
「笑い乍ら頭に入り易い法律百般問題」をかかげ、「法律の常識化」をめざした品川潤二『法律から生れた小説』(一九二七年)では、最後の項で「普選と治安維持法」が取り上げられた。治安維持法について「吾等にはあまり関係のない問題ですが、安寧秩序を乱すような行動、またはそれに類したことをした時は、従来よりも罪が重いのです。例えば共産主義を宣伝したり実行しようとすると、今迄は禁錮二年位のものでしたが、今度は七年になったのです。こういうことは吾等はする筈はありませんが、一応はこういう法律があるということ位は心得ておかなくてはなるまいかと思います」と記している。不正確なところはあるが、まだ本格的な運用がはじまらない段階で、「安寧秩序を乱すような行動」とは無縁な「吾等にはあまり関係のない問題」としつつ、「心得ておかなくてはならない」ものとする。
鉄道従業員向けに書かれた法制時報社編『鉄道常識読本』(一九三〇年)では「現行法制と社会思想」の項で治安維持法などについて解説したうえで、「かく社会主義実現の方法として、暴力―革命手段―は禁ぜられ、治安維持法によって、国体及び私有財産制度の根本的否認は禁止さる。残された道は、国家及び私有財産制度を是認し、合法的に、漸次〔次第〕にその欠陥を改良して行くことである」とする。三二年刊の法制時報社編『第二 社会常識読本』には「現在の国家制度・社会制度に於ては、共産党運動は、国家社会の基礎を動揺せしめる〔させる〕ところの、重大なる犯罪行為である」とあった。このように一般向けの「常識読本」の立場は治安維持法による取締を肯定するものといえよう。これらからは「国体」への畏怖や恭順というニュアンスこそ読みとれないが、「国体」に対する信奉と崇敬の念はあった。
三六年刊の東亜書房編輯局編『人生百課事典 常識読本』では「字義通り、治安を維持するための法律です。国体を維持することは、日本人の絶対的義務であり、私有財産を尊重することは、現在の社会の秩序幸福を維持する上に重要なことです」とし、「シンパ(支援)の行動をなしたものも五ヶ年以下の懲役に処する旨の法律に明記してありますから、おっかないですよ」という一節もあった。ここも不正確なところはあるが、治安維持法は「現在の社会の秩序幸福を維持する」ために必要なものと肯定される。一方、「おっかないですよ」というところに、人々にとって近寄りがたい、無気味な存在であったことが想像できる。
「尊皇」「臣道」などについて講述する石山正夫『皇国民読本』(一九四〇年一月)には、「世情不安の気流は日に日に遍ねし〔広がり〕、加うるに苛酷なる治安維持法の実施は、民心をして徒らに恐怖観念を助長せしめ、遂いに恒常天授の公徳を失却して社会は滔々として〔限りなく〕悪化し、そのとどまるところを知らざらんとす」という、「皇恩〔天皇へのご恩〕に感咽ぶつつ」書かれた本にしては似つかわしくない文章があった。しかもこの部分が五月刊の「訂再版」では削除されるという不可解さもある。それにしても一九四〇年時点で治安維持法の苛酷な運用が民心に「徒らに恐怖観念を助長せしめ」ていると観測されていた点は興味深い。さきほどの「おっかないですよ」が、より昂進したものになっている。
治安維持法を「おっかない」とみるだけでなく「恐怖観念」を助長させるととらえる感覚や意識は、その人生においてそれと直接的には関わりをもつことのない、大部分の国民が有していたものだったろう。
●治安維持法がもたらす抑圧感・窒息感
いうまでもなく一〇万人の犠牲者とその周囲の人々にとっては、治安維持法は「恐怖観念」を直接的にかき立てるだけでなく、日々の言動や思考のありようにも重くのしかかっていた。
たとえば、「法の暴力」の間接的な機能として、治安維持法が社会運動全般に対する圧力になっていたことを、人民戦線事件での検挙経験をもつ山川均は「暴圧法の思い出―治安維持法と破壊活動防止法」(『社会主義』一九五二年五月)のなかで語る。「この種の暴圧法が吾々の運動に加える弾圧の効果は、その法律によって現実に処罰されることよりも、それが常住不断に脅威を与え、運動に干渉圧迫を迎える根拠となるという点にある」として、一九三〇年代後半以降の状況を叙述する。
治安維持法は年じゅうノベツに適用されなかった。この法律のあったころ、私自身は、その適用を受けたのはただ一回である。しかし言論も行動も、手も足も出ぬという程度にまで圧迫された。この圧力のために多くの組合指導者も知らず知らず右の方へと追いこまれた。目さきの利く指導者は、いち早く民族主義や愛国主義の運動に至った。その後の右翼的指導者も、戦争態勢の進むにつれ、「国民精神総動員」への協力や、「奉公精神」や、「非常時産業協力」を口にするようになり、やがては労働組合運動をファシズムの権力に売り渡し、ヒトラーの「労働戦線」をまねた産業報国会の運動に転身したのであるが、治安維持法が不断に彼らに加えていた圧力が彼らの心理状態を、このような裏切りに準備したことは疑いがない。
治安維持法の発する威力を背景に、社会運動は萎縮ないし方向転換を余儀なくされた。それは治安維持法の発動を暗示するだけで、いわば「沈黙の威圧」として効果的に機能した。一九三四年に治安維持法「改正」案が浮上し、より広範で厳重な司法処分の襲来が予想されると、プロレタリア文化運動の陣営が総崩れに近い状況になったことも、その威力の一端を物語る。
丸山真男には第一高等学校二年生となった三三年四月、長谷川如是閑への関心から唯物論研究会創立記念の講演会に参加し、警察に引っ張られ、「おまえ、君主制を否認しているんだろう」と峻烈な取調べを受けた留置場体験があった。これ以降、丸山の身辺には特高の目が光った。「(大学卒業後も)そこらへんに目があって、ジーッと自分のほうを見ているのではないか、という、それが実感です。だから戦後、特高警察がなくなったというのは、ぼくにとっては解放感だった」(『丸山真男回顧談』上、二〇〇六年)、あるいは「治安維持法にしても、今日でこそ誰でも悪口いいますが、治維法華かなりしころにですね、一つのいわば生理的な感覚として何かもうああいうものはたまらないという感じ、基本的人権という概念でなく、自分の体の感覚として治維法に抵抗を感じた」(「悪法からの脱却」、清水幾太郎との対談、「破壊活動防止法」『法律時報』別冊附録、一九五二年八月)と語っている。「何かもうああいうものはたまらない」とは、少しでも治安維持法の威力を直接経験したものには理解できる「生理的な感覚」だったろう。
治安維持法運用が常時もたらしていた抑圧感・威圧感・窒息感は、それが廃止となってようやく解消された。河上肇は「人権指令」が発せられた翌日(一九四五年一〇月五日)の「日記」に「連合国最高司令部の命により治安維持法以下の自由束縛の弾圧諸法令撤廃、政治思想犯人尽く釈放、内務大臣以下思想警察に関する全国の官吏は、府県の警察部長を始め、特高警察の官吏尽く免官、内閣総辞職」と記した。「治安維持法」と「政治思想犯人」はひときわ大きな文字で書かれており、河上の昂揚ぶりが感じとれる(『河上肇全集』二三、一九八三年)。
治安維持法違反事件で検挙・勾留後、「転向」して釈放された経験をもつ高見順は一〇月六日の「日記」に「特高警察の廃止、―胸がスーッとした。暗雲がはれた想い。しかし、これをどうして連合国司令部の指令を俟たずして自らの手でやれなかったか、―恥しい。これが自らの手でなされたものだったら、喜びはもっと深く、喜びの底にもだもだしているこんな恥辱感はなかったろうに」と記した。高見の心中を長い間深くおおっていた治安維持法や特高警察から生じた「暗雲」はようやく晴れたとはいえ、「自らの手」で廃止できなかったことに「恥辱感」も覚えていた(『高見順日記』第五巻、一九六五年)。
上記内容は本書刊行時のものです。

