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アメリカ南部の黒人産婆たち 西﨑 緑(著) - 地平社
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アメリカ南部の黒人産婆たち (アメリカナンブノコクジンサンバタチ) 差別や貧困の中でいかに命と地域を守ったか (サベツヤヒンコンノナカデイカニイノチトチイキヲマモッタカ)

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発行:地平社
A5判
縦210mm 横148mm 厚さ13mm
重さ 301g
188ページ
並製
定価 3,000 円+税   3,300 円(税込)
ISBN
978-4-911256-43-5   COPY
ISBN 13
9784911256435   COPY
ISBN 10h
4-911256-43-5   COPY
ISBN 10
4911256435   COPY
出版者記号
911256   COPY
Cコード
C0022  
0:一般 0:単行本 22:外国歴史
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2026年3月31日
書店発売日
登録日
2026年1月28日
最終更新日
2026年4月7日
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紹介

抑圧に抗するレジリエンスとは

地域コミュニティの命を支え続けた産婆たち。伝統的な知恵と献身的なケアで母子を守るが、近代医療の台頭や国家政策を受けて排除と管理の対象となってゆく。抑圧の中で自律的なケアシステムを築いた女性たちの、抵抗の物語。

目次

はじめに
本書での訳語の使い方について

序章 伝統的出産と黒人産婆の役割
第1章 排除の構造―近代医療と国家政策による産婆の追放
第2章 「必要悪」としての産婆―ジョージア州における黒人産婆の統制と管理
第3章 黒人産婆の物語
第4章 出産をめぐる女性たちの連帯の復活
終章 南部の影、生命の灯―黒人産婆の闘いとインターセクショナリティ


付録
参考文献
あとがき

前書きなど

はじめに



米国疾病対策センター(CDC)が二〇二三年四月に公表したデータによると、米国では妊娠に関連した黒人女性の死亡率が白人女性の三倍になるという。CDCは、その原因を医療の質のばらつきや基礎疾患、構造的な人種差別、暗黙の偏見など、複数の要因に求めているが、安全な出産を黒人女性が手に入れることがいかに困難であるかは明確である。特に病院での出産に際して黒人女性が体調不良を訴えた場合、医療従事者から無視されるか適切な処置の遅延が数多く報告されており、その結果、妊婦が死に至る場合が少なくない。これは学歴や経済力にかかわらず生じており、有名なテニスプレーヤーのセレナ・ウィリアムズでさえ、産後の体調不良を訴える声に看護師の注意が払われなかったために、危うく命を落としそうになった。こうした状況の中で、医療現場における先入観や偏見を解消しようとする動きも生まれているが、その一方で黒人女性の自衛手段として伝統的な助産に対しての関心も広がってきている。
女性の出産に対する思いは、時代や文化、人種を超えて共通する普遍的なテーマである。本書は、この普遍的なテーマを、アメリカ南部の黒人産婆(Granny Midwives.「おばあちゃん産婆」は、南部の黒人女性がつとめた素人産婆を指すため、本書では「黒人産婆」と訳すこととする)という特定の視点から深く掘り下げる。人種隔離と貧困という厳しい歴史的背景の中で、彼女たちがどのようにして命を繋ぎ、コミュニティの希望となり得たのか、その独自の物語を描き出すことで、読者は時代を超えた普遍的な感動と、現代にも通じる深い洞察を得られることだろう。
本書では、さしあたり三つの視点を設定し、黒人産婆に注目する意味を考える。
第一の視点は、アメリカ南部の「黒人コミュニティの生存」に貢献した産婆の役割である。黒人産婆たちは、西洋医学が普及する以前からアフリカにルーツを持つハーブや伝統的な医療の知識を受け継ぎ、「自宅出産」とその後の家族のケアという形で、母親と赤ちゃんの健康を包括的に守り続けていた。彼女らは、単なる出産介助者ではなく、コミュニティの生存を助ける知識の担い手であり、文化の継承者でもあった。南北戦争以前、アメリカ南部の人口の約三分の一を占めていた黒人たちは、奴隷制度の廃止後も、ジム・クロウ法(アメリカ南部で再建期後の一八七七年から一九六四年の公民権法までの間、各州法として施行された人種隔離法の総称。社会生活のすべての分野で白人用と黒人用が分離された。このため黒人が利用できる医療はきわめて少なかった)下の厳しい人種差別に苦しんでいた。近代的な病院へのアクセスが閉ざされ、白人医師の診察を受けることが困難だった時代、産婆は黒人コミュニティの誰にとっても唯一の頼れる医療従事者であった。
二〇世紀に入ると、近代化が遅れていた南部でも少しずつ産婦人科医が増加し、病院での出産が推奨されるようになった。行政や医師たちは、伝統的な産婆による出産文化を「非科学的」として扱い、産婆たちを排除する動きを活発化させた。しかし多くの黒人家庭では病院出産は現実的ではなかった。産婦人科医の増加は、すべての人々に平等な医療アクセスを保証するものではなかったからである。
まずジム・クロウ法の下で人種隔離が厳格に施行されていたため、多くの黒人女性は、白人向けの病院や診療所から排除されていた。白人医師の中には、黒人患者の診療を拒否したり、差別的な扱いをしたりする者も少なくなかった。それゆえ、たとえ医師の数が増えても、黒人コミュニティの医療アクセスは依然として限られていた。
さらに、医師の多くは都市部に集中していたため、地方の農村部に住む人々、特に貧しい黒人家庭は、医療サービスから隔絶されていた。その隙間を埋めていたのが黒人産婆であった。彼女たちの活動なくしては、黒人コミュニティの母子死亡率はもっと高かったであろう。
第二の視点は、女性の肉体と精神の主体性獲得に果たす産婆の役割である。二〇世紀初頭に近代的な病院での出産が主流となり、白人医師が産婦人科医療を独占していく中で、黒人女性の多くは、差別的な扱いを受ける病院での出産を望まなかった。黒人産婆たちは、そのような女性たちにとって唯一の安全な選択肢であり、産婆が提供するケアは、人種差別的な医療システムからの避難所でもあった。産婆たちは、女性たちの訴えを軽視せず、一人一人の声に耳を傾け、尊厳を持って接することで、医療における人種、性、社会階層による差別が黒人女性たちにもたらしたトラウマを癒す役割も果たしていた。
出産という身体的・精神的な体験は、時代や文化、人種を超えて変わることのないものである。出産の痛み、不安、そして新しい命を迎える喜び、生命の神秘と出会う体験は、一人の女性が抱えるにはあまりにも大きく圧倒的な経験である。黒人産婆たちは、貧しい白人家庭の女性たちも含め、女性一人一人の感情に深く寄り添い、出産を女性自身の力を引き出すエンパワメントの体験として支えた。
伝統的な出産方法やハーブの知識、女性が自分で気づく体調の変化、母から子に伝えられる清潔を保つ知識などは、一九世紀半ばから男性医師たちによって「非科学的」と否定され、女性たちから奪われてしまった。しかし黒人産婆たちは、アフリカにルーツを持つ知恵を世代を超えて受け継ぎ、実践し続けた。これは、自分たちの文化とアイデンティティを守るための抵抗であり、出産という人生の最も重要な局面において、黒人女性が自らの文化的ルーツに根ざしたケアを受けられるようにする行為であった。
こうした出産をめぐる女性同士の連帯は、南部に生きた黒人たちの歴史にとどまるものではない。人種や貧困といった障壁を乗り越えようとした、力強い女性たちの物語として、すべての女性に共通する普遍的なテーマにも繋がるのである。
第三の視点は、交差性に抵抗する黒人女性の連帯に貢献した黒人産婆の役割である。人種、階級、ジェンダー、性的指向、障害の有無、国籍など、人が持つ複数の属性が複合的に作用し、単独での差別や抑圧の総和より厳しい特有の抑圧の経験を生み出すのがインターセクショナリティである。アメリカの法学者キンバリー・クレンショーが提唱し、社会運動や学術分野で、従来の単一の差別の軸では捉えきれなかった人々の経験を可視化するために用いられた。活動は、人種差別と性差別、貧困が複雑に絡み合った多重の抑圧に対する、力強い抵抗の行為と捉えることもできる。産婆は、出産を単なる個別の医療行為としてではなく、コミュニティ全体で支える社会的出産のイベントとして捉え、女性たちが互いに助け合い、支え合うためのネットワークを築いた。この女性同士の助け合いのネットワークは、外部の抑圧的な社会システムに頼ることなく、自分たちの力でコミュニティの健康と福祉を管理するという、自治の精神を育むことになったのである。
したがって黒人産婆たちは、単に出産を手伝う医療従事者にとどまらず、制度的な排除と文化的抑圧に直面する黒人女性の身体的、精神的、そして社会的な健康を守るための、不可欠な存在だったと捉えることができる。複数の抑圧に同時に直面しながらも、彼女たちは、自らの手で代替的なケアシステムを構築し、多層的な抑圧構造に対抗する抵抗の種を保持し続けた。このように、黒人産婆の貢献は、(本人たちが意識していなくても)人種差別と性差別、貧困という絡み合った抑圧構造に抵抗する行為と評価することができる。
そして今、アメリカ社会における黒人女性妊産婦死亡率の高さという問題に黒人女性たちが取り組む運動の中で、黒人産婆たちの遺産は、再びその重要性が認識されている。彼女たちの物語は、決して過去のものではない。黒人女性の妊産婦死亡率をゼロに近づけるという課題に対し、伝統的な産婆の役割を現代に再解釈し、黒人コミュニティの健康を支援する動きが広がりつつある。現代の産婆たちは、黒人文化に配慮したケアを提供することで、医療システムに対する不信感を払拭し、伝統的な知識と現代的なケアを組み合わせることで、黒人女性の出産体験をより安全で、一人一人の人格が尊重されるものにすることを目指している。つまり黒人産婆の物語は、現代社会がマイノリティ女性たちにもたらす多重の抑圧に対して、私たちがいかにしてコミュニティのレジリエンスを築いて闘うべきなのかを教えてくれる貴重な教訓であると言えよう。
本書の構成について概観しておこう。
序章では、伝統的出産と黒人産婆の役割について論じる。アフリカ文化圏では、魔術、薬草、そして産婆の役割が伝統的医療として密接に結びついていた。産婆は単に出産を介助するだけではなく、新たな生命をこの世に迎え入れるというコミュニティの全人的ケアの実践者としての役割を負っていた。そして奴隷船に乗せられてアメリカに到着したアフリカ人の女性の中にもこの知識を携えてきた者が含まれていた。アンテベラム期(戦前=南北戦争前の時代)の南部では、黒人女性の妊娠・出産が奴隷制度の経済的問題として管理されてきたこと、医療資源が希少であったことから、プランテーションの健康管理や子育てに黒人産婆が動員されてきたことに注目する。
第1章では、黒人産婆の排除の社会的構造について論じる。特に一九世紀後半の公衆衛生への関心の急激な高まりと公衆衛生運動の隆盛、二〇世紀初頭の専門医の増加、連邦児童局の創設と乳幼児死亡率低減政策、という三つの側面から黒人産婆の排除が進められたことを述べる。
第2章では、南部における保健医療資源整備の遅れと交通の便の悪さ、人口密度の低さから「必要悪」として黒人産婆が位置づけられ、法制度的に管理されたことに触れる。特にジョージア州を例にとり、州の公文書館所蔵資料より、州公衆衛生局が産婆の登録管理と一年更新制を敷くことにより、産婆の教育訓練、健康管理を行って伝統的産婆術を禁じ、廃業を促進したことを述べる。
第3章では、アメリカ南部の六人の黒人産婆の事例を通して、彼女たちが行った助産と保健医療活動の実際、そして黒人コミュニティの生存とエンパワメントについて考える。
事例に挙げるのは、まず、①ジョージア州東海岸のサペロ島のガラ・ギーチー・コミュニティで一九二〇年から一九六八年まで助産を行ったケイティ・ホール・アンダーウッドである。
次に、②ジョージア州公衆衛生局が制作した指導訓練用映画『オール・マイ・ベイビーズ(All My Babies)』の主人公を務めたメアリー・フランシス・ヒル・コーリーである。映画撮影当時、ダグラス郡を中心に現役の産婆であった彼女は、その生涯で三〇〇〇人以上の赤子を取り上げ、黒人と貧しい白人の母親たちの感謝と尊敬を受けた。
③アラバマ州のオニー・リー・ローガンは、コーリーに請われて伝統的産婆術を教授した。彼女は、伝統的な知識をもとにコーリーのほかにも多くの黒人産婆を育成し、五〇年以上にわたって出産を控えた黒人女性たちのニーズに応えた。一九八九年に出版された彼女の自伝『マザーウィット―あるアラバマ州産婆の物語(Motherwit: An Alabama Midwife’s Story)』は、アラバマ州最後の黒人産婆の一人としての経験を残したいという本人のたっての願いをキャサリン・クラークが受け止めて書き残したものである。
④アラバマ州グリーン郡の産婆マーガレット・チャールズ・スミスは、一九七六年にアラバマ州が産婆の活動を違法とする法律を可決した後も、特別に許可されて一九八一年まで活動を続け、地域社会に根ざした安全な出産ケアを行った。
⑤ジョージア州カミラの自宅をジョージア・B・ウィリアムズ産院(Georgia B Williams Nursing Home)として解放したベアトリス・ボーダーズと義嫁のアリラ・スマイリーは、黒人コミュニティの女性たちの苦労を軽減し、安全なお産を実現させた。一九七一年にボーダーズが死去した後は、保育所として黒人コミュニティに奉仕し続けた。スマイリーは、ジョージア州最後の産婆として知られており、一九六三年に公認産婆となってから一九八七年に引退するまで一〇〇〇人以上の赤子を取り上げたとされる。
⑥モード・カレンは、伝統と近代科学を併せ持った看護助産師であった。サウスカロライナの貧しい田舎であったパインヴィルに居住し、自宅でコミュニティ・クリニックを開業した。そして六〇年以上にわたり、コミュニティの生活環境の改善と人々の健康状態の向上に貢献した。
第4章では、現代に生きる黒人女性の出産をめぐる危機とそれに対抗する選択肢として復活した黒人産婆・助産師について論じる。ママ・サラーン・ヘンダーソンは、ジョージア州アトランタを起点に「伝統の中での出産(Birth in the Tradition)」という団体を主宰し、一九八〇年から半世紀近くにわたって伝統的な助産方法を実践し、これまでに一〇〇〇人以上の赤子を取り上げてきた。またその伝統を継承するために、助産師を目指す女性たちの育成(見習い教育)も行っている。現在、彼女が目指しているのは、自宅出産が(低リスクの母親にとって)病院出産に代わる安全な選択肢として全国的に認知されること、伝統的な訓練を受けた助産師が、周産期医療システムにおいて非犯罪化される、あるいは免許を持つ専門職として認められることである。
最後に終章について。多くの黒人産婆たちは、名前を残すことなく消えた無名のヒロインである。本書では、メアリー・フランシス・ヒル・コーリーやオニー・リー・ローガン、モード・カレンといった、歴史に名を残した個々の黒人産婆たちについて取り上げるが、彼女らの物語は、決して特別なものではない。黒人産婆の献身的な活動は、人種差別やその結果としての貧困という障壁を乗り越え、コミュニティの健康と幸福に貢献した産婆たちの姿を象徴している。アメリカ南部のジム・クロウ体制の厳しい社会状況の中で築かれた、産婆と出産を経験する女性たちの連帯の物語は、互いを支え合い、困難を乗り越える姿として、現代を生きる私たちにも共感を呼び起こす。この女性たちの連帯こそが、すべての女性の人格と人権を尊重する社会に変革していくための鍵となると信じる。

著者プロフィール

西﨑 緑  (ニシザキ ミドリ)  (

熊本学園大学社会福祉学部教授。専門は社会福祉原論、社会福祉史。研究課題はアフリカ系アメリカ人の社会福祉と社会活動の歴史。著書に『ソーシャルワークはマイノリティをどう捉えてきたのか』(単著、勁草書房)、『帝国のヴェール』(共著、明石書店)、『自由と解放を求める人びと』(共著、彩流社)など。

上記内容は本書刊行時のものです。