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見えないものをみる視点 上平 崇仁(著) - Xデザイン出版
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見えないものをみる視点 (ミエナイモノヲミルシテン)

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文庫判
縦153mm 横105mm 厚さ13mm
272ページ
価格 1,900円+税
ISBN
978-4-910984-04-9   COPY
ISBN 13
9784910984049   COPY
ISBN 10h
4-910984-04-6   COPY
ISBN 10
4910984046   COPY
出版者記号
910984   COPY
Cコード
C2037  
2:実用 0:単行本 37:教育
出版社在庫情報
絶版
書店発売日
登録日
2025年2月21日
最終更新日
2025年4月1日
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紹介

タイトルである〈見えないものをみる視点〉とは、まさに矛盾している。だが、その矛盾が生み出す葛藤こそが生きる力である、と著者は言う。そして本書の終章で回収されるタイトルの秘密を知ったとき、すべての読者はそれまでそこに存在しながら見えてなかったものを、もう一度意識的に見ることになるだろう。生成AI時代に浮かび上がる〈主語の不在〉に対抗して綴られた、著者自身の泥を這うような実体験にもとづいたアクチュアルな語りと思索を集めた一冊。

目次

第一章 〈遠い故郷〉をみる
新聞をくばっていた頃  
受験生たちへ  
あぶないことを学ぼう  
人間以外のためのデザイン  
ニッセとかくれ念仏  
本物のつけ揚げとは  
共通点をさがせ  
風の人、土の人  
こわせることは大事だ  
慣習をやぶろう  
遠くて近いこと  
鹿児島から未来を描く  
文字の姿で失礼
見つからなかったライター    
遠い約束を果たす  

第二章 〈学生たちの足跡〉をみる
多摩川は、きたない川だった  
学びの体験がつながる日  
コンテンツデザインとは、何をしているのか  
チームをつくるとは、どういうことか  
誰でも作れそうで、誰にも作れない  
教えられると、人は思考停止する  
ワークショップの後を追跡する  
よい文章は書き手を変える  
自分の役割を、語り語られることの意味  
 
第三章 〈組織の内側〉をみる
新しい学部に芽ばえた文化  
変化する社会に応える教育  
カリキュラムの中のデザイン  
 
第四章 〈他者から自分〉をみる
社会とつながるデザインを  
ユーザーを超えて、当事者と共に  
批評性を持ってデザインのエアポケットを楽しむ  
  
第五章 〈他者の仕事〉をみる
「道具をつくる道具」を、活かすお手本を見た  
全方位のデザインに挑み続ける理由  
世界が一つではないように、デザインも一つではない  
  
第六章 〈オンライン化の渾沌〉をみる
ネトゲより楽しいオンライン学習環境をつくろう  
作り手側の立場になってわかること  
チェックインとチェックアウト
一斉送信と少人数ダイアローグを両立させる試み  
先生が顔を出す必要は、どこまであるのか  
よみうりランドからオンライン授業に挑戦  

終 章 この本とあなたの〈あいだ〉をみる

前書きなど

 以前、とある人類学者の友人がこう語っていた。「主語があって、その人の解釈があれば、そこに一定の価値が生まれる」と。この言葉はなかなか示唆的である。裏返してみると、いつのまにかぼくらの周囲には、主語を持たず、個別の解釈を含まず、文脈から切り離された一般論があふれてしまっていることに気付かされる。さらに、そんな薄まった一般論から導かれた基準に、大事な意思決定を丸投げする機会も増えているように思う。

 本書は、この〈主語の不在〉に対抗して、ぼく自身の視点から綴られた文章をまとめたものである。これまでさまざまな媒体で発表してきたコラムや対談を加筆・修正したものを中心に収録したので、〝エッセイ集〞と呼ぶこともできるだろう。だが、単なる寄せ集めでもない。編集のコンセプトには、いまの時代におけるラディカルな問いを埋め込んだつもりだ。

 いつのまにか、生身の人間の持つ能力が大きくゆらぐ時代になった。AIが進化することで人間は労働から開放されるという楽観的な期待を持つ人もいるが、歴史に学ぶならば、むしろ技術が進化するほど仕事はより難しくなっていく。だれでも白黒つけられるような単純作業が消えていく一方で、判断に悩むグレーな領域―「どっちもどっち」としか言いようがない問題に責任を取るストレスフルな意思決定―だけで仕事が満たされていくからである。そしてキャッチアップしなければならない情報の量と、衰えていくぼく自身の処理速度の遅さとの裂け目はますます大きくなっている。生身の限界は、AI以降の知識労働者にとっては厳しい現実を突きつける。

 こうした状況の中で、ぼくは二〇二五年の春に長く勤めた職場を離れることになった。日々追い立てられるように仕事をしてきたが、珍しく自分の軌跡をふりかえるきっかけとなったため、この機会を活かして小さな本づくりの実験をしてみようと思った。いくらでも文章が読める今の時代に、わざわざコストをかけて紙の本をつくる意味はあるのか。ある。なぜなら、本は時間を超える。当初はデジタルのほうが劣化せず残りやすいと言われたが、実際には逆だった。サービスが終わればどんどん消えていくのに対して、本はそのままアーカイブとなる。いま広く読まれる内容でなくても、時と場所を隔てた誰かによって扉が開かれる可能性は残されている。また、ひとまとまりとして読む本だからこそ、ネット上のコンテンツは生まれにくい幕間をもたせることができるし、編集方針に意味を込めることもできる。

 この本の場合、それは大きくふたつある。ひとつめは、「ナラティブ」である。ナラティブは、日本語で〝語り〞とも訳される。しかし独り言をダダ漏れするのとは違って、話し手と聴き手の主客の境界を溶かしながら、共同で生成されるものである。それはやりとりが紡がれた個別具体的なコンテクストと切り離せないところが特徴でもある。そして異なる視点が交錯しあうことで行間が生まれ、さらに行間が積み重なることで単独では見えなかった固有の人格らしきものが浮かび上がってくる。もちろん生成AIもナラティブっぽい文章はいくらでも出力する。でも流暢な解説文ではまったく見分けがつかなくても、身体性を持ったエピソードを語りはじめると、その嘘くささが際立ってくる。だまされちゃいけない。そいつは擬態したメタモンだ。こうした考えをもとに、過去に書いた文章のうち、誰でも言いそうな間口の広い議論は除外して、一般受けしなさそうなニッチな範囲のものを中心に収録した。そうすることで、泥を這うような僕自身の実体験の数々が反映された、アクチュアルな語りが並んだと自負している。

 ふたつめは、「矛盾」である。タイトルの〈見えないものをみる視点〉とは、まさに矛盾している。どういうことか。何かがみえる/みえないの違いは、単に視力の問題ではなく、立場や文脈によっても決まる。いつも中心にいる人には辺縁部は見えないし、ある組織の中で当たり前のことも部外者には見えない。そして多義図形が示すとおり、何かの像が立ち上がったその瞬間、別の像を脳は打ち消してしまう。何かが見える。そう思ったとき、そこには同時に別の何かがあったのかもしれない。ものごとは一面的にはとらえられず、見る/観る/診る、いろんな見方によって違う解釈になる。でもそれらが生み出す葛藤こそが、生きる力でもある。

 本書では、そんな題材を集めて七つの切り口の章に整理した。それぞれの章の扉に概要をまとめてある。終章以外の順番は重要ではないので、どこから読んでも構わない。むしろ、断片と断片が偶然につながったり、読者の個人的なエピソードとつながったりすることで、新しい解釈が浮かび上がることを期待している。

 本書を手に取った人は、装丁が時代錯誤なほどにクラシックなことや、写真や図版がほとんど掲載されていないことに、おそらく違和感を持つだろう。もちろんそれにも明確な意図がある。ここではいったん伏せておきたい。本書の終章「この本とあなたの〈あいだ〉をみる」の中で明かされることになる。その秘密を知ったとき、あなたはそれまでそこに存在しながら見えてなかったものを、もう一度意識的に見ることになるだろう。

 もしあなたが、たくさんの矛盾を含んだぼくの語りの中に、これまで気づかなかった接
点をみつけられたならば、きっと誰かが片手で拍手する音が聞こえてくるはずだ。

二〇二五年二月
上平崇仁

版元から一言

デザイン研究の先駆者がさまざまな場所で語る言葉たちが、本人の知らないところで手を取り合ってダンスを踊り出す。そんな面白さのある本です。通常、本のタイトルは売りを考えて出版社や編集者がつけることも少なくありませんが、この本のタイトルは著者が記しています。つまり著者の一番伝えたいことを一刀で切り出せば「見えないものをみる視点」であり、それは洞察とも、優しさとも、可能性とも、志とも、創造力とも、人間らしさとも言え、デザインという範疇を超えてあらゆる読者に大切な“何か”を訴えかけます。その何かはすぐ見えませんが、読んでいくうちにみえてきます。しかもその何かがダンスを踊っているのだから見ものです。“可視化”が強力な機能の一つでもあるデザインの実践者であり研究者である著者が「見えないものをみよう」と語りながら本人さえ見えてないかもしれない言葉のダンスを、ぜひ見てみてください。

著者プロフィール

上平 崇仁  (カミヒラ タカヒト)  (

デザイン研究者。1972年鹿児島県阿久根市生まれ。1997年筑波大学大学院芸術研究科デザイン専攻修了。グラフィックデザイナー、東京工芸大学芸術学部助手、専修大学ネットワーク情報学部教授、コペンハーゲンIT大学インタラクションデザイン・リサーチグループ客員研究員等を経て、2025年より立命館大学教授。日本デザイン学会理事。大阪大学エスノグラフィラボ招聘研究員。㈱ACTANTデザインパートナー。著書に「情報デザインの教室」(丸善出版/共著)、「コ・デザイン―デザインすることをみんなの手に」(NTT出版/単著)など。2000年の草創期から情報デザインの研究や実務に取り組み、情報教育界における先導者として活動する。近年は社会性や当事者性への視点を強め、デザイナーだけでは手に負えない複雑/厄介な問題に取り組むためのコ・デザインの仕組みづくりや、人類学の視点を取り入れた自律的なデザイン理論について研究している。

上記内容は本書刊行時のものです。