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教師養成についての考察
原書: Gedanken über Lehrerbildung
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2025年9月20日
- 書店発売日
- 2025年9月20日
- 登録日
- 2025年7月19日
- 最終更新日
- 2025年9月19日
紹介
本書『教師養成についての考察』は、1920年にドイツで刊行されてからすでに100年余りを経過しているが、20世紀初頭の教師のもつべき資質と課題についての論究が、今日でも教師養成の根幹にふれる不易のものであると確信できる。訳者は、シュプランガーの考察を「青少年を教育する教師の資質・力量は、文化価値に対する深い理解と造詣が求められる。その一方、教師が養成されていく課程では、広い心をもった人間として養成されることが求められる。さらに、価値ある人間的展開のヒューマニスティックな理想をもった教師が養成されることが喫緊の課題である」と読み解いている。まさに今こそ、危機迫る日本における教師養成にかかわるすべての関係者に読んでほしい。
目次
まえがき
1 陶冶
2 陶冶価値
3 陶冶性
4 学問、技術、陶冶
5 総合大学、工業大学、教師養成大学
6 教育大学
7 競争―総合大学か教育大学か
訳者あとがき
前書きなど
【まえがき】
「学校行政(Schulpolitik)における政策の限界」について、論述すべきときなのかもしれませんが、この書は決して行政上の論述ではありません。
陶冶(Bildung)というものは、それ独自の法則をもっており、権力の問題とか立場の対立とかには無関係であって、学校組織はすべて、まず内奥から、つまり陶冶という考えから発展させなければならないという考え方からこの論述は出発しています。このことは教師が養成されていく過程にとって、三様の意味で当たっています。
第一に、教師は生(Leben)に対して、また大気のように考える同胞としての自分をとりまいている精神的世界に対しても、広い心をもった人間として養成されなければなりません。教師が高等な教育を、とくに九年制の高等学校を卒業する必要があるということは、この点からみて当然です。
第二に、教師は教師としての職業教育を必要とします。つまり、ほんとうの、広い自覚の上に立って、教育や教授の仕方を教えられる必要があります。
内面的諸要求による、価値ある人間的展開のヒューマニスティックな理想にこれほど近い職業はほかにありません。
最後に、教師というものは、人の心のなかに呼びさまし養い育てることに導くための、陶冶財(Bildungswerte)をもっていなければなりません。すなわち第三に、教師には、人間的な意義に満ちた内容が求められるわけです。
しかし、教育者としての精神はどの教職の場合にも同じであっても、この内容は教職の全部門にとって同一ということはあり得ません。
国民教育の思想は、新しい型の教師を必要とします。私の試みは、こういう教師の養成課程を描こうとしたものです。それは﹇総合大学﹈の教育学部のコースではありません。そのわけは、この教育学部は総合大学の古くてなかなか捨て切れない学問的理想のなかに織り込まれていて、別種の陶冶をその内容としているからです。このことは、学問の教育的利用を学問そのものより先に教えるのは不可能なことからいっても、当然のことです。こうした計画は、総合大学および教職の真価に対する大きな誤解を示すものです。
そこで、古い意味の十分な学問研究、そしてそれによって偏った理論的文化へ全国民を押し込めてしまい、生命をつくる造形的な、十分な力を国民に吹き込むことを忘れた方法と、私がここで示す新しい方法と…この二つの道のいずれかを選ぶよりしかたがありません。この道が最もすぐれた陶冶の道であるかどうかは価値を測る尺度にかかっているわけです。古くからの、社会的評価だけを問題にして陶冶の内面的実質に無関心な者は、すでに踏みならされた道をさまようことでしょう。新しいものを創造しようという勇気と力とを感じる者は、その自己評価の尺度を自分自身の理想の有する価値のなかにのみ見いだすでしょう。長く続くわが国の教職の闘いは、単に古いものを盗みとるようなことがあってはなりません。
以下の私の論述が目的とするところは、いわば、若々しい土地の上の新しい建設です。みなさんは、これらの論述から古いスローガンで計られる箇所を取り出されるでしょうか、…それとも、真の文化意志のみがそれぞれを支えうる『全きもの』(よきもの)として受け取ってくださるでしょうか。
一九一九年一一月一五日 ライプツィヒにて
エドゥアルト・シュプランガー
【訳者あとがき】
シュプランガー(Spranger, Eduard ; 1882-1963)は、ベルリンに生まれ、プロテスタンティズムの敬虔の念に満ちた家庭で、誠実さと中庸と絶えず進歩をめざして努力するドイツ市民階級の雰囲気のなかで育った。中等教育は、ドロテーンシュタットのレアール・ギムナジュム(近代外国語を中心とした高等学校)とベルリンのグラウェン僧院付属のギムナジウム(古典語中心とした文化高等学校)で学んだ。現代の文化問題に対する鋭い関心と近代性をレアール・ギムナジュウムで、強いプロテスタント的宗教性をグラウェン僧院付属ギムナジュウムで身につけたと思われる。
ついでベルリン大学で学び、なかでもとくにディルタイ(Dilthey, Wilhelm ; 1833-1911)に師事した。一九〇五年『歴史学の基礎』(Die Grundlagen der Geschichtswissienschaft)の論文によって学位を授与され、ベルリン大学の哲学の私講師となった。一九一一年にライプツィヒ大学の教授として招聘され、一九一二年には教育学の教授となった。一九二〇年にはベルリン大学の正教授としてドイツ思想界で指導的な活躍を続けた。とくに、歴史研究や人物研究に適応し『教育と文化』(Erzihung und Kultur, 1919)、他方で心理研究『生の形式』(Lebens Formen, 1920)など著し、独自の文化解釈を樹立した。
ナチスの時代、かれは政治権力の動向に対してはとかく追従的であり、一九三六年に来日するなど体制協力的態度が目立った。一九四四年には反ナチの疑惑を受けたこともあるが、積極的な抵抗はかれの場合みられなかった。第二次世界大戦後は衆望を担ってベルリン大学の総長の重責に就いたが、ベルリン大学がソ連占領地に入ったことなどもあって、一九四六年にチュービンゲン大学に移り、なお活発な著作活動を継続した。とくに、教育史研究やペスタロッチー研究『教育の思考形式』(Die Pestalozzis-Denkformen,1961)など独自の業績については、今なお高い評価が与えられている。
シュプランガーによれば、真の教育学とは青少年を経済・科学・芸術・宗教などの文化諸要素が密接に絡みあいながら、一つのまとまりをなしている文化のなかに陶冶し、逆にまた個々の文化形成物の価値を青少年に獲得させて、その価値を青少年の心のなかに生かすことを課題としている。すなわち、文化教育学の立場である。こうした立場から、青少年を教育する教師の資質・力量は、文化価値に対する深い理解と造詣が求められる。その一方、教師が養成されていく課程では、広い心をもった人間として養成されることが求められる。さらに、価値ある人間的展開のヒューマニスティックな理想をもった教師が養成されることが喫緊の課題であると述べている。
本書に述べられている『教師養成についての考察』は、二〇世紀初頭の教師のもつべき資質と課題について、論究したものである。本書が発表(一九二〇年)されてからすでに一世紀余を経過しているが、今日でも教師教育の根幹にふれるものであると確信している。
訳者が初めて本書を知ったのは、青山学院大学大学院において、恩師である村上俊亮教授の原書講読の時間であった。その後、この論文をさらに検討して、訳文を一九八五年に『流通経済大学論集』(流通経済大学学術委員会編、第一九巻一~二号)に発表した。以来半世紀余、この論考は、訳者の教師としての教育実践・教師教育研究の折々に、こころの支えとなって今日に至っている。しかし、訳者の非才が難渋なシュプランガーの真意をはたして、どれほど伝え得たか、いまだもって不安である。
二〇二五年七月 猛暑の日々に
黒澤 英典
版元から一言
第二次世界大戦へ突き進むナチス政権の誕生前夜のドイツで刊行されてから100年余り、これまで邦訳されてこなかった埋もれた名著が今まさに放たれる!
ひとりの教師として、さらに教育学者として、戦後における教師のあり方とその養成に心血を注いできた訳者が、学生時代から常に心の支えとなる指針として携えてきたのがシュプランガーによる原書です。日本教師教育学会設立の発起人でもある訳者が、社会的環境の激動の狭間で苦闘する教員養成の現場に向けて、教師のあり方と養成方法の再構築が問われている今日だからこそ、本書で考察される教育の原点として「陶冶」に立ち戻り、その意義を再確認する必要性を説いています。
上記内容は本書刊行時のものです。
