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連弾書評集 海と余白
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 発売予定日
- 2024年12月10日
- 登録日
- 2024年11月20日
- 最終更新日
- 2024年12月3日
紹介
小林えみ・柳沼雄太がそれぞれの書評に短評をつけあう連弾書評集。ひとつの本について書評と短評という多角的な視点から考える新しい形式は、本の紹介だけではなく、批評する/批評文そのものも楽しめる。
目次
はじめに 小林えみ
柳沼雄太
「場」のペルソナ 町屋良平『生きる演技』
歴史はゆるくつながる星座のように 田中さとみ『ノトーリアス グリン ピース』
匿名性というレッテル 安堂ホセ『迷彩色の男』
ふたつの喪失と無意識的試み 安岡章太郎『海辺の光景』
手癖に導かれた身体性 小川洋子・佐伯一麦『川端康成の話をしようじゃないか』
独りで立つ、片手に羅針盤を 辻山良雄『しぶとい十人の本屋』
小林えみ
藪の中で語ることへの希望 小松原織香『当事者は嘘をつく』
コツコツとつくりあげる公共 猪谷千香『小さなまちの奇跡の図書館』
幸せなパン、悲しみのパン 『こんがり、パン おいしい文藝』
加害を歴史に記録する 『戦争のかけらを集めて』
本で学ぶということ、実践するということ 『ガスライティングという支配』
私の愛した悪役令嬢
おわりに 柳沼雄太
前書きなど
はじめに 小林えみ
柳沼雄太さんは優れた読み手で、彼に勧められた本は思わず読みたくなる。ただ、困ったことに、柳沼さんと私の読書の好みはまったく違う。「あれ、思ったほど面白くないな……」と思うこともしばしばで、つまり、私がまず面白いと思うのは柳沼さんの評、柳沼さんが作品や世界を見る眼なのだ。誤解なきように言い添えると、柳沼さんが詰まらない作品を選んでいる、ということではなく、彼はその作品の良いところを抽出することがとても上手く、また、それを魅力的に語るチカラを持っているということだ。だから、柳沼さんに本をお勧めされると、また手にとってしまう。
この書評集は、そんな柳沼さんと小林、それぞれ趣味も評し方も異なる二人による書評をまとめた。二人でひとつのピアノを演奏する連弾に例えて、「連弾書評集」と名付けた。それぞれが主題を担当する、という意味では、ジャズのセッションの方が近いかもしれないが、本全体をひとつの曲とみなせば、ひとつの楽器を協力しあって演奏するイメージの方が近いように思われた。
では、ここで奏でられている曲とは何か、といえば、本というもの、またそれを評する批評がテーマの曲と言えるだろう。日本では「解釈」文化の興隆により、批評はその意義が問われている(解釈文化そのものは否定しない)。評する、そのものの価値を見定め、世界の中に配置する営みの面白さは、批評単体だけで見ると「ただ褒めている」「ただ批判している」ように見えてしまうこともあり得る。批評を「連弾する」ことによって、批評そのものの輪郭が見えてくることも、本書の狙いのひとつだ。
何より、本は魅力的だ。そのことは二人に共通する想いである。評を楽しみ、そこからまた評される本を楽しんでもらえることこそ、私たちの願いだ。
おわりに 柳沼雄太
極めて主観的な読書という行為を源として、主観をなるべく公に開き客観的に論ずることが、書評という態度である。ともすれば、ひとりよがりに成り得る視点の敷衍は、些か心許なく思えることがある。それでも、批評の対象に表明する意思は、言葉でしか残すことができないのである。
一方で、言葉を言葉で語ることとは、言葉が持つポジティブもネガティブも幾つかの可能性として受け入れ、自らで咀嚼することを意味している。小説、詩歌、論考、対談など、形式にかかわらず本から聞こえてくる声を、よりキャッチーなメロディに乗せることと似通っている。どのように奏でれば、そのテクストの面白さ、奥深さが伝わるのだろうか。正解など存在しない言葉の振れ幅のあわいを捉えることの曖昧さに思い悩みながらも、最善と思われる音符へ乗せてゆく営みを、言葉で語ることに重ね合わせてみる。
思えば、私と小林えみさんは、書店として本を売ることとともにこの営みを実践してきた。ふたりが主催となる「じゅうに読む会」という読書会において、或いはその場ではなくとも、小林さんが本を語る口調は本当に優しく鋭い。その本に登場するすべてに気を配り語られる言葉から広がる世界は無限に思われる。何も置いてゆくことのない姿勢を、私は純粋に楽しんでいる。
それぞれが時にはプリモとなり、時にはセコンドとなる。プリモに添えられたセコンドは、プリモの筆者とは異なる視線でテクストを眼差す。眼差しの交錯により、書評の対象となるテクストが重層的かつ立体的に読者に届けられることを願いながら書き進めた。少しでも読者の琴線に触れられていれば、これほど嬉しいことはない。
最後に、本書にかかわってくださった皆さまに感謝を申し上げたい。読み、考え、自らの言葉で語ることを拒まない寛容な著者とテクストに出会わなければ、本書における書評の態度を体得することはなかった。
ふたりが奏でるメロディが、「批評そのもの」に対するオブセッションの変化にどのように作用するのだろうか。遠くない未来に投げかける疑問が紐解かれてゆく様を傍らから見守る役割が、本書の意義でもある。
上記内容は本書刊行時のものです。