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本と貝殻
書評/読書論
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2023年6月16日
- 書店発売日
- 2023年6月16日
- 登録日
- 2023年2月22日
- 最終更新日
- 2023年6月20日
書評掲載情報
2023-08-26 |
信濃毎日新聞
朝刊 評者: 分藤大翼 |
2023-07-15 |
読売新聞
夕刊 第53011号 評者: 管啓次郎さん寄稿 |
2023-06-24 |
毎日新聞
朝刊 評者: 堀江敏幸(作家) |
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紹介
『本は読めないものだから心配するな』の著者による最新の、本にまつわる読書エッセイ。
本書は、稀代のエッセイストがいろいろな媒体に書きつづったさまざまな書評や読書論のなかからとくに厳選したテクストを集成したものです。読書の方法と書物への讃歌にあふれた本です。
日本文学最高の文章家のひとりである著者が、本とともに生きたいとのぞむ人たちへとどける、読書のための書物の実用論です。
本という〈物〉の不思議。
それは、この世のあらゆるものとつながっていること。
ヒトが集合的に経験したすべての記憶・知識・情動が流れこむ一冊一冊の本は、タイムマシン、そして意識の乗り物。
いまこそ本を大切にしよう。
私たちのもとにやって来て、そして去っていった無数の本たちに、心からの「ありがとう」を。
目次
本と貝殻
Ⅰ 読むことにむかって
立ち話、かち渡り/本のエクトプラズム/横切ってもたどりつかない[プルースト]/詩との出会い[西脇順三郎]/京都との出会い[林達夫]/文体との出会い[吉田健一]/雑学との出会い[植草甚一]/翻訳文学との出会い[サン゠テグジュペリ、パヴェーゼ]
Ⅱ 心の地形30
ハーンという驚異の群れ/誰も見たことがない映画を/火山が教えるもの/写真をどう語るか/そこにないものを想像する動物、われら/森と海をむすぶ視点が呼ぶ深い感動/神話が覚えていること/味覚的ポストコロニアル/運動し流通する写真/年齢も境遇もちがう六人の「さきちゃん」とともに/Neversという土地の名の意味/牛の胃の中にある希望の大地/ウイグルの大地をみたす詩/声を探し、声にすること/「北国の少女」をくりかえし聴きながら/寄せては返す批判の言葉/人生を変えるための小説へ/グアテマラでユダヤ人として生きること/肉食について真剣に考えるために/世界音楽を生きる彼女/言語学小説はいかにして可能なのか/生命をめぐる態度の変更について/世界史の最先端を生きた島へ/気まぐれ経済のユートピアについて/みずみずしい線をまとい甦った可憐でモダンな歌、その生涯/帰れなかった帰郷へ/心の扉をあけると/新しい意識を本気で求めるなら/蜜蜂が書いた日本語の文章を
Ⅲ 読売書評2012-2013
ステーキの意味論/手と土の仕事について/破壊を超える言葉を/言葉の究極のコラージュ/装いの詩と真実/見過ごされた大作家のヴィジョンについて/詩という領土なき大地/この土地は草に、木に/驚くべき旅人の音声発見/異郷を歩いてゆくカメラの旅/土地の運命を一から考えること/あなたの服を見せて/巨匠の不思議な恋愛小説/スワヒリ語世界のお話の夜へ/至高の道草文学への招待/映像で学ぶ科学/精神分析という知のあり方について/一世紀を生きた人類学者の遺産/この土地をかれらと共有するために/彼女はいつどこで何を考えたのか/物語を超えた言葉の群れへ/なつかしさのむこうにある真実への接近/動物と出会うとき人は何を考えるか/北の島に残る言語をめぐって/代々木公園に立ちこめる記憶の霧/文学が合宿にはじまるとしたら/二〇一二年の三冊/物語の途方もないおもちゃ箱/辛さに挑み、叫べ/こんな作品を見たことがあっただろうか/小説家、あるいは仮死の身体/この過剰な贈与を考えぬくために/すべてがぐるぐると渦巻く海岸で/廃墟の幼児たちが詩人になるとき/さあ、バオバブの島国へ/イディッシュ語作家が背後にもつ世界/英語とは日本語にとって何だったのか/人々の情動に感応する人類学へ/食物が言葉に変わるとき/無人を通して歴史の層にふれる詩集/われわれと共に進化してきた同伴種へのまなざし/猫旅、ふたたび/孤独な人生に光がさす小さな瞬間/学にとりつかれた亡命ユダヤ人の肖像/シルクロードの食に誘惑されて/スペイン語文学が世界にもたらすもの/中継せよ、と言語がいった/壁はいまもある、記憶の中に/宗教は世界をいかに造形してきたか
Ⅳ 四つの解説、対話ひとつ
近現代からいかに出てゆくか?[ジャン=フランソワ・リオタール]/文字のやし酒に酔いながら[エイモス・チュツオーラ]/パルテノジェネシスから言語的ジェネシスへ[古川日出男]/Transversal, translingual[リービ英雄]/過去はつねにこれから到来する[エドゥアール・グリッサン]
あとがき
前書きなど
あとがき
本という物のふしぎな性格は、それがこの世のあらゆるものにつながっていることだ。少なくとも、人間の意識がおよぶあらゆるものに。ヒトが集合的に経験したすべての記憶がいずれかの本に流れこみ、個々の本からはそれを手にした人の数だけ別方向にむかう細い流れが生じる。知識も、情感も。一冊一冊の本がタイムマシンでありきわめて現実的な意識のヴィークルであることも、いうまでもない。本を大切にしよう。
本を語るときにそれを自然物にたとえたくなるのは、ぼくの趣味にすぎないのだろうか。そんなことはないと思う。本は貝殻にも花にも似ている、砂ねずみにもメタセコイアの大木にも似ている、流星にも虫を閉じこめた琥珀にも似ている。この世に存在してヒトの経験の中に入ってくるあらゆるものに似ることができるのが本なのだ。そしてそれは玉手箱でありびっくり箱であり手鏡でもある。すずめのようにチュンチュンと鳴きながら群れなして飛びたつこともある。予想をつねに裏切ってくれる。未知の海鳴りが、いつもそこから聞こえる。
ここでは本を貝殻にたとえてみたが、貝殻は意志なく意図なく自然発生することはなく、その中に住んだ貝の生命が生きてゆくために硬い住処を作り上げるわけだ。海水とのあいだの物質交換の果てに。本の作者と本との関係も、このプロセスにたとえられるのではないだろうか。できあがった貝殻から作者が出ていくとき、その空いた貝殻に読者がひっこしてくる。そして書評という行為が何に似ているかといったら、それは生け花だと思う。本という素材の一部を切り取り、それを新しいアレンジメントに投げこむ。組み合わされ配置された花たち(=引用文たち)は、もともともっていた生命の連関の名残により、新たにつむがれた文の中でも新しく輝く。書評執筆者は一種の花道家として、さあ、見てください、といえるかたちと色合いを、限られた字数のうちに実現しようとする。そこには意味も過剰なくらいに入っているのだが、どれだけ伝わるかはわからない。最低限つたわるといいと思えるのは、論じられる元の本それ自体が、この世界に対して与えようとしていた振動。個々の本の意志、そのafterglow。
今世紀に入ってからもかなりの点数の書評を書いてきたが、紙幅にはつねに物理的制限あり。本書にもそのすべてを収録することはできなかった。そもそも、データもすでに散逸しているのは、それぞれの文がいきものである以上、仕方がない。かれらは逃げていったのだ。それでもここに収めることができた書評とエッセーが、この十年あまりの自分のそれぞれの本に対するそのつどの動物的反応だとはいえるだろう。ありがとう、本たち。ありがとう、その作者たち。震災後、二年間にわたって書評委員として読売新聞に書いた文はすべてを収録することにした。一時代の新刊書という動物たちの群れに対して、一匹の犬がだいたいこれくらいの幅で反応している、というサンプルのつもりで。
錯綜をきわめたにちがいない編集を担当してくれた出版社コトニ社の後藤亨真さんに、心から感謝します。
二〇二三年四月九日、狛江
上記内容は本書刊行時のものです。