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“ニューノーマルな世界”の哲学講義
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2020年12月21日
- 書店発売日
- 2020年12月18日
- 登録日
- 2020年9月16日
- 最終更新日
- 2020年12月15日
紹介
先行き不透明な“ニューノーマル”の世界を疑え!!
学問領域のみならず、テレビ、新聞、Webメディアなどで幅広く活躍する哲学者・西谷修による、現代の人間が「哲学的に考える」ことについての超入門書。キャッチーだけど空疎で怪しい「言論」がネット空間を埋め尽くす今の社会で、人間がまともにものを考えるためにはなにが必要なのか? そもそも考えることってどんな意味がある? 古代より人類に脈々と受け継がれてきた「哲学の伝統」、現代社会を形作った「戦争と文明の歴史」、オリンピックにもかかわる「身体性」などのキーワードを深く解析。コロナ禍、無限に拡張するデジタル技術――あらゆるものが不安定かつ急激に変化する世界に、「ただ流される」ことなく生きる方法のすべてがここにある!!(カバーイラスト:榎本俊二)
目次
プロローグ
第1章 「考える」ことを考える
1 「哲学的思考」とは何か 012
2 言葉から哲学へ 024
Column はじめに言葉ありき 034
3 ソクラテスの墓標 035
4 哲学は「役に立つ」のか? 045
5 「日本語で考える」とは 056
Column 近代ヨーロッパの「常識」 067
第2章 「考える」ことの実践/戦争とオリンピック
1 近代ヨーロッパ・アメリカの戦争 070
2 20世紀の世界戦争 088
3 神話の役割 096
Column 人間のいない世界の美しさ 112
4 新しい戦争 114
Column 資本家と法人企業のための国家 131
5 「文明」の構造 133
6 スポーツの中に生きる身体 145
7 「人間」の祭り 160
Column 古代ギリシアのもうひとつの祭り 169
第3章 総論/サイバー・レールのその先へ
1 「わたし」とは何か 172
2 哲学の近代~現代 184
3 「人間」が生き残るために 195
エピローグ 207
前書きなど
プロローグ
本書は2019年に神戸市外国語大学で行った夏季集中講義がベースになっています。科目名は「哲学特殊講義」で、通常なら学問としての哲学の中から「特定の」テーマを取り上げる、というものだったでしょう。けれどもわたしはこの「特殊」という語の意味を少し強引にとらえて、「哲学」をより幅広く多様な視点から扱う、「特殊な」哲学講義を行いました。
たとえば皆さんが世の中のことや身の回りのことなど、日々考えているいろいろなことを、よりよく、また厳密に考えようと思ったとします。そのときに役立つようなかたちで哲学をとらえ直す、というのを「特殊な」哲学講義の主な目的としました。日常の中で、自分の考えをより確かなものにする、あるいは出来合いの考え方にそのまま身を預ける前に、「ちょっと待て、考え直せもう一度」と踏みとどまって足場を固める、そういったときの助けになるようなものとして哲学をとらえ直してみたい、とかねがね考えていたからです。
哲学というのは、よりよく考える、ひいてはよりよく生きる、という以外の目的をもっていません。哲学という語は「フィロソフィー」の訳語で、もともと「知を愛する」という意味です。日本語に訳すと「愛する」なんていう言葉になりますが、要するに、知ることが好きでたまらない、虜になる、ただし知をとても大事に思うことで、だからそのために死んでしまうことさえある、そんなこだわりのことをいいます。哲学は古代ギリシアのソクラテス[*1]に始まるとされていますが、そのソクラテス自身、自分の知に殉じるようにして刑死しました。その死によって哲学が生まれ、今日まで受け継がれることになったのです。
ソクラテスは自分が「無知者(知を軽んじる者)」だとは思っていませんでした。だから「知をもっている」という人たちと議論し、対話の中で相手の「無知」を悟らせながら、「知」への道を示していこうとしたのです。そして、そんなふうにして「知」をもたらす営みを「産婆術」とも呼んでいました。現代に生きている皆さんがよりよく考えることのお手伝いをしようというこの講義も、手前勝手にいえば、ソクラテスの「産婆術」に似た哲学の実践といえるかもしれません。そんな「特殊な講義」を展開したいと思います。
まず第1章では、「考える」とはどういうことなのか、ということを扱います。なぜ、誰もが自然にやっている「考える」という行いをわざわざ検討する必要があるのか。それは、これから何度も繰り返し出てくるフレーズですが、「人間は一度生まれたら考えることをやめられない」、そしてそこに乗っかっているからです。「考える」ことは人間のすべての営みの前提となるものです。これを踏まえることで初めて、われわれは自身を取り巻くさまざまなことに相対することができるのです。
さらに、ひと口に「考える」といっても、自分が生きている世界の中で、その世界に関することを考えるためには、人類が過去に積み重ねてきた知の歴史に多少は心を寄せなければなりません。それらが今現在の世界を形作っていることを常に意識する、つまり、時間のパースペクティブを広くもつことで、生きている「今」を立体的にとらえることができるのです。そういうわけでこの講義では、哲学の歴史が始まったとされる古代ギリシアまで遡って、人類が「考える」ことにどう向き合ってきたか、その変遷を見ていきます。
また、人間が何かものを考える際、そこから絶対に逃れられない「言葉」と「文字」についても、その根源をたどってみましょう。言葉も文字も、皆さんにとっては当たり前の存在で、普段は意識することが少ないかもしれません。しかし、言葉がなければ考えることができませんし、文字が生まれたことによって、限定された人びとのみが共有していた「記憶」が、人類の「記録」になりえたことを念頭に置けば、これらを扱わずして、「考える」ことを考えることはできないといえます。
「考える」ことの概要をおさえたところで、第2章ではわたしたちの日常に直接関係するテーマをいくつか取り上げてみます。たとえば戦争や文明、スポーツなどです。一見これら―特に戦争―はわたしたちの日常にはそれほど関係ないと思われるかもしれませんが、実はとても関係があります。現在の世界の在り方は戦争の変容によって規定されているからです。ここ数百年の歴史を通して、国民国家が形成され、ナショナリズムが生まれ、世界大戦が勃発し、核兵器が開発・使用されてきました。未来の戦争にはAIもかかわってくるでしょう。人類に「イノベーション」をもたらしたとされる科学技術の多くは、戦争によって生み出されてきました。つまり、わたしたちの日常にますます深く入り込みつつある「テクノロジー」だけに着目してみても、それは戦争と分かちがたく結びついており、それはまた現実世界を支える「文明」の流れを決定づける働きをしてきたのです。
「テクノロジー」がデジタル技術の急激な発展を促しつつある今、「生身で生きている人間」と「バーチャルな存在」は、何によって区別できるでしょうか。古代から現代に至るまで、社会関係の中で「身体を生きている」ということが見えるかなりの部分は、スポーツが担ってきました。スポーツには他者に見られる見世物としての側面があります。古代ギリシアで始まったオリンピックは本来身体の能力を見せ合って寿ぐ共同的な営みでした。パフォーマンスにみんなが立ち会うことが、「人間の身体性」の共同体験になっていたのです。そのことを踏まえて、第2章の後半ではスポーツとオリンピックについて触れています。
最後の第3章では、デジタル技術とともに進展する現在、そしてこれからの時代において人間が「考える」こと、そしてそれに深くかかわる「書く」ことを現代哲学の展開を踏まえて総括します。
実際に講義を行った2019年には、今、世界で猛威を振るうコロナ禍など誰も予想していませんでした。未来はどんな顔をしてわたしたちの前に現れるのか、誰にもわかりません。しかし、そんな未知の世界を前に、人間に唯一可能なことがあるとすれば、それは真摯に考える、想像することも含めて「考える」こと以外にないでしょう。
空想科学のバーチャル世界が「今」に紛れ込み、もはや「未来」がどこかにいってしまったような時代です。そこで「正しく」生きていくための「新しい生活様式」といった処方箋も出されています。「ニューノーマルの時代」というわけですね。そんな不透明な時代にあえて送り出されるこの本が、正気でものを考えていくための手引きになれば、と願っています。
版元から一言
2019年夏に放送されたNHK「100分de名著 ロジェ・カイヨワ『戦争論』」、また『自発的隷従論』(ちくま学芸文庫)などの著書で知られ、近年ではWeb、新聞などの媒体で鋭く明快な社会批評を行なう哲学者・西谷修が、コロナ禍の現在の世界を切り開く「哲学的思考」を、誰にでも親しみやすい語り口で講義する一冊です。本書のもとになったのは神戸市外国語大学で学部生向けに行なった講義録。そのため、著者独自の知見を含んだ「哲学」といっても、専門的知識なしにその世界に入り込めるポピュラーな内容になっています。
上記内容は本書刊行時のものです。