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幕末小倉藩、流離の歌人 佐久間種と立枝子のうた
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2023年4月5日
- 書店発売日
- 2023年4月1日
- 登録日
- 2023年3月27日
- 最終更新日
- 2023年5月29日
紹介
時代を超えた愛を伝え,見事な相聞を成す作品群
もののふの心と歌の道
文久元(1861)年,立枝子危篤の報に種は旅先より急ぎ帰郷,以後,4人の子を育てつつ,亡き妻の遺稿を編纂・浄書,自身の『果園雑咏百首』を上梓した後,明治25(1892)年に没する──。これまで研究論文で一部しか紹介されていない佐久間種の『果園雑咏百首』と、立枝子の「遺稿 呉機(くれはた)」を初めて翻刻し紹介、その事績を辿る。
佐久間種─ことのはも及ばぬ春の明ぼのにかすみてにほふ山ざくらかな
(『果園雑咏百首』より)
立枝子─いかで君そのふの花にいそがるるこころをくみてはやか減りませ
(「廣江立枝子遺稿 呉機 下」より)
目次
序[山本武弘]
凡 例
果園雜咏百首 全
もののふの心と歌の道 『果園雑咏百首』に寄せて
『果園雑咏百首』との出会い/種先生/種の生い立ち
種の結婚/立枝子の生い立ち/京への舟旅
住まいつぎつぎに/八屋三本松、松岡山へ
「すずしきかたへゆくぞうれしき」/松岡山を去る
小倉戦争の間にも多くの歌を詠む/雪の国分寺(四季の歌)
春の若草/種の曽孫、墓参のため来豊/『歌集 ドッグウッドの花』
廣江立枝子遺稿 呉機(抄録)
小倉六歌仙五十首和歌集(抜粋)
資 料
歌聖 佐久間種の遺蹟[辛島並明]
豊前の国学者佐久間種の和歌を集む
佐久間種の書
「狼の叫ひし聲にゐさむれは…」[釈:棚田看山]/「のがれ来てかくれし艸の…」
篠崎八景/大正時代の歌会(写真)
佐久間種と立枝子の墓所(写真)
青木典則夫妻の墓/松岡翁之墓
佐久間種と立枝子の略家系図
佐久間種と家族の略年譜
参考資料
あとがき
前書きなど
佐久間種は、享和三(一八〇三)年、小倉藩士松岡敦盈の二男として、東小倉に生まれる。十一歳の時、同藩の佐久間文作の養子となる。祖父の家を継いだのである。
父が武芸で登用されなかったため、種は、文官として藩のためにと、厳しく身をつつしみ、父に武芸を習いながら、六歳の頃から文字を習い、漢学を藩校(思永館)に、和歌、国学を秋山光彪に学んだ。種は、歌は万葉に限ると言い、万葉調の歌を詠み、長歌を多く残した。
寛政二(一七九〇)年、江戸幕府は「寛政異学の禁」を出し、幕府の学問所に対して朱子学以外の儒学を禁じた。藩校や私塾には適用されないのだが、朱子学を積極的に取り入れる藩校もあり、小倉藩においても、であった。種は、朱子学は実践の道ではない、と藩庁に訴えたが、受け入れられることはなかった。
(「もののふの心と歌の道」より抜粋)
上記内容は本書刊行時のものです。