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ファンキー中国
出会いから紡がれること
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2025年2月10日
- 書店発売日
- 2025年1月24日
- 登録日
- 2024年12月10日
- 最終更新日
- 2025年4月25日
書評掲載情報
2025-04-21 |
週刊エコノミスト
評者: 明治大学教授:加藤徹 |
2025-04-05 |
毎日新聞
朝刊 評者: 池澤夏樹(作家) |
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紹介
在庫あり
価格:2300円+税
音楽、クラフトビール、TikTok、豆腐屋、祭祀、ロックフェスに伝統劇――
多彩な書き手が一堂に会し、それぞれの視点と切り口で描く、ファンキーな中国体験記!
音楽家や収集家、映画祭主催者、祭祀採音者、研究者など13人が集まり、自身の体験した「中国」をそれぞれが思う存分に綴ったエッセイ集を刊行。
80年代の「魔都」上海と食の記憶、中国の村に出現したド派手なステージでのライブ、TikTok で見つけた瀋陽公園で溌溂と踊る人々。70年代の文革期から現代中国という時代をまたにかけ、北京の胡同(フートン)から雲南省、 果てはフランスや台湾、モンゴルにまでエッセイの舞台が広がっていく。
報道では伝えられることのない、書き手たちが映し出す中国の姿。「伝統」に新しいものを豪快に取り入れる姿があり、厳しい規制があるなか、生活に染み入る絶妙な「ゆるさ」や「自由」がある。ときにはカルチャーギャップと呼ばれるような衝撃にも戸惑いながら、書き手ひとりひとりが経験した小さな「出会い」を紡ぎます。
中国といえば国家や政治や歴史という大きなイメージをつい頭に浮かべてしまいがちですが、人と人が出会う小さな瞬間にこそ、かけがえのないものがある。そんな、ひとつの希望を感じるような一冊を刊行します。
本文とカバーのイラスト及び装幀は、『送別の餃子』でお馴染みの佐々木優さん。「14人目の書き手」として、自身の記憶に残る中国の街並みをカバーに描いていただきました。
目次
〇目次
◆中国の〝ないないづくしの音楽〟
山本佳奈子
◆上海一九八七
広岡今日子
◆伝統は、生のものですから。
長嶺亮子
◆「おじさん動画」と自由の風
無常くん
◆尖閣列島わったーむん
宮里千里
◆自由・平等・豆腐:豆腐伝道師・李石曾をめぐって
二村淳子
◆インタビュー 中国~アジア、地べたの音楽家どうしの交流
大友良英
◆北京現代アートをめぐる回想:芸術区の変遷を中心に
多田麻美
◆中国独立電影を振り返る
中山大樹
◆滲む国境
OKI
◆北京精釀啤酒(クラフトビール)攻略記二〇一五
濱田麻矢
◆康定人民飯店61号室:のんしゃらんチベット放浪記
武田雅哉
◆かくも長き中国駐在
井口淳子
前書きなど
【まえがき:井口淳子】
2024年10月、コロナ禍の数年を経て久々に京都でとある国際シンポジウムが開催されました。58組の発表者の大半が中国からの参加者であり、われわれ日本人は、中国語が飛び交う完全にアウェイと化した会場で立ちすくんでいました。周囲はほぼ中国人、でも場所は京都という不思議な空間で、まず声をかけてくれたのがあの二か月以上封鎖された武漢在住のS先生。「1995年を覚えていますか? 私はあの時、大阪の学会で初めてあなたに会いました。もう30年も経ちました!」。そう言われて、あっ! と当時を思い出しました。その後も次から次へと懐かしい面々との再会が続きました。思わず涙ぐむほどみなさんはしっかりとご自身の記憶の中の日本と日本人を鮮明に記憶されていました。日本人どうしなら相手の身体に触れませんが、もうさわる、さわる、引っ張る、抱きつく、ああ、この感じ! これが中国だ! そう感動している最中にある出来事を思い出しました。
国際間の往来が完全に遮断された2021年旧正月、遥か黄河流域の村に電話をかけたことがありました。30年ぶりの電話(甥っ子の携帯)に出たホームステイ先のおじいさんが開口一番「今年、ジンコウ(井口)は**歳になったな」と言ったのです。私はびっくりして頭が真っ白になりました。世界中の一体どこに、30年前に自分の村にやってきた外国人の干支=年齢を覚えている人がいるでしょう。短い出会いをかけがえがないものとして記憶し続けるそのピュアな心もちは私を打ちのめしました。
この本の中には大きな主語は存在しません。中国とか中国人とかそのような茫漠とした巨大過ぎる主語はありません。私たち13人はそれぞれテクテクと自分の足で曲がりくねったデコボコ道を歩んできました。そしてその道中、記憶の中で決して色褪せることのない人々や出来事に出会いました。その一つひとつのかけがえのない出会いから生まれたのが本書の13編です。
今、確かに中国は遠い国になっています。けれども、突然、氷河が溶解しないと誰が断言できるでしょう。
それまでにわれわれはじっくりとこの『ファンキー中国』という書物の中の13の旅に同行しようではありませんか。
【あとがき:山本佳奈子】
描かれる年代も地域も題材もさまざまで、笑えるほどにてんでんばらばらの13章。初校を読んだとき、「これは中国らしすぎる!」と喜んだ。50以上の民族が暮らし、地域によって話し言葉も異なり、さらには同じ省内でも都会と農村では別世界、たった数年で街並みも変わっていく。「中国とはこうである」なんて、誰にも言えない。てんでんばらばら、それが中国だ。
日本のメディアや本(学術書以外)における中国のトピックといえば、経済や政治が圧倒的に多く、そうでなければキッチュな文化をおもしろおかしく取り上げるもの、最悪の場合は蔑視や差別……。そして「中国とはこうだ!」と見得を切る論調が多い。私は非常に不満だった。灯光舎の面髙悠さんよりこの企画にお誘いいただいたとき、この本で、日本における中国のイメージを変えてやろうと思った。井口淳子さんから6名、私から5名、中国と縁深い方々に声をかけ、それぞれのミクロな体験を仔細に紡いでもらった。そうしたら、綴じられているだけで統一感のない、混沌とした本になってしまった。おもしろい。
そんな本だから、ルビは全体統一しておらず各著者の表記を採用している。編者2名と灯光舎の3者で編集実務を担い、それぞれに意見が分かれ協議を重ねたこともあったが、著者が望む表現を尊重した。
書名について。井口さんと私は当初、面髙さんが強く押したファンキーという言葉にポカンとしていた。中国で長年活躍している偉大なミュージシャン(ファンキー末吉氏)が思い浮かぶし、元は黒人音楽を発端とする言葉である。事典を引けば「臭い」という意味だったらしいともある。しかし現在は、イケてる、キマってる、躍動的、興奮、というような意味合いに変化して、全世界に浸透してしまっている。音楽の枠をも飛び越えて乱用されている向きもあるが、時代につれて変化してきた魅惑的な言葉だ。校正を重ね何度も原稿を読むたびに、〝ファンキー〟しかもうありえない! と思うようになった。
ページをめくるごとにジェット機に乗ったりタイムマシンに乗り換えたりして、13名の旅に同行した読者の皆様、お疲れさまでした。今、きっとこう思っていることでしょう― 「中国、ぜんぜんわかんない!」
その通り。中国なんて巨大な国のことは、誰にもわからない。〝国〟ではなく〝人〟との出会いを紡ぐ本が、このあとにどんどん続きますように。
上記内容は本書刊行時のものです。