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フランクルと「共苦」の思想
人はなぜ苦悩の中でも他者を助けるのか
- 初版年月日
- 2025年6月10日
- 発売予定日
- 2025年6月10日
- 登録日
- 2025年4月11日
- 最終更新日
- 2025年5月14日
紹介
人間の本質を「苦悩する人間」ととらえ、私たちは「生きる意味を人生から問われている」と考えたV. E.フランクル。避けられない苦悩に意味を見出し、それに対する態度を決断すること、と同時に他者の苦悩できる力を信じ、その苦しみの中に意味があると確信し共に苦悩すること──、この勇気によって人間は完全に自分自身となり、他者との社会的なつながりが生まれる。臨床で苦しみを抱える多くの患者に接し、自らの苦悩にも向き合ってきた医師で医学哲学者である著者が、フランクルの思想を通して「生きる意味」と人間存在の深みを問う。
目次
第1章 フランクルが考えたこと──人生からの問いかけに応える
1 フランクルについて──個人的な体験を通じて
2 フランクル思想のエッセンス
1 生きる意味と決断
2 人生から問われている人間
3 実存的空虚とロゴセラピー(実存分析)
4 次元的人間論と精神的次元の特徴
5 科学主義批判とニヒリズム批判
6 病むことのない/破壊されることのない精神的人格
7 死の意味
第2章 生きる意味を科学はどうとらえるか──寿命や心身の健康への影響
1 生きる意味に関わる科学的研究
1 人生の目的と死亡率・心血管疾患
2 人生の目的と死亡率
3 人生の意味/価値が与える心理的社会的行動的影響
4 人生の目的と心血管疾患およびそのメカニズム
5 副次的結果としての健康影響──フランクルからの注意
2 リカバリー(回復)と生きる意味
第3章 生きる意味への進化論の影響──優生思想の視点から
1 進化論の基本的な主張
2 進化論はなぜ重要か──三つの観点から
1 進化論の影響1──キリスト教を中心とする世界観や医学・科学への思想的影響
2 進化論の影響2──社会への影響:社会ダーウィニズムと優生思想
3 進化論の影響3──生きる意味への影響
第4章 生きる意味をめぐる諸問題──生かされている人間への気づき
1 やまゆり園事件
1 事件の概要と問題点
2 事件の背景にある優生思想
3 「生きるに値しない命」とパーソン論
2 安楽死の問題
1 海外で安楽死を選んだ多系統萎縮症の女性
2 安楽死と尊厳死
3 自己決定権と自己決定権批判
1 自己決定権
2 自己決定権批判
4 和田秀樹の主張が受け入れられるのはなぜか
5 内観療法と生かされている人間への気づき
6 「周囲の人に迷惑をかけてまで生きたくはない」──自立神話批判
第5章 共感・共苦への科学的アプローチ──なぜ私たちは他者を助けたいと思うのか
1 共感と向社会的行動
1 共感・共苦と報酬系
2 ボトムアップとトップダウンのメカニズム
3 進化から見た共感と向社会的行動
2 共感・共苦に関する人を対象とした研究
1 共感が風邪症状の改善に影響を与える
2 病院チャプレンの共苦が患者のうつ症状を軽減する
3 専門職の共感/共苦とトップダウンのメカニズム
3 社会的痛みと孤独
1 孤独と孤立の違いと「社会的痛み」
2 孤独と脳
3 孤独と死亡率
4 孤独と共苦
第6章 苦悩する人間──苦難に対して私たちはどんな態度をとるのか
1 「態度価値」と苦悩する人間
2 根源的な人間観としての「苦悩する人間」
3 苦しみのキリスト教的意味
4 ダライ・ラマによる苦悩の解釈と代理苦という思想
第7章 共苦する人間──他者の苦しみに向き合う
1 共苦する人間とは
1 苦悩する人間から共苦する人間へ
2 病む人の苦しみに向き合い、手を差し伸べる──V・V・ヴァイツゼカー
3 ダライ・ラマによる「共苦の思想」
2 共感する人間と共苦する人間の違い
3 共生社会と共苦社会──無関心な棲み分け批判
4 呼び覚まされる人間性
5 共苦の三つの意味と医療者の原点としての共苦
6 安楽死問題への応答
7 やまゆり園事件への反論と人格の問題
第8章 共苦する勇気へ──苦悩する人とともに歩むために
1 ある患者さんのこと
2 共苦する勇気
前書きなど
医療者であれば誰でも忘れられない患者さん、臨床経験があります。精神科研修医一年目の秋、外科病棟の患者さんをオーベン(指導医)の先生二名と担当することになりました。当時は、多くの場合三人体制で一人の患者さんを担当し、助教授(現在の准教授)や講師の先生が一番上の指導医となり、助手(現在の助教)の先生が研修医の指導を直接行いました。精神科では精神科病棟に入院中の受け持ち患者さんだけを診察するのではありません。精神科以外の、内科や外科系の病棟に入院している患者さんの精神的な訴えに応える「リエゾン精神医学」と呼ばれる領域があり、研修医として初めてそのような患者さんを担当したのです。
その患者さんは四〇歳くらいの女性で婦人科系のがんに罹患し、他臓器への転移を認め、末期状態でした。精神科にコンサルトがあったのは、その患者さんが「夜眠らない」「何もしゃべらないため病棟のスタッフと疎通が取れない」「スタッフを睨にら
むように見続ける」などのために、外科病棟のスタッフも対応に苦慮していたためでした。当時、助手の先生はある薬剤を点滴し、患者さんが眠れるように対処しました。不眠時にはその薬剤を追加するように指示を出しました。
研修医の私は、患者さんのところに行き、その状態をカルテに記載します。患者さんは一人部屋でした。私が声をかけても、何も答えてくれません。表情は能面のようで、天井を見つめたままです。ときに私に睨みつけるような、するどい目を向けることもありました。精神科は、患者さんが話をしてくれてようやく診察がはじまるという要素が強い診療科です。ですから、何も話をしてくれない患者さんに対しては、病室に行っても、私は何もできないのです。「無言であるというのも、一つのメッセージ」だと本では読んでいましたが、私にはそのメッセージを読み取る能力も心の余裕もありませんでした。
その患者さんを訪問するのがだんだん苦痛になってきました。でも、カルテを書かないと「さぼっている」と思われるのも不本意なので、行かざるをえません。私はその患者さんの部屋のドアをノックできずに、そのまま通り過ぎて病棟の突き当たりまで行き、そこから戻ってまた患者さんの部屋の前で立ち止まり、ドアをノックできずに……。周りから見たら「徘徊している」としか見えないような奇異な動作を何度繰り返したことでしょう。それでも何とか訪問し、カルテに所見や自らの考えはできるだけ記入していきました。今でも当時の無力さを思い出し、つらくなります。
その後しばらくして、その患者さんが息を引き取られたと連絡を受けました。病室を訪ねると、夫と四歳くらいの娘さんがいらっしゃいました。眼鏡をかけた、真面目で優しそうなご主人でした。すでに覚悟をしておられたのでしょう。挨拶をした私に、取り乱すこともなく、次のようにおっしゃったのです。
「私はクリスチャンなのですが、彼女にも信仰があったら、もう少し苦しまなくてもよかったのかもしれません」
まだ四〇歳になるかならないかの若さで、愛する夫と一人娘を残してこの世を去ることは彼女にとってどれだけつらかったことでしょう。実はその女性は看護師でした。毎回点滴やバイタルチェックに訪れる看護師をみて、「本来なら自分がこのように患者さんを看護していたのに」と思われたのかもしれません。元気に大学病院で働く看護師たちの姿を、本心では見たくないと思っていたとしても、何ら不思議ではありません。彼女は自分の状態を哀れに思い、みじめに感じ、現実を受け入れることができていなかったのかもしれません。
彼女は本当に苦しまれたと思います。そして研修医一年目の私もつらかった。彼女の病室のドアをノックするときのつらさ。何もできないことのつらさ。そしてこの体験が、その後の私の医療者としての問題意識に大きな影響を与えつづけることになるのです。
本書の目的と特徴
本書の目的は、精神科医のヴィクトール・フランクルの思想に基づきながら、「共苦」の意味について考えることです。「共感」という概念は広まっていると思うのですが、「共苦」というのはそれほど知られた概念ではありません。なぜ「共苦」について考えるのでしょうか。それは共苦という概念が社会に広く行きわたることで、現在私たちが直面しているいくつかの問題を解決するヒントが見えてくるのではないかと考えるからです。人と人が連帯し、助け合うことの必要性が、腑に落ちるように思うのです。そして、この「共苦」という概念の基礎となるのがフランクルの思想です。
本書の特徴を三つ挙げたいと思います。
一点目は、すでに述べたように、フランクルを手掛かりに共苦の意味を探ることです。
二点目は、科学的な事実を紹介しつつ議論を深めていくことを試みた点です(第2章、第5章)。それは、現代においては、ある主張を提示する場合、その主張の根拠となる科学的な裏づけがあると、多くの人が受け入れやすいと私は考えるからです。加えて、科学研究が共苦や共感に関する思想的理解を深めてくれるのだと考えます。共苦という問題を、「汝、○○すべし」というような道徳や倫理の問題としてだけ論じるのではなく、哺乳類に属する生物としての人間が本能的に持つ、あるいは自然に湧き起こる感情や動機として理解してはどうかという点にあります。「共苦」を通して私たちの内にある自然な、自発的な衝動、それを再度見つめなおす必要があるのではないか。そのような心の、あるいは身体の声に無関心であるのは、現代のさまざまな価値観や常識に知らず知らずに縛られて、そうした内なる声に耳を傾けなくなってしまっているからではないか。そのことが、私たちの生きづらさや社会の閉塞感にも関わっているのではないかという思いがあります。
三点目は、障害者殺傷事件(やまゆり園事件)や安楽死を選んだ女性のエピソードなど、いのちに関わる社会問題を具体的に取り上げながら、「生きる意味」や「苦悩」の問題、そして「共苦」の問題を考えるようにした点です。
本書は8章から構成されています。第1章ではフランクルの思想について概観し、全体像を示します。第2章は生きる意味が健康や寿命に及ぼす影響を科学的知見から検証します。第3章は進化論を生きる意味と関連づけながら取り上げ、その影響が科学だけではなく私たちの思想(考え方)や社会にどのような意味を持つのかを考えます。第4章は、知的障害者施設での事件や、安楽死を選んだ女性の例を紹介しながら、「生きる意味」を考え直してみたいと思います。また内観療法を通じて得た体験を紹介し、生きる意味を「支えられている」「生かされている」という観点からも考えます。第5章は共感や共苦に関わる科学的研究を紹介します。とても興味深い論文をいくつか紹介します。そして「トップダウン」と「ボトムアップ」という概念についても紹介します。第6章では、フランクルだけではなくキリスト教や仏教などの教義も参照しながら、人間を「苦悩する人間」ととらえ、「苦悩」の意味について考えます。第7章では「共苦」とは何かという問題を論じますが、ここでは第1章から第6章まで述べてきた内容、つまりフランクルの思想や安楽死の問題、さらに科学的知見などを踏まえながら、「共苦する人間」という人間観を提示します。特に、「垂直軸」と「水平軸」という観点から人間を理解し、共苦の問題を考えます。また、共苦という概念を三つに分類して考察します。そして第4章で取り上げた問題への回答を提示します。最後に、第8章では、実際の体験を通じて、共苦することの意義を再度考え直します。
上記内容は本書刊行時のものです。