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自然の哲学(じねんのてつがく)
おカネに支配された心を解放する里山の物語
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2021年8月20日
- 書店発売日
- 2021年8月20日
- 登録日
- 2021年7月13日
- 最終更新日
- 2023年8月1日
書評掲載情報
2021-11-15 | 月刊フレグランスジャーナル 11月号 |
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重版情報
2刷 | 出来予定日: 2023-06-01 |
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紹介
自然〈しぜん〉と人間を区別することなく、
両者が一体となった自然〈じねん〉の世界。
里山とはそのような場所であり、変わりつつある今も、
さまざまなことを教えてくれる。
里山に移住してきた若い人たちとの対話を手がかりに、
自らも里山に移住した環境学者が思索を深めてたどりついた、
サステナブルな生き方とは――。
田舎暮らしにあこがれているけれど、迷っている人、必読。
もちろん、移住を決めた人、すでに移住した人にもおすすめ。
そして、移住者を受け入れる側の人たちにもぜひ読んでほしい。
この危機の時代に、田舎に暮らすことの意味が掘り下げられ、
同時に問題点も明らかにされますが、それでも希望が見えてきます。
人とつながって、自然とつながって、生態系の一員として暮らしていくこと。
それがいまある生態系を維持し、その恵みを将来世代へとつないでいく。
田畑を借りて自家用コメや野菜をつくり、山で木を伐って燃料を調達する。
そんな日常が、おカネに支配された心を解放してくれる。
持続可能な自分も、未来も、里山から始まります。
目次
はじめに
第1章 里山世界と村の成り立ち――自然の一部としての人間の暮らし
里山とは何か――さまざまな生き物が息づく場所
村のルーツをたどる
楽しいから集まって仕事をする―― 結と普請
信仰のグループからおカネの相互扶助へ
「村はよそ者に冷たい」はほんとうか
生きた化石
第2章 せめぎあう村と国家――自治vs.統制のゆくえ
明治維新で中央の村への介入が始まった
心の統制の始まり、廃仏毀釈
格差を広げた地租改正
田舎が最も輝いた時代
禁断の果実
共有される物語を求めて
第3章 森と農の物語 ―― 自然から浮き上がっていく人間の姿
宇宙から見える日本の人工林
山で働くことの意味
そして雑木林は失われた
森づくりビジョン
慣行農法の功罪
第2種兼業農家という生き方
有機農業・自然農・自然栽培
第4章 水俣と福島から「生国」を学ぶ――生命に対する責任とは
滅びゆく里海
水俣病
「チッソは私であった」
おカネでは解決できない
放射能あふれる里山で
生 死
原生林
死という使命
第5章 「おカネ」の物語から自由になる―― 巨大な力に翻弄されないために
我が心の中の「日本国」
現代人が共有する物語としてのおカネ
主人公は資本
疎外のない企業活動は可能か
モード
オフグリッドで生きる人たち
おカネ道
第6章 解けなくなった人生方程式 ―― 「人並みな暮らし」は幸せなのか
だれもが夢見た一生安泰物語
成長時代の夢のまま変わらない教育
変化の兆しとかすかな希望
第7章 第2次移住ブームがやってきた―― 自分らしい生き方を求めて
なぜ田舎から出ていくのか
なぜ田舎にやってくるのか
どんな仕事をして食べていくか
里山の子育て
第8章 「弱さ」の物語 ―― 価値の大逆転
「to do 」から「to be」へ
「弱さ」がもつ求心力
弱さの情報公開
第9章 自然の哲学――物語を書き換える
科学の物語 ―― もう一つの信仰
「いのち」の物語―― 生態系×進化の織物
せめぎあい――メガソーラーによる環境破壊に思うこと
じねんに生き、じねんに死ぬ
木の声を聞く―― 「いのち」の物語へのレッスン
ご縁
いまを生きる
おわりに
前書きなど
はじめに(一部抜粋)
本書のタイトルにある自然という言葉をはじめて聞いたのは、哲学者の内山節氏の講演だった。内山氏は豊田市山村部の地域づくりの仲間たちの招きでたびたび現場を訪れていた。氏によれば自然というのは、明治になってからnatureの訳語として当てられたもので、もともとはじねんと読み、自ずから然るべきようになる世界を表す言葉であった。そこでは自然と人間を区別することなく、両者が一体となった世界を表していたという。里山とはまさにそのような世界だ。
さらに私がこの言葉の意味を深く考えるようになったのは、自然農の実践家である川口由一氏を豊田市に招き、講義とともに、田んぼでの作業を指導していただいたときだった。川口氏によれば、田畑の中にいる多くの生き物の一員として、作物は自ずから然るべきように育つので、人間はそれに最小限の手助けをすればよいということだった。そこから私は学生と一緒に小さな田んぼを借りて自然農のやり方で米作りに挑戦した。3年やって見事に一粒も収穫できず、この挑戦は失敗に終わったのだが、私はこの経験から多くのことを学んだ。足元にたくさんの水生昆虫が動き回り、頭上をトンボが群れ飛ぶ田んぼに入って手足を動かしながら、考察を進めることができた。
私たちは毎日忙しく働き活動している。私には、皆が一生懸命頑張った分だけ、世界が悪い方向に向かっているような、なんとももどかしい思いがある。それは、本来は自ずから然るべきようになろうとしているものを、無理に人為的にねじ曲げようとしているからではないか。そういう目で社会のできごとを見るようになると、農業だけでなく、いたるところで同様な構図の事例があることに気づいた。なぜそうなってしまうのか、自ずから然るべきようになるにはどうなればよいのか。私たち一人ひとりが自ずから然るべきように生きられるようになるにはどうなればよいのか。これが本書に通底するテーマである。
本書ではまず、現在の田舎と里山の姿を正確に理解するために、そこに埋め込まれている「生きた化石」ともいえる歴史の断片を解きほぐしてみたい。2章では、明治以降にそれがどのように変質したか(変質させられたか)を示したい。戦後の高度経済成長期に田舎の姿は大きく変わり、都市も含めて社会全体が大きく変わった。その現実から読み取ることのできる社会の根底にある哲学を発掘しながら、その問題点を明らかにできたらと思う。
3章では、田舎の主な産業であった農業と林業の歴史と現状を概観し、4章では、人間を含めた生き物・自然環境が多大な被害を受けた水俣と福島から、私たちが生きる世界とは何かを考え、里山という場所の価値を再考する。
5章では本書の副題にある「おカネ」をはじめとした「疎外」の問題と近代社会の構造をわかりやすく解説する。若い人たちと話していると、彼らが抱える将来への漠然とした不安感の底におカネの問題があることがわかる。長時間労働でストレスの高い仕事をしながらも、将来に向けて収入が上がっていく実感がない。おカネを中心において、自分の人生を決めることに葛藤しながらも、そうせざるを得ないと言い聞かせている。おカネに心が支配されてしまっている状態だ。そこからどうすれば自由になれるかを考えていく。それは、今後の持続可能な社会を築いていくためにも重要なテーマである。
6章では終身雇用・年功序列という社会制度がどのように生まれ、その原因とも結果ともなった戦後の教育のあり方の問題点を指摘したい。7章では現在の移住ブームがどのようなもので、その意味するところは何か考察する。8章では近代社会の中でないがしろにされてきた「弱さ」の価値を考察する。
最後の9章では田舎にやってきた若い人たちとの対話の中から見えてきた、今後の田舎と都市を含めた社会全体のベースとなるべき自然の哲学を議論したいと思う。
版元から一言
著者は2001年に設立された名古屋大学に環境学研究科に移籍してから、再生可能エネルギーの普及に関する研究と農山村の地域再生に関する研究・実践を行ってきました。最初は豊田市の山村部でフィールドワークを行い、その後岐阜県にフィールドを広げ、恵那市飯地町の標高600mの高原の村に移住し、地域再生の現場で一住民としてもかかわってきました。
その過程で、著者は田舎に移住してくる若い人たちとたくさん対話してきました。かれらとの交流から見えてきたのは、都市での生きづらさであり、それから逃れるように田舎を目指してきた人たちは、「ここには求めるものがすべてある」と感じているという事実です。これまでは「何もない」と思われていた田舎にすべてがあるというのです。
それが何を意味するのか――。私たちがこれまで自明としていた豊かな社会を支えてきた価値観が、彼らの中では根本的に転換しているのではないかと著者は感じました。そして、この価値観の転換は、私たちの社会が持続可能なものになるために社会全体で共有すべきものではないかと考え、それを「自然(じねん)の哲学」として記述し、まとめたのがこの本です。
上記内容は本書刊行時のものです。