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キネマ/新聞/カフェー
大部屋俳優・斎藤雷太郎と『土曜日』の時代
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2019年12月12日
- 書店発売日
- 2019年12月11日
- 登録日
- 2019年11月7日
- 最終更新日
- 2019年12月10日
書評掲載情報
2020-07-03 | 週刊金曜日 1287号 |
2020-03-27 |
週刊読書人
評者: 井上章一 |
2020-02-22 |
図書新聞
評者: 野上暁 |
2020-02-09 | 毎日新聞 朝刊 |
2020-02-09 | 毎日新聞 朝刊 |
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紹介
日本が戦争へと突き進もうとする1930年代半ば、京都で『土曜日』という週刊新聞が刊行された。1年4カ月という短い刊行期間にもかかわらず、『土曜日』は民衆への志向を持ち、人間への信頼を語りつづけた新聞として、戦後、研究者らから「日本における反ファシズム文化運動の記念碑的な出版物」と賞賛された。
その編集・発行名義人である斎藤雷太郎は、小学校を4年で中退し、職人をへて映画界へ転出したものの、役者としては無名の大部屋俳優で終わった人物である。そんな彼がなぜあの「暗い時代」に身の危険を冒してまで自ら新聞を発行しようとしたのか。知識人が書く新聞ではなく「読者の書く新聞」を目指したのはなぜか。
最後まで「貧乏人に対する裏切りができなかった」斎藤雷太郎という人物への聞き書きを通して、『土曜日』とその時代を描き出す京都新聞長期連載の書籍化。
連載終了当時、複数の出版社から書籍化の話が提案されたというが、この時点では中村は出版に同意しなかった。それからも機会あるごとに書籍化がすすられたが、話は進まないまま30年余りの歳月が流れ、そしてようやく出版化に向けての話し合いが始まった矢先の2019年1月、中村は病によってこの世を去った。今回の書籍化に力を尽くしたのは、近現代史研究者の井上史、『古都の占領』などの著作で知られる西川祐子、そして中村の後輩である元京都新聞記者の永澄憲史である。それぞれ中村と親交があり、本書刊行のためにチームを組んだ。
斎藤雷太郎が映画界に入るきっかけともなる関東大震災が起こった1923年から、『土曜日』が公権力により廃刊を余儀なくされる1937年前後までの日本社会を熟視すると、市民に不自由を強い、戦争につながっていく出来事に嫌でも目が留まる。そして私たちは、2011年3月の東日本大震災以来、あの時代と相似形のような時代の流れが日本で続いていることに気づく。
斎藤の次のような言葉を私たちは重く受け止めなければならない時代にいるのではないだろうか。
「権力に対する憎しみ、ですねえ。この気持ちは今でも同じですよ。力をもったものの偽善性。人間がどこまで悪くなるかという一つの見本ですよ、権力をもったものが腐敗する過程は……」
「自分でいうのもおかしいけど、私は事業をやれる人間だと思っているのですよ。新聞をやっていたら、おそらくやれた。でも、総会屋のような人間になっていたかも知れない。映画にいたときでも、もう少し要領よく監督につけ入って、月給の十円や二十円あげることはできたと思うが、見栄でそれはできなかった。それが人間の誇りというものではないかな、それをやらなかったということは。私の人生をふりかえって結局、貧乏人に対する裏切りができなかった、ということだと思う」
目次
目次
“反新聞記者”中村勝──序にかえて 永澄憲史
第1章 週刊新聞が京に
1 反ファシズム運動の記念碑 週刊新聞が京に/2 わが〝出世〟のあと/3 ウデに自信あった……/4 阪妻プロから松竹へ/5 トーキーの幕あけ/6 ズボラ組の有力者/7 昼食は京大の食堂/8 撮影所に自炊の煙/9 先生、アップを頂戴/10 フィルム工場の職工/11 ズボラ組の大見栄/12 一緒にはい上がる/13 モデルは『セルパン』/14 府庁新聞係のおどし/15 力づけてくれた人/16 夢見る思いの第一号/17 伊丹万作らも寄稿/18 お古の写真凸版使う/19 「有保証」新聞へ突進/20 ついに道が開けた/21 「善意の人々」の存在/22 休刊も赤字もなく/23 志育てた少年時代
第2章 職人から役者へ
24 読者の書く新聞/25 庶民の発想から/26 転々の少年時代/27 初めて見た映画/28 十三歳で奉公に/29 丁稚をやめ職人に/30 転機のきっかけに/31 すでに月給70円も/32 明治座で芝居見物/33 花井お梅事件の事/34 満20歳の記念写真/35 通行人役で舞台へ/36 開ける未来信じて/37 伊井一座で働く/38 決断直後に大震災/39 伊井一座を離れて
第3章 映画界の片隅で
40 にわか小屋の芝居/41 「乃木劇」の一座に/42 映画に初めて出演/43 野心家たちの策謀/44 「籠の鳥」大当たり/45 荒れる帝キネ旋風/46 マキノ映画の人気/47 一ファンの手記から/48 会社、俳優の動向/49 牧野省三の離脱/50 等持院スタジオ継続/51 現代映画専門プロ/52 立石が「東邦」創立/53 帝キネの分裂後/54 牧野省三の独立/55 俳優など続々入社/56 ドル箱スター乱舞/57 演劇の「近代座」へ/58 待遇は素人と同じ/59 初めての海外ロケ/60 再び東亜キネマに/61 久米正雄の探訪記/62 京洛スタヂオ荒し/63 小沢監督が独立へ/64 小沢映画聯盟のこと/65 聯盟、1年も続かず/66 芝居小屋で寝泊まり/67 阪妻プロへ入る/68 初めての月給50円/69 阪妻プロを離れる
第4章 読者の書く新聞
70 「土曜日」を語る/71 役者の夢果たせず/72 鉄路に咲いた花/73 熱意が性格を決定/74 新聞発行への姿勢/75 名前出せぬ執筆者/76 「世界文化」の面々/77 能勢氏を中心に/78 わかりやすく書く/79 検閲に細心の注意/80 当初は部数伸びず/81 読めば、ついてくる/82 増え続ける喫茶店/83 家庭にない雰囲気/84 学生のたまり鎰屋/85 三高生に人気の店/86 浮かぶ喫茶店地図/87 「フランソア」開店/88 兵隊も「土曜日」読む/89 迫り来る弾圧の手/90 特高のデッチ上げ/91 自転車で配達、集金/92 ずらり飲食店広告/93 戦時体制と喫茶店/94 釈放はされたが……
第5章 夢の後始末
95 吉本興業で一年間/96 徴用のまま終戦へ/97 商売への第一歩/98 37年目の会計報告/99 貧乏人を裏切らず
解題・その男、貧乏人を裏切らず 井上 史
「土曜日」の発行者 鶴見俊輔
父・雷太郎のこと 齋藤嘉夫
口伝のあとさき──あとがきにかえて 西川祐子
版元から一言
編者の井上史、西川祐子、永澄憲史の3人が書いた本書の紹介文を以下に掲載します。
わたしたちの共通の友人である元京都新聞記者、中村勝さんが亡くなってからもう一年が経とうとしています。その間、わたしたちは中村さんが最後まで出版を希望し、そのための努力をかさねてこられた企画をうけつぎ、本書の実現をめざしました。上梓の日にたどりつく喜びには、言葉で表現するのがむずかしいほどのものがあります。
『キネマ/新聞/カフェー 大部屋俳優・斎藤雷太郎と「土曜日」の時代』は、中村勝さんが京都新聞朝刊の文化面に、1984年2月1日から9月6日まで全99回、「枯れぬ雑草 斎藤雷太郎と『土曜日』」と題して連載した本文に、編集注と解題を付しています。斎藤雷太郎は、松竹下加茂撮影所の大部屋俳優をしながら、1936年から翌年にかけて、京都人民戦線の最後の拠点の一つと言われた隔週刊の新聞『土曜日』を編集、広告掲載料で組版、紙代、印刷費用を捻出、発行、喫茶店を中心とする頒布網をも開拓した人物でした。戦後は京都の千本今出川で古着屋、質屋を営んでいました。
中村勝さんはその店先に座り込んで80歳になった店主雷太郎の手がすく時間を待ってはじっくりと聞くインタビューをくりかえして、聞き書きによる斎藤雷太郎伝の連載をはじめます。同時に読者にたいして記憶と記録の提供をよびかけました。すると、新聞社に『土曜日』発行と相前後する時代の映画や喫茶店についての京都住民の記憶や映画パンフレット、写真などの資料が届く。そのいちいちが、連載にとりあげられて、脇道、寄り道をしながら連載はつづきました。
斎藤雷太郎は『土曜日』を、読者が書き、読者がつくる新聞にしたかったのだと語りました。8000部発行に達したという『土曜日』は、にもかかわらず、手作りミニコミ紙だったと言えるでしょう。中村さんはマスの媒体である一般紙の記者でありながら、或いはだからこそと言うべきか、「読者とともにつくる新聞」という新聞の初心に帰って、あらためて「伝えるとは何か」を考える連載を書いたと思われます。
現代では毎日会うことのむずかしい相手に「伝える」ための手段がいろいろ発達しました。しかし手作り手渡し精神は、今でも「伝える」の基本ではないでしょうか。どうかこの本を手に取って頁をひらき、読んでくださるようお願いします。
上記内容は本書刊行時のものです。