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昭和50年代論
「戦後の終わり」と「終わらない戦後」の交錯
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2022年3月31日
- 書店発売日
- 2022年4月15日
- 登録日
- 2022年3月7日
- 最終更新日
- 2022年5月4日
紹介
「政治の季節」と「バブル文化」のはざまで――
戦争の記憶への疑念、家族と教育のゆらぎ、性と美容の変遷、マンガ・スポーツ・時代小説・冒険ブームなど趣味・教養の変質……
日本人は何を信じてきて、この時期を境に、何を信じられなくなったのか。
〈歴史化〉していくわれわれの足元を捉え返す。
目次
序章◎「戦後の終わり」の始まりとその葛藤…福間良明
第1部◎「戦後」への疑念
第1章 五〇代になった特攻隊の生き残り…井上義和
第2章 郊外家族の揺らぎと「戦後民主主義」の再検討…山本昭宏
第3章 性愛、暴力とポリティクス…日高勝之
第4章 交叉する理想…白戸健一郎
第2部◎ナショナリティのゆらぎ
第5章 海洋博批判とセクシャリティ観光の接合…小川実紗
第6章 『季刊三千里』からみられる在日韓国・朝鮮人の昭和五〇年代…
権学俊
第7章 ディスカバー、ジャパニーズ…松永智子
第3部◎「趣味」の変質
第8章 昭和五〇年代の美容言説…谷本奈穂
第9章 劇画の時代の終焉…森下達
第10章 マイコンにみた世界の夢と慰め…前田至剛
第11章 体育(会)からの逸出…佐藤彰宣
第4部◎修養と教養の残影
第12章 時代遅れの〝スポ根ドラマ〟…水出幸輝
第13章 修養小説の臨界…野上元
第14章国民的英雄・植村直己の誕生…高井昌吏
第15章 大衆歴史ブームと教養主義の残滓…福間良明
前書きなど
◆「昭和五〇年代」の捉え難さ
◇「政治の季節」と「バブルの時代」のはざま
戦後もすでに八〇年近くが経過し、それは「歴史」の対象となりつつある。二〇〇〇年代以降、占領期研究やサークル文化史研究など、一九五〇年代までの研究が進展した 。二〇一〇年前後には六〇年安保闘争から五〇年という節目もあり、一九六〇年前後の社会運動史について多くの著作が出された。また、それに牽引されるように、六〇年代後半の学生運動やベトナム反戦運動に関する証言や研究も多く世に出された。小熊英二『1968』(新曜社、二〇〇九年)はその代表的なものである。
その一方で、一九八〇年代の研究も少なからず見られる。宮沢章夫『東京大学「80年代地下文化論」講義』(白夜書房、二〇〇六年)、原宏之『バブル文化論』(慶應義塾大学出版会、二〇〇六年)、斎藤美奈子・成田龍一編『一九八〇年代』(筑摩選書、二〇一六年)など、バブル経済期前後の消費文化やオタク文化について、多くの研究が蓄積されつつある。バブル期と言えば、二〇二二年現在からすれば三五年ほどをさかのぼるに過ぎないが、すでに、こうした時代をある種の「歴史」として捉え返す動きが進みつつある。
だが、六〇年代(およびそれ以前)や八〇年代についての議論が積み重ねられつつある一方、そのはざまの時代については、焦点が当てられることが少ない。六〇年代であれば「政治の季節」、八〇年代であれば「バブルの時代」というイメージがあるのに対し、その間の時代イメージは漠としており、それを一言で形容する語は見つからない。そのためか、「政治の季節」と「バブルの時代」のはざまの時期の文化史研究は、あまり進んでいない。それはすなわち、「政治の季節」から「バブルの時代」への移行プロセスが十全に検証されてこなかったことを意味する。
むろん、政治史や経済史の面では、これらの時代に関する研究の蓄積は厚い。道路建設や原発誘致による田中角栄政権期の地方開発(日本列島改造論)、三木・福田・大平内閣期の自民党派閥抗争とその機能、中曽根政権期の新自由主義路線については、すでに政治史の分野でまとまった研究が多く出されている 。経済史の分野では、オイルショックやニクソン・ショックの日本経済への影響、プラザ合意からバブル経済に至るプロセス、そうしたなかでの「日本的経営」の称揚と労働組合の弱体化などが論じられてきた 。だが、これら政治史・経済史的な動向も絡みながら、メディア史・文化史は「政治の季節」から「バブルの時代」にかけてどのように変容したのか。この点については、これまであまり着目されてこなかった 。
◇「昭和五〇年代」という問い
本書はこうした問題意識に立ちながら、おもに一九七〇年代後半から八〇年代前半、つまり「昭和五〇年代」のメディア文化史を多角的に考察するものである。「一九七〇年代」ではなく「昭和五〇年代」に着目するのは、むろん、理由があってのことである。
「政治の季節」は決して東大闘争(一九六九年一月)やあさま山荘事件(一九七二年二月)で終焉したわけではなく、その余波はさまざまに持続していた。原武史は、自らの少年期の体験に基づく『滝山コミューン』(講談社、二〇〇七年)のなかで、かつて大学紛争にコミットした若手教師が生徒たちに「正しさ」を押し付け、過剰に統制し、そうした空気から逃れるべく私立中学進学をめざす生徒たちを執拗に排除するさまを描いている。それはすなわち、「政治の季節」の経験者が、その後もさまざまな局面でその文化を持続させていたことを物語る。「バブル文化」と言われるような消費文化・趣味文化にしても、一九八〇年代後半のバブル経済とともに成立したわけではない。すでにそれ以前から進行していた趣味・関心の細分化や「政治」への嫌悪は、バブル期の文化と決して無関係ではなかった。
戦後史を考えるうえで、「政治の季節」が終焉した一九七〇年前後は、たしかに一つの画期をなす時期ではあった。だが、その余韻はすぐに消え去ったわけではない。学生運動文化のなかで青春期を送った世代は、その後、メディアや教育の第一線で活動している。教養主義は大学紛争のなかで衰退したが、一九八〇年代には歴史雑誌ブームや現代思想ブームなど、「知的なもの」を希求する動きも少なからず見られた。
だとすれば、「政治の季節」の余韻(もしくはその反発)は、その後、どの局面でどのように残存したのか。また、別の局面では、いかに、そしてなぜ消失したのか。そこからどのような文化変容・メディア変容を経て、「バブル文化」や「一九八〇年代」に至ったのか。こうしたグラデーションを検討するためには、「政治の季節」の余韻がかろうじて残っているであろう一九七〇年代半ばから、「バブル」の前史ともいうべき一九八〇年代前半までの時期、すなわち「昭和五〇年代」への着目が不可欠である。「一九七〇年代」「一九八〇年代」という区分とは異なり、「昭和五〇年代」に注目することで、「政治の季節」の終焉(一九七〇年前後)から「バブル文化」(一九八〇年代後半)に至る文化変容プロセスやその温度差(グラデーション)を析出することができるだろう。
さらに言えば、「昭和」という和暦表記には、「戦争の記憶」もつきまとう。日中戦争・太平洋戦争が行われたのは「昭和一二年」から「昭和二〇年」の八年間(満州事変を起点にするのであれば、「昭和六年」からの一四年間)であり、六三年間におよぶ昭和期のごく一部に過ぎない。だが、裕仁天皇が在位した「昭和」という時代区分は、全国民ひいてはアジア諸国を巻き込んだその「戦争」の問題を不可避的に想起させる。たとえ戦後においても、再軍備問題、六〇年安保闘争、ベトナム反戦運動、靖国神社国家護持問題など、「先の戦争」はつねに論争の起点となっていた。そのことを考えれば、「一九七〇年代」「一九八〇年代」といった中立的・客観的な(イメージを伴いやすい)年代表記に比べて、「昭和五〇年代」という語は、戦争あるいは戦後をめぐる屈折のようなものをも、不可避的に思い起こさせる。
折しもこの時代は、戦中派世代が五〇代半ばに達し、定年を迎えつつある時期だった。そこに「政治の季節」の終焉や消費文化の進行が折り重なるなか、戦争体験や戦後の価値観に対して、社会的にいかなるこだわりや違和感が見られたのか。これらを問おうとするのであれば、「一九七〇年代」や「一九八〇年代」ではなく、「昭和五〇年代」への着目こそが必要となる。
上記内容は本書刊行時のものです。