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なぜ戦争をえがくのか
戦争を知らない表現者たちの歴史実践
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2021年1月9日
- 書店発売日
- 2021年2月22日
- 登録日
- 2020年12月10日
- 最終更新日
- 2021年2月26日
書評掲載情報
2021-06-05 |
図書新聞
評者: 宮田徹也 |
2021-05-16 | 読売新聞 朝刊 |
2021-05-08 | 毎日新聞 |
2021-04-16 |
週刊読書人
評者: 好井裕明 |
2021-04-13 |
本の雑誌
5月号 評者: 藤岡みなみ |
2021-04-03 |
東奥日報
評者: 萩原里香 |
2021-04-01 | 美術の窓 4月号 |
2021-04-01 | アートコレクターズ 4月号 |
2021-04-01 |
美術手帖
1087号 評者: 中島水緒 |
2021-04-01 | 芸術新潮 4月号 |
2021-03-27 |
東京新聞/中日新聞
朝刊 評者: 安田菜津紀(フォトジャーナリスト) |
2021-03-27 |
沖縄タイムス
評者: 萩原里香 |
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紹介
小泉明郎(現代美術家)・諏訪 敦(画家)・武田一義(漫画家)・高村 亮(編集者)・遠藤 薫(工芸家・現代美術家)・寺尾紗穂(音楽家・作家)・土門 蘭(作家)・柳下恭平(編集者)・後藤悠樹(写真家)・小田原のどか(彫刻家)・畑澤聖悟(劇作家・演出家)・庭田杏珠(研究者)・渡邉英徳(研究者)
美術、絵画、漫画、工芸、音楽、小説、写真、彫刻、演劇、研究……
歴史と記憶と表現をめぐる10の対話。
敗戦から75 年が経過し、当時を知る人の数は年々少なくなりつつある。体験者の記憶を継承することは急務のひとつである。しかし、〈戦争記憶の継承〉とはどういうことなのか。
表現者たちはどのように戦争と出会ったのか。私たちは知らないことをどのように語り継ぐのか。
体験のない人びとによる、体験のない人たちのための、〈記憶の継承〉のかたち。
【目次】
はじめに
小泉明郎『逃れようのないものへの違和感や怒り』
諏訪 敦 『不在を、どこまで〈見る〉ことができるか』
〈旅の記憶 マーシャル諸島共和国〉
武田一義+高村亮『そこにいたであろう人を、みんな肯定したい』
遠藤 薫『不時着と撤退戦/いつもどうしても含まれてしまうこと』
〈旅の記憶 ヴェトナム〉
〈旅の記憶 韓国〉
寺尾紗穂『ニーナたち、マリヤンたちの《コイシイワ》』
土門 蘭+柳下恭平『書くことでたどり着く、想像の外へ』
後藤悠樹『いつも間に合っていないし、いつも間に合っている』
小田原のどか『失敗の歴史、破壊される瞬間と、眠ってしまう身体』
畑澤聖悟『四隻の船と、青森から航路をひらく』
庭田杏珠+渡邉英徳『特別な時間のおわりと、記憶をたどる旅のはじまり』
あとがき
目次
はじめに
小泉明郎『逃れようのないものへの違和感や怒り』
諏訪 敦『不在を、どこまで〈見る〉ことができるか』
〈旅の記憶 マーシャル諸島共和国〉
武田一義+高村亮『そこにいたであろう人を、みんな肯定したい』
遠藤 薫『不時着と撤退戦/いつもどうしても含まれてしまうこと』
〈旅の記憶 ヴェトナム〉
〈旅の記憶 韓国〉
寺尾紗穂『ニーナたち、マリヤンたちの「コイシイワ」』
土門 蘭+柳下恭平『書くことでたどり着く、想像の外へ』
後藤悠樹『いつも間に合っていないし、いつも間に合っている』
小田原のどか『失敗の歴史、破壊される瞬間と、眠ってしまう身体』
畑澤聖悟『四隻の船と、青森から航路をひらく』
庭田杏珠+渡邉英徳『特別な時間のおわりと、記憶をたどる旅のはじまり』
あとがき
前書きなど
〈「はじめに」より抜粋〉
まもなく日本は、太平洋戦争を体験した、当時を知る世代がいない時代を迎えます。
とはいえ、1950年代後半から(敗戦からわずか10年で)戦争体験の風化は始まっていたといいます。長い長い〈忘却としての戦後〉の中で、体験していない戦争を語ろうとするとき、わたしはアウシュヴィッツで起きたことを自分のことばで語る中谷剛さんを思い出します。
中谷さんのように、直接かかわりがない戦争について怖れずに知り、学び、伝える力を磨きたいという想いに駆られます。
当事者にしかわからない体験や記憶を語り継ごうとするとき、どのような方法があるでしょうか。過去の出来事を〈未来に起こりうる〉こととして想像することも、ひとつの方法です。
知らないことを知ろうとするとき、〈歴史する〉実践方法やそれを伝える表現の仕方もさまざまです。
この本では、写真を撮る、絵を描く、小説や漫画を書く、映像、音楽、演劇、工芸、彫刻、アプリを作るなど多彩な表現で歴史実践をしている表現者たちが、どのように思考をめぐらせ、ことばを選び、戦争をえがこうとしているのかを知りたいと思いました。
国家と国家の戦争の狭間で生きた〈ひとり〉の声を聴き、その声の中に潜む引き裂かれた思いや矛盾を〈ひとり〉の表情、息遣い、生き方、死に方を通して丁寧にえがく表現者の語りに耳を傾けると、〈戦後〉や〈平和〉といった多用しがちなことばによって、見えなくなってしまう無数の〈ひとり〉がいることを思い知ります。
マーシャル諸島の人びともそうです。日本でいう〈戦後〉わずか1年後の1946年から、マーシャルでは米国による核実験が行われました。その実験は、世界の〈平和〉のためという美名のもと、67回も行われました。放射能で汚染されたふるさとの島に帰ることができず、いまなお被ばくの後遺症に苦しみ、心身に深い傷を負ったたくさんの〈ひとり〉の声に耳をすますことで見えてくる〈戦争〉を考えることは、わたしたちが教科書やニュースで知っている〈戦争〉と、なにが違うのでしょうか。
戦争に限った話ではありませんが、とりわけ戦争は、語る側の都合の良い記憶が、歴史となって語り継がれていく力学が働きやすいものです。この本では、そうした語りやすい歴史としての戦争からこぼれ落ちた片隅の歴史、あるいは歴史として認識されることなく、忘れ去られていった戦争について語ろうとしている人に話を聞きました。それは、記憶がいかに曖昧で、揺れ動いていて、たよりないかを知ることでもありました。
その時代に当事者が経験した表現しがたい体験を、ことばにできないトラウマを、体験していない人が語るのはとても難しいことです。
まじめな人ほど、自分には語る資格がないと避けてしまいがちなことかもしれません。
知らないから、わからないから、語らない/語れないのではなく、わからないから、知ろうとして、わかろうとして、伝えようとする。そんな表現者たちの声に耳をすませることは、知っていると思いこんでいた〈戦争〉からもっとも遠い場所にひっそりと眠る〈ひとり〉や、叶わぬ願いを抱えながら今もどこかで暮らしている〈ひとり〉に、想いを馳せることでもありました。
版元から一言
戦後75年が経過し、戦争体験を持つ人が少なくなりつつあります。
そんななかで、
〈戦争の記憶をどのように継承していくか〉
が本書のテーマです。
注目したのは、さまざまな芸術で戦争をえがいている表現者たち。
この本で取材した10組13人は、それぞれの方法で、それぞれの戦争をえがいています。
たとえば、諏訪敦さんは圧倒的に精緻な筆で、旧満州で飢えと病気で亡くなった祖母を描き、武田一義さんは可愛らしくデフォルメされたタッチで、ペリリュー島の凄惨な戦いを漫画にします。
小田原のどかさんは、芸術を鑑賞するときの〈感動〉に慎重な視線を向けつつ、長崎の彫刻群に戦前と戦後の連続と断絶を見出します。
かれらはどのようにして戦争と出会ったのか。
もちろん、かれらの誰にも戦争体験はありません。
参加者のなかの最年長は、地元・青森の人びととともに演劇で戦争を表現する畑澤聖悟さんですが、それでも56歳。
過去の白黒写真のカラー化に取り組む庭田杏珠さんは最年少で、まだ19歳です。
知らないことをえがくとはどういうことなのか。
10組13人の表現はさまざまですが、同じひとりが複数の視点や方法を持っている点も注目されます。
ベトナムに拠点をおく遠藤薫さんは、織布や染料のなかに否応なく含みこまれる戦争の痕跡をみつめ、工芸と現代美術の間を軽やかに行き来しています。
ソングライターであることと作家であることをしなやかに両立させる寺尾紗穂さんは、文筆と作曲というふたつの方法で、人びとの記憶をとどめようとしています。
その表現方法はどこまで遠くへ届くのか。
そして戦争体験を持つ人が少なくなっているのは、いうまでもなくこの国だけの状況です。
世界に目を向ければ、戦争の体験は、いまも新しく生まれ続けています。
小泉明郎さんはVR・AR技術を駆使して、イラク戦争のトラウマに苦しむ人々とわたしたちを一体化させます。
土門蘭さんの小説には、朝鮮戦争と、ずっと残り続ける日韓の複雑な感情が色濃く影響しています。
後藤さんは地図上の空白地帯であるサハリン/樺太でいまも暮す人びとの表情を写し続けています。
なぜ戦争をえがくのか。
いまこの国の若い表現者たちが、どのような方法で、何を想いながら歴史実践をしているか。
歴史と表現に関心のある人たちに手に取ってもらい、この本をきっかけに、記憶をめぐる新たな対話が生まれるといいなと思っています。
上記内容は本書刊行時のものです。