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なぜ戦争体験を継承するのか
ポスト体験時代の歴史実践
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2021年2月20日
- 書店発売日
- 2021年2月22日
- 登録日
- 2020年12月10日
- 最終更新日
- 2021年5月21日
書評掲載情報
2021-08-14 |
図書新聞
評者: 平井和子 |
2021-08-09 |
公明新聞
評者: 福間良明 |
2021-08-09 |
公明新聞
評者: 福間良明 |
2021-08-09 |
公明新聞
評者: 福間良明 |
2021-05-16 |
中国新聞
評者: 森田裕美 |
2021-05-09 |
北海道新聞
評者: 永田浩三 |
2021-04-26 |
毎日新聞
夕刊 評者: 高橋咲子 |
2021-04-16 |
週刊読書人
評者: 好井裕明 |
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重版情報
2刷 | 出来予定日: 2021-05-31 |
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紹介
当事者なき世界の、忘却と想起のはざまで――
戦後75年以上が経過し、〈あの戦争〉を体験した世代がいなくなりつつある。
近い将来やってくる〈体験者のいない世界〉で、歴史記憶の継承はどのようにして可能なのか。そもそも私たちは、なぜそれを継承しなければならないのか。
最新の研究と平和博物館の取り組みから、未来のための根源的な問いにせまる。
目次
序章 課題としての〈ポスト戦争体験の時代〉 蘭 信三
《第1部 体験の非共有性はいかに乗り越えられるか》
第1章 継承とはなにか―広島市立基町高校「原爆の絵」の取り組みから 小倉康嗣
第2章 開いた傷口に向き合う―アウシュヴィッツと犠牲者ナショナリズム 田中雅一
第3章 戦友会の質的変容と世代交代―戦場体験の継承をめぐる葛藤と可能性 遠藤美幸
第4章 創作特攻文学の想像力―特攻体験者はどう描かれてきたか 井上義和
第5章 戦争体験の聞き取りにおけるトラウマ記憶の扱い 森 茂起
補 論 戦争を〈体験〉するということ 人見佐知子
《第2部 平和博物館の挑戦――展示・継承・ワークショップのグローバル化》
総論 平和博物館は何を目指してきたか―「私たち」の現在地を探るための一作業 福島在行
・英霊を祀る――遊就館 山本晶子
・体験的継承から対話的継承へ――長崎原爆資料館 深谷直弘
・原爆の災禍から何を学ぶのか――広島平和記念資料館 根本雅也
・核の記憶とともに――第五福竜丸展示館 市田真理
・地域からみる、観光が拡げる――知覧特攻平和会館、大刀洗平和記念館、人吉海軍航空基地資料館 清水 亮
・ともに働くという継承――ひめゆり平和祈念資料館 仲田晃子
・「平和と民主主義」のもとに―立命館大学国際平和ミュージアム 兼清順子
・〈国民〉の〈労苦〉――昭和館、しょうけい館 中村江里
・体験者でもわからないものとして空襲を捉え直す――東京大空襲・戦災資料センター、戦争と平和の資料館ピースあいち 木村 豊
・「慰安婦」被害者と出会い、正義を求め行動する拠点――アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam) 木下直子
・過去と対話する下伊那の歴史実践――満蒙開拓平和記念館 山本めゆ
・補論 平和博物館研究をより深く学ぶために 福島在行
終章――「戦争体験」、トラウマ、そして、平和博物館の「亡霊」 今野日出晴
あとがき 蘭 信三
前書きなど
多様化する〈戦争体験の継承〉に関する新たな取り組みの動向と現状をまとめ、その在り様と可能性を考えることが本書の目的である。(中略)それはただ単に「戦争体験の風化」に抗する継承実践を掬い上げるという従来型の問題設定ではない。本書は、戦争体験の〈忘却と想起〉というより包括的なフレームにもとづき、それぞれの対象に関する考察と紹介を行うものである。すなわち、(1)〈ポスト戦争体験の時代〉になぜ戦争体験を継承するのか。(2)それはどのようにすれば可能なのか。また(3)冷戦崩壊後の今日のグローバル社会においてそのことはどのような意味を持つのか。さらには、(4)冷戦崩壊後、戦後半世紀も経った一九九〇年代以降に様々な戦争体験が新たに想起されクローズアップされたり、また多くの平和博物館が新たに開設されたりしてきたが、それらの現象にはどのような社会的意味が付与されているのか、を明らかとしていきたい。(「序章」より)
版元から一言
なぜ戦争体験を継承するのか。
歴史記憶の継承に関心を持っている人にとっては、けっこう挑戦的なタイトルかもしれません。
これまでは、
どのようにして戦争体験を継承するのか。
ということが問題の中心であったと思います。
戦後70年以上が経って、経験者がどんどんいなくなりつつあります。
いずれやってくる〈体験者不在の時代〉に再び体験者を生まないために、どのようにして過去の記憶をリレーしていけばいいのか。
従来型の問題はこのようなものだったと思います。
「なぜ」は自明のことであり、問う必要のない前提でした。
もちろん「どのようにして」という問いは今でも有効です。
しかしいまは、それよりももっと根源的な「なぜ」を問わざるをえない状況にあるのかもしれません。
本書「序章」で、編者のひとり蘭先生は以下のように書きます。
「ただ単に「戦争体験の風化」に抗する継承実践を掬い上げるという従来型の問題設定ではない。本書は、戦争体験の〈忘却と想起〉というより包括的なフレームにもとづき、それぞれの対象に関する考察と紹介を行うものである」
そして続けて、83人が集団自決した沖縄読谷村のチビチリガマが一部の若者の間で心霊スポット化されて荒された、2017年の事件を紹介します。
呼応するように、今野先生の「終章」では、旧日本軍の軍服や軍帽などの遺品がネットオークションに流れ、それらを着用したサバイバルゲームが行われていることが記述されています。
「なぜ」という問いはもはや自明ではなく、その状況はこれからさらに進んでいくかもしれません。
本書では、6本の研究論文を収める第1部に、遊就館やwam、広島平和記念資料館、長崎原爆資料館など15の主要な平和博物館を紹介する第2部を合わせています。
そして詳細な平和博物館・戦争関連展示施設のリストと、今後の研究のための長大な参考文献一覧を付しています。
さらに、異様なまでの力がこもった序章と終章がそれらを包みこんでいます。
この本を編集してあらためて気づいたのは、保存と展示を担う博物館はもちろん、研究・学術もまた、〈実践の現場〉であるということです。
研究者というと、対象を観察して考察をするだけの、なにか傍観者のような存在と捉えている人もいるかもしれません。
しかし本書を読めば、研究者とはきわめて重く深いかたちで対象にかかわりつづけ、そのなかで自分を更新し続ける実践者であることがよくわかると思います。
ある著者は広島の原爆を描く高校生たちを追いかける過程で、自らのトラウマを克服していきます。当初は情報収集のために参加していた戦友会に深くコミットし、その終焉をみとることになった執筆者がいます。空襲体験の聞き取りをしていた若い著者は、体験者の語りを通して自分自身も大きく変わっていくことに気づいていきます。
アカデミズムは、そして博物館は、「なぜ戦争体験を継承するのか」という根本的な問いに、どのようにこたえようとしているのか。
当初の想定を大幅に超えた大著になりました。
いまこの問いに向き合うためには、こういう質量が求められていたのだと思います。
上記内容は本書刊行時のものです。