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取引情報
希望を握りしめて
阪神淡路大震災から25年を語りあう
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2020年12月14日
- 書店発売日
- 2020年12月15日
- 登録日
- 2020年3月17日
- 最終更新日
- 2022年3月3日
受賞情報
「地方の時代」映像祭受賞作品(付録DVD)
書評掲載情報
2021-01-23 | 毎日新聞 朝刊 |
2021-01-10 | 産經新聞 朝刊 |
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紹介
1995年1月17日に起きた阪神淡路大震災発生から四半世紀が過ぎた。
NPO法人「よろず相談室」は、震災発生の9日後から今日に至るまで、一人暮らしの高齢者宅への訪問や震災で障害を負った人たちへの支援などを続けてきた。25年の間に亡くなる人も多くいる中で、被災者たちが経験した震災を記憶に残すため、5年前から彼らの証言を記録してきた。震災から共にあゆみ、耳を傾け続けたメンバーに打ち明ける、震災前の人生と震災後のそれぞれの足どり。家族の死、自宅の全壊、失職、災害による後遺症、コミュニティの崩壊、復興住宅で起きる孤独死……。あの日から25年を生きる18世帯26人の人生をまとめた貴重な証言記録。
震災から四半世紀という月日を経た彼らの声は、発災直後の悲しみや喪失感に満ちたものではない。いつもの世間話のようなやり取りの中で、自分の人生を見つめるように、時に深刻すぎると思える話も、淡々と語る。その穏やかな語りの中にも、悲しみは常にある。一方で、絶望を生き抜いてきた人のたくましい一面や、今後もこの悲しみは続いていくという厳しい運命を受け止めた覚悟のようなもの、震災が人々の心や生活に与える衝撃と、希望を感じ取って頂ければ、幸いである。
「よろず相談室」の活動記録や、西宮市出身の作家高村薫による寄稿文も掲載する。
「地方の時代」映像祭入選作品の証言映像を収録したDVDを付録。
あの日から25年を多角的に記録する歴史的資料。
全国の災害に遭った人たちや、今後起こりうる災害で被災者となる人たち・支援者・行政に、阪神の経験を伝えたい。
目次
目次
はじめに よろず相談室 牧 秀一
発刊に寄せて 作家 髙村 薫
よろず相談室年譜/阪神淡路大震災関連年譜
第1章 よろず相談室のあゆみ
「よろず相談室」開設
就職差別 スタートに立てない
「よろず相談室」再開
生活保護世帯が1000世帯も減った
仮設住宅での生活
識字教室「大空」開設―震災から生まれた学びの場―
生活再建―自宅再建・店再開―
仮設住宅から復興住宅へ
手紙の持つ力
「震災障害者」苦悩の日々
復興公営住宅に住む震災高齢者―25年を迎えた神戸の現状―
東日本大震災支援
おわりに
第2章 阪神淡路大震災を生きた私たちの25年
神戸全体地図
証言01-18
おわりに
巻末資料
前書きなど
はじめに
よろず相談室 牧秀一
1995年1月17日の阪神淡路大震災から四半世紀が経過した今、被災地の町並みは元に戻ったかのように見える。だが、震災で家を失い家族を失った人々は、震災前の生活を取り戻すことができているのだろうか。とりわけ復興住宅に住む一人暮らしの高齢者や震災障害者の長年の苦汁は、想像するに余りある。この頃、25年という年月は、被災者に何を与え何を奪っていったのだろうと考え込んでしまうことが多い。
震災当時、神戸市東灘区私の自宅は音を立てて激しく揺れ歪んでいった。このまま自宅が崩壊すると思い、死を覚悟したその直後に、揺れは収まった。あの時の恐怖を忘れることはない。
定時制の神戸市立楠高校の数学教師だった私は、勤めていた学校が避難所となったこと、自宅と学校間の交通網を含む町並みが壊滅状態となり夜の勤務が困難となったことで、約2週間、自宅近くの御影北小学校に設置された避難所でボランティア活動に専念することを校長に申し出た。その後も、勤務に支障のない範囲でボランティア活動を続け、気がつけば、被災者の話し相手となり信頼関係を築く活動を25年間続けてきた。
震災翌年から孤独死や自殺を防ごうと仮設住宅を回り始め、復興住宅ができてからは130世帯を月に1回、訪問した。訪ねていくのは、災害で家や家族、仕事を失って、住み慣れた場所から引き離されて生きている人たち。「どないしてる?」と声をかけ、ひとときでも話し相手になることは、「置き去りにされていない」と実感できる時間になる。少しでも気持ちが晴れれば、少しずつ前を向けるようになる。そう信じてやってきた。
25年の間に多くの方が亡くなり、現在訪問している家は12世帯。途中、何度もやめようと思った。友や家族を亡くし、愛着の染み込んだ家財やアルバムのすべてを失った人たちの思いを聞くことは、心がボロボロになるほどに疲れることだった。
1日に3軒7時間以上、話を聞いて回ったことがある。3軒目の終わりには、行く道に乗った自転車に乗ることができないほどに心身が疲れ、ふらつきながら車体を押して帰るのが精一杯だった。それでも、楽しみに待っててくれている人がいると思うと、また行く。
しかし、年月は私を精神的に追い詰めていった。気にかけてきた人の「死」はつらい。高齢者と関わるということは「死」と直面するということ。加えて私自身の高齢化と重なり、心身の疲労の蓄積は止まらなかった。
「被災地は復興したのか?」とよく聞かれる。何をもって『復興した』と断言できるのか、常々考えるが難しい。ただ、少なくとも建物が立つことではないと思う。大切なのは、被災して一度絶望した人たちが、残りの人生をどう生きているかだ。絶望する日々の中に、『楽しかった』と思える時間があったり、『いい日だった』と思える日もある。そんな日々が続くとしたら、その人は「少し『復興』できた」のかもしれない。
あの日、それぞれが被災者になった。あれから、25年。被災者として生きてきたそれぞれの被災体験と、復興がある。
今回の証言集は、私が活動を引退する最後の仕事として、それぞれのあゆみを記憶するために制作した。ある人は、生き埋めになった時の状況を詳細に語り、ある人は、夫がアルコール中毒になってしまったことを赤裸々に語り、ある人は、娘が障害者となり、同じ境遇の人と出会うまでの苦しみを語った。悲惨な現実を淡々と話してくれた人もいれば、とりとめなくつぶやくように、自分が歩んできた震災後の人生を話してくれた人もいる。本書ではできる限り、それぞれの人が私に語ってくれた言葉の数々をありのまま再現した。私が25年間、耳を傾けてきたのは、被災した人たちのそうした生の声、体験した人にしか語ることのできない、心の叫びだったからだ。
大災害で人はどんな苦しみに直面し、どう生き抜くのか。東日本大震災や全国の被災者の人々の力に少しでもなれたら嬉しい。そして、これから災害にあうかもしれないすべての人たちに、共に考えてほしい。
版元から一言
25年間、高齢者や震災で後遺症を負った人たちの支援を続けてきた「よろず相談室」の活動のあゆみは、行政、支援者、そして、未来の被災者かもしれない全ての人たちに読んでほしい。
大災害は必ず起こる。阪神の経験を通して、「共助」とは何か、考えるきっかけとなる一冊になる。
上記内容は本書刊行時のものです。