書店員向け情報 HELP
出版者情報
在庫ステータス
取引情報
立原道造 受容と継承
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2020年6月30日
- 書店発売日
- 2020年7月1日
- 登録日
- 2020年6月8日
- 最終更新日
- 2020年6月30日
書評掲載情報
2020-11-14 |
図書新聞
評者: 野坂昭雄 |
MORE | |
LESS |
紹介
高原の夏、風の声、水のせせらぎ、雲の流れ、愛、夢、そして失われた永遠の青春……。
郷愁に満ちた立原の詩には、しかし、かすかな悪意がやどり、毒が香り、模倣の手つきが垣間見える。
リルケ、堀辰雄、芳賀檀などからの影響や、和歌引用の精査を通し、早すぎた晩年、立原がなそうとした最期の飛翔のゆくえに迫る。
目次
序
第一章 「方法論」における存在への問い
一 「方法論」を論じる上での問題点
二 「住み心地よさ」なる「建築体験」
三 人間存在と建築の探求
四 「人間的生の自己超越」から芳賀檀へ
第二章 和歌引用の作品──建築思想との接点──
一 「はじめてのものに」
二 立原道造同時代の本歌取り評価
三 立原道造の建築思想
四 「のちのおもひに」
第三章 「ふるさと」探求と芳賀檀
一 盛岡の立原道造
二 芳賀檀との邂逅
三 「ふるさと」喪失
四 危険ある所、救ふ者又生育す
第四章 リルケ受容と芳賀檀『古典の親衛隊』
一 中間者と超克
二 『風立ちぬ』論解読
三 『古典の親衛隊』のリルケ理解
四 『古典の親衛隊』のリルケ理解の立原への移入
第五章 恋愛詩に表された愛の諸相──「別離」の構図──
一 悲恋から愛の成就へ
二 安住と出発
三 「別離」という愛の試練
四 リルケ 芳賀檀
第六章 模倣と実存
初出一覧
前書きなど
立原道造は一九一四年七月三〇日、東京日本橋の発送用木箱製造業の家に次男として誕生した(長男は前年に二歳で死去)。五黄の寅。三一年四月には東京府立第三中学校を四年修了で第一高等学校理科甲類に入学する。天文学志望だったが病弱な体を心配した周囲の意見で建築学に志望を変更し、三四年四月に東京帝国大学工学部建築学科に入学した。在学中は建築学科の優等の学生に贈られる辰野賞銅賞を三年連続で受賞する優秀な学生だった。一方で堀辰雄、室生犀星に師事し、同三四年一〇月の第二次『四季』創刊にあたっては、堀、丸山薫、三好達治、津村信夫らと共に編集同人となる。なおそれ以前、三四年六月には猪野謙二、江頭彦造、沢西健と同人誌『偽画』を創刊(一一月刊行の第三輯で終刊)し、翌三五年五月には江頭、猪野、杉浦明平、田中一三、寺田透らと同人誌『未成年』を発行(三七年一月、九号で終刊)、建築と同時に文学に打ち込んだ。立原道造に独特な十四行詩制作は一九三五年、東大建築学科二年生時に本格化された。三七年三月東京帝大卒業後には、指導教授岸田日出刀の推薦で石本喜久治建築事務所に勤務する。だがその秋肋膜炎と診断され、翌三八年七月には療養のため長期休職、一二月には江古田の東京市立療養所に入所し、翌三九年三月二九日の未明、二四歳と八か月で永眠した。
『四季』立原道造追悼号(一九三九・五〔七月号〕)巻頭には三好達治「暮春嘆息──立原道造君を憶ふて──」が掲載されている。
人が 詩人として生涯ををはるためには
君のやうに聡明に 清純に
純潔に生きなければならなかつた
さうして君のやうに また
早く死ななければ!
彼の十四行詩に接する多くの読者が抱く詩人イメージだろう。高原の夏、風の声、水のせせらぎ、雲の流れ、愛、夢……。
だが松浦寿輝はその作品の背後に得体のしれない影を垣間見ている。
「出て行かう。遥かな世界。僕たちの無限。いま、あたらしい生は生き〳〵と山のあちらを望んでゐる」。「出て行かう。どこへ?/僕たちの美しい世界」。彼の待ち望んでいる「いつか」は、漠とした疑問符と等価と言ってもよい「遥かな世界」「僕たちの無限」「あたらしい生」「山のあちら」「僕たちの美しい世界」といった空虚な記号でしか名指されない。こうした言葉遣いの空疎さそれ自体に、わたしは或るかすかな悪意のにおいを嗅ぎつけずにはいられない。この世で生を切り開いていこうという健康な意志をいっさい欠いたこの「甘い」ニヒリズム。それは、たとえば二十歳の頃のわたし自身がそうであったような生命力の頂点にある若者にとって、かすかに苦い毒として作用せずにはいまい。そして、言うまでもなくこの微量な毒こそが立原の詩の本質的な魅惑なのであり、それを虚構化してしまった場合、彼の詩は単なるお子様向けの砂糖菓子でしかないことになってしまうだろう。 (「しかし甘い、ぢれつたい程こころよく甘い」、『鮎の歌』みすず書房、二〇〇四・三/二四八頁)
初めに引用されているのは立原晩年の散文作品「物語」(『文藝汎論』一九三八・八)で、彼が肉体上、精神上の危機の時期に成ったものだ。松浦説ではこれ以上の追究はなされなかったが、本書が考えたいのもまさに彼の詩に潜む「かすかな悪意のにおい」、「かすかに苦い毒」の正体である。
第一章「「方法論」における存在への問い」では、彼の東京帝大建築学科卒業論文「方法論」に記された「建築体験」の構造を解読し、その存在論的思考の内実を明らかにした。第二章「和歌引用の作品──建築思想との接点──」では、彼の本歌取り的作品の読解を通し、彼の建築思想との原理的な接点を探った。第三章「「ふるさと」探求と芳賀檀」では「ほんたうのふるさと」を求める立原の詩作品と評論を精読し、その思想的根幹が日本浪曼派同人・芳賀檀の影響下に形成されていた点を見通した。第四章「リルケ受容と芳賀檀『古典の親衛隊』」では、立原「風立ちぬ」論と芳賀檀『古典の親衛隊』の精査を通して、立原のリルケ受容が堀辰雄的なものから芳賀檀的なものへと変容した点を論じた。第五章「恋愛詩に表された愛の諸相──「別離」の構図──」では、恋愛に関する立原詩を通読し、そこに歌われる愛がリルケと芳賀檀の「別離」の思想を受けて晩年に変質していった点を考察した。第六章「模倣と実存」では立原道造を模倣した作品を対置し立原詩の独自性を捉えなおした。
上記内容は本書刊行時のものです。