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蒼天からの十六通の手紙
戦時下の張家口を生き抜いたある家族の物語
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2024年8月15日
- 書店発売日
- 2024年8月2日
- 登録日
- 2024年7月19日
- 最終更新日
- 2024年7月28日
紹介
昭和20年、敗戦で一変する平穏な生活──
十月出産予定の身重のカホルは、六、四、二歳の三人の子どもを連れて、夫は肺炎で入院中の八歳の長男に付き添い、ソ蒙軍から逃れて引揚列車で張家口を脱出する。敗戦から5日目の夜である。飢えや渇きに苦しみ寒さに震え、時には銃声におののきながらの逃避行だ。過酷な環境の中で、時には死とも向き合う。
本書は、著者の母・カホルが、戦時下の中国から幼馴染のヨシエに送った十六通の手紙をもとにした物語である。
「私にとっては、この手紙を手にすることで、やっと〈終戦〉と〈戦後の苦しい生活〉の終了を迎えたような気がしました」(「はじめに」より)
目次
一章 旅立ち
二章 北京からの手紙
三章 張家口からの手紙
四章 終戦
五章 引揚げ
六章 収容所暮らし
七章 帰国の途に
八章 帰国
〈資料〉中国国民政府・蒋介石総統の終戦メッセージ「以徳報怨」
前書きなど
〈「はじめに」より一部抜粋〉
熊本を故郷とする私たち一家は、父の仕事の都合で、昭和十五年四月に支那に移り住み、そのまま敗戦を迎えました。私自身は昭和十八年、支那・張家口で生まれています。その後、日本が戦争に敗れた昭和二十年八月に、大混乱の続く中、命からがら一家で日本に引揚げてきた歴史があります。幼かった私には、戦時中のことや引揚げの苦労などの記憶は全くありません。少女時代から青年期にかけて、両親の話を聞いたり、兄弟の記憶を聞いたりするだけでした。
ところが今から三十年以上前のことです。母カホルの幼馴染で大親友でもあるヨシエおばさんから、小箱が送られてきました。そこにはこんなメモが添えられていました。
「私の宝物でずっと大切にしていました。ご両親の支那での生活が書かれていて、何度も読み返しては一度行ってみたいと思ったものです。私が持っていても宝の持ち腐れ、郁ちゃん(著者)にプレゼントします」
小箱を開けてみて驚きました。母が支那の北京や張家口から、おばさんに送った手紙が十六通入っていたのです。便箋や封筒はセピア色に変色し、インクも色あせていました。その上、旧仮名遣いで昔の漢字の表記も多く、判読できない箇所もところどころありました。
何とか読み進めるうちに、戦争中の母の異国での様子が見えてきました。当初の不安が徐々に解消され、支那の生活に慣れていく様子や異国での寂しさが楽しさに変化していく気持ち等々、が読みとれました。
思わぬ敗戦、その後の引揚げ。母にとって苦しくて辛いことばかりだったのではないかと想像していたので、この手紙を読みながら、「こんなに楽しいことがあって良かった」と、少し安堵もしました。
私にとっては、この手紙を手にすることで、やっと「終戦」と「戦後の苦しい生活」の終了を迎えたような気がしました。
ここ数年、海外の著名人が、「日本人は、平和ボケしている」といった言葉が耳に残ります。若者の意識の中には、過去に日本が起こした「戦争」はどんな形で残っているでしょうか。多分「引揚げ」という言葉など、死語になっているでしょう。ロシアのウクライナ侵攻のことも、核をチラつかせながら威嚇をする大国の存在も、対岸の火事でしょうか。これが世界の現状だと危機感を持っているのでしょうか。
そんな中で、嬉しいニュースがありました。私の故郷、熊本の中学生が、「童顔の特攻隊」という紙芝居を完成させ、朗読会をひらいているそうです。熊本には太平洋戦争末期、旧日本軍の花房飛行場(熊本県菊池市)がありました。出撃を控えた若い特攻隊員が滞在する基地です。出撃直前「行きたくないなあ」とふと漏らした言葉こそが、「十死零生」の攻撃を課せられた若者の本音です。そんな彼らのことを中学生たちが取材したり調べたりして、紙芝居を作り上げたというのです。こんな活動の積み重ねが、「平和ボケ」ではなく「平和への意識」のすそ野を広げると信じています。
版元から一言
太平洋戦争の敗戦から79年が過ぎ、その惨禍を肌身で経験された世代も少なくなっています。著者は、その世代の母親が戦時中に中国から親友に送った十六通の手紙をもとに、一編の物語を紡ぎ出しました。史実に基づいた貴重な戦時下の記録は、「新しい戦前」と危惧される今こそ読まれるべきだと思います。
上記内容は本書刊行時のものです。