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いつ、どこで生まれた「独立自尊」 福澤諭吉父子の明治維新での連携
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2023年4月1日
- 書店発売日
- 2023年4月7日
- 登録日
- 2023年1月7日
- 最終更新日
- 2023年4月7日
紹介
六十年の月日を経て、今こそ明かす「独立自尊」誕生秘話!
福澤諭吉先生の名言「独立自尊」はどのようにして生まれたのか? その謎をたどると、子息三八さんを首領とする少年団「自尊党」の存在が見えてきた。慶應義塾大法学部・内山正熊ゼミ出身(第四期生)の著者は、内山教授や清岡暎一教授など、当時の関係者だけが知っていた〝秘話〟を手掛かりに、平成7年(1995年)、三田キャンパス演説館であった内山先生の講演速記録(「三田評論」掲載)をもとに福澤語録の真実に迫っていく。「独立自尊」誕生の〝原点〟を考察したノンフィクション。
目次
序章
第一章 四字熟語「独立自尊」の基盤は「学問のすゝめ」と「福翁自伝」
その一 「慶應義塾豆百科」小辞典
コーヒーブレイク●君、先生の名称について
その二 「学問のすゝめ」と四字熟語「独立自尊」
「学問のすゝめ」の項目と登場する熟語
「学問のすゝめ」刊行当時の日本
「学問のすゝめ」名言十選
その三 「福翁自伝」と四字熟語「独立自尊」
「時事新報」に連載「福翁自伝」
読み継がれる「福翁自伝」
「福翁自伝」につづく「修身要領」
第二章 「修身要領」に登場した四字熟語「独立自尊」
その一 「独立自尊」誕生に関する秘話
内山正熊教授の講演(前半)
コーヒーブレイク●高橋誠一郎さん
その二 「修身要領」の制定
「修身要領」制定までの経緯
「修身要領」制作当時の年表
「修身要領」の内容
「修身要領」全文
「修身要領」についての解説
「修身要領」名言五選
「修身要領」と福澤諭吉先生の遺墨
第三章 四字熟語「独立自尊」誕生の原点
その一 福澤先生の目にとまった「自尊」の文字
その二 「独立自尊」誕生秘話は現実か幻かの検証
検証1 三八少年ら(六~十歳)の知力の信憑性は?
検証2 三八少年らが学んだ小学校(幼稚舎)の教育環境は?
コーヒーブレイク ●小学生の英会話教育で国際人を育成
●ボーイティーチャー
検証3 三八少年らにとって当時の社会・政治状況は?
検証4 完成した「修身要領」に「発行元 福澤三八」とあるのはなぜ?
その三 検証の結論「秘話は幻でなく事実」
コーヒーブレイク●何事も二番手の影は薄いもの
❶生誕一八〇年「小幡篤次郎物語」
➋福澤先生の人柄
第四章 「独立自尊」のすすめ
その一 三八少年の独立自尊
内山正熊教授の講演(後半)
コーヒーブレイク●本能寺の変と囲碁
●日本棋院有段者の免状
●漱石と三八先生
その二 内山正熊教授の不羈(ふき)独立
日本外交への国際感覚
信念を貫いた中国外交
コーヒーブレイク●吉田総理からの手紙
●バカヤロー解散
中国留学生に私塾を開設
コーヒーブレイク●大内山塾設立の目的―――内山教授のある席での挨拶より
優しい内山教授からの手紙
コーヒーブレイク●内山教授の手紙
その三 信念「中国重視」の裏付け
日中にはいくつも共通の文化がある
日本人の心をつかんだ「四書五経」
―――四書五経の精神は、中国版・学問のすゝめ
コーヒーブレイク●司馬遷史記博物館への協力
今後の日中関係ヘの期待
―――日中共通の精神と文化は必ず相互理解につながる
日中にはいくつも共通の文化がある
日中共通の精神と文化は必ず相互理解につながる
おわりに
前書きなど
序章
人々が右往左往した明治の激動期があった。この時、福澤諭吉が「学問のすゝめ」で新時代の方向を示したことを知らない日本人はいない。
わが国にはなかった西洋文明の概念を「自由」や「独立」などの日本語に翻訳したのもこの人である。
福澤諭吉が創設した慶應義塾に学んだ一人として、私はここから言葉を改めて福澤諭吉先生と呼ぶことにするが、先生が発明したかずかずの熟語の中で、自身、最も重んじられた言葉は「独立自尊」だった。しかし、「自由」や「独立」が若い時の訳語であることはよく知られているが、「独立自尊」は先生晩年の造語であり、それがなぜ、どのようにして造られたかについてはあまり知られていない。この言葉は、なぜそれほど遅く登場したのか、どのような紆余曲折を経て登場したのか?
慶應義塾には「慶應義塾豆百科」という小辞典がある。それを見れば慶應義塾関連の歴史など、大方のことが分かるように解説されている。まずはその小辞典で「独立自尊」の項を見ることから始めよう。
「「独立自尊」は慶應義塾の教育の基本である。義塾の創立者である福澤先生は、生涯を通じて終始、一身の独立を論じ、一国の独立を念じ、志操はあくまでもこれを高く堅持し、いやしくも卑屈賎劣なことは寸毫(すんごう)といえども仮借(かしゃく)しないところがあった。しかも、ただ口でいうだけでなく、常に身をもってそれを示された。
その福澤先生が、晩年に、小幡篤次郎以下数名の高弟たちに長子一太郎を加えて、義塾の主唱する道徳綱領の編纂(へんさん)を命じられた。明治三十三年(一九〇〇年)二月十一日に脱稿して、同月二十四日、第四〇四回三田演説会で発表された二十九か条の「修身要領」がそれで、これこそは先生の右のような平素の主義主張を簡潔明瞭に集約したものなのであった。つまり、独立自尊の人たるべき真の在り方を最も端的に説いたものといってよく、たとえば「心身の独立を全うし自らその身を尊重して人たるの品位を辱(はずかし)めざるもの、之を独立自尊の人と云う」(第二条)といったぐあいに、それが条を追ってしるされているのである。
それに、そもそも「独立自尊」なる成語もまた実は、この「修身要領」が発表されてのちに多く口にされるようになったのである。現に先生自身のそれまでに書かれたものには特にこの四字を成語として使っている例は案外に少なく、明治二十三年(一八九〇年)八月二十九日付の『時事新報』の社説「尚商立国論」中に一度見られるほかは、(一八九七年)明治三十年六月十九日の第三六八回三田演説会で「人の独立自尊」と題して演説されたことがあり、あるいは同年十月二十四日付の『時事新報』に掲載された『福翁百余話』㈧「知徳の独立」のなかに「独立自尊の本心は百行の源泉にして、源泉滾々(こんこん)到らざる所なし」とある例が存するくらいにすぎない。
それはそれとして、もし先生の教えの根本を一言で言いあらわそうとすれば、この「独立自尊」の四字にまさることばはおそらく他には見あたるまい。先生の法名「大観院独立自尊居士」というのは前記の小幡の撰になるといわれるが、先生の人となりをまことに適切にいいあてたものといえよう。」
豆百科には、このように四字熟語「独立自尊」が登場した経緯が述べられ、この言葉が先生の教育の基本であることが示されている。しかしこの説明でも、なぜ先生がこの言葉を思いついたかといった発見の動機には触れていない。
長い年月が経った現在、「独立自尊」は福澤諭吉先生の信念の言葉として完全に定着している。したがって今更その言葉の誕生の経緯を詮索する人もいないのだろうと思う。ただ、私は少し違う。
「「独立自尊」には表立って世間に知られていない秘話がある―――」。こう聞いて耳をそばだてた記憶がある。どういうことか。秘話とは何だろう。真相をさぐりたいと思いつつも、確かめることなく今日に至ったという事情があるからだ。
―――昭和三十三年(一九五八年)。私は内山正熊教授のゼミナールの学生だった。この問題にかかわる話が教授の口から発せられたのはその授業中だった。
「「独立自尊」という言葉の誕生には、福澤先生のご子息の三八さんがからんでいるんだよ。独立自尊という言葉はおそらく不朽不滅だろう。福澤先生が太陽であるならば、三八先生は月のような存在だ。しかしそれにしても、あまりにも三八先生は無名すぎる」と。内山教授の話はこのようなものだったが、私には、福澤先生のご子息の三八さんが「独立自尊」という言葉にどうかかわっているのか、まるで見当がつかなかった。
次にこの問題と出合ったのは、その三年後の夏、私がロンドン大学LSEに留学していた時であった。内山正熊教授から連絡があり、「もうじき清岡暎一教授がイギリスへ行かれるから、君がロンドンでご案内役をしてくれないか」との手紙を受け取った。
清岡暎一教授は福澤先生の三女「俊」さんを母に持つ先生のお孫さんであり、したがって三八さんは叔父にあたる福澤家の一人である。清岡教授にお会いできるのなら、慶應義塾のこと、とくに福澤諭吉先生のことを何でもお尋ねできる絶好の機会だと思った私は喜んで当日、ホテルにお迎えに行った。
ロンドン市内観光、その後郊外のウインザー城、オックスフォード大学などへのドライブを計画していた私に、教授はいきなり、「市内の夏目漱石が住んでいた家を訪問したい。漱石の小説「坊ちゃん」のモデルが三八先生と聞いているから」とおっしゃった。意外な話だが、このことは第三章で触れることにする。
その後の観光ドライブの道々、私の質問は当然のように福澤諭吉先生と福沢家一族のことに集中した。福澤家の多くの人々は若いうちに欧米へ行き、世界の動きを学び、和魂洋才の精神に則って日本に適した西洋文明を我が国に採り入れてきた。教授のお話を聞きながら、その行動力が抜群であること、近代日本の発展に大きく貢献されたことなどがよく理解できた。教授との会話は生涯忘れることのできない貴重な時間であった。
そんな時、教授からびっくり発言が飛び出した。
「君、「独立自尊」の秘話を聞いたことがあるか」
私は驚きながら、「はい、内山教授からゼミの時間に承ったことがあります」と答えた。「そうか。三八さんは兄弟姉妹の中でもとても面白い人間でしたよ。独立自尊の秘話は塾の中では大きく報道されていないが、ことのほか諭吉先生は息子の三八さんに感謝しておられると思いますよ」
ここで再度、「独立自尊」と三八さんの関わりが出てきたのである。
清岡教授はつづけて「秘話」のいきさつや周辺の話をしてくださった。さらに三八さんの幼稚舎時代のやんちゃ話にも花が咲いた。
少し整理しておく。
福澤先生のもっとも有名な著作「学問のすゝめ」。その文中には新時代を開いた言葉が百五十か所にわたって出てくる。自由、独立、平等、自主などの二文字と、自主独立、自由独立、一身独立、人民独立、一家独立、一国独立、有形独立、不(ふ)羈(き)独立、人民同権、同位同等、人間同等などの四文字。しかしこれらの中に「独立自尊」はない。
先生はさまざまな啓蒙の文章を書く中で、自分の主義主張をひと言で表現できる四字熟語をたえず模索しておられた。晩年に至るまでこれとうなずける名案が出なかったのに、ご自身の八人目の三男「三八さん」当時満九歳が、この決定的な言葉の誕生に一役買ったというのだ。しかしまだ幼い少年が「自尊」などという高邁(こうまい)な精神に関わる言葉に関与する能力を持っているものだろうか。言い換えれば、「独立自尊」の四字熟語には三八少年がからんでいると指摘する内山教授や清岡教授のお話は、現実か幻かということである。このことを初めて聞いた一九五八年から今日まではすでに六十年以上経ってしまったけれども、私はその「秘話」の信憑性を自分の目で確認してみたいと思い立った。是れ、今回の執筆の動機なり。
版元から一言
六十年の月日を経て、今こそ明かす「独立自尊」誕生秘話!
福澤諭吉先生の名言「独立自尊」はどのようにして生まれたのか? その謎をたどると、子息三八さんを首領とする少年団「自尊党」の存在が見えてきた。慶應義塾大法学部・内山正熊ゼミ出身(第四期生)の著者は、内山教授や清岡暎一教授など、当時の関係者だけが知っていた〝秘話〟を手掛かりに、平成7年(1995年)、三田キャンパス演説館であった内山先生の講演速記録(「三田評論」掲載)をもとに福澤語録の真実に迫っていく。「独立自尊」誕生の〝原点〟を考察したノンフィクション。
上記内容は本書刊行時のものです。