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小説は何処から来たか――21st Century Edition 後藤 明生(著) - つかだま書房
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小説は何処から来たか――21st Century Edition (ショウセツハドコカラキタカ トゥエンティセンチュリーエディション)

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A5判
366ページ
上製
価格 3,600円+税
ISBN
978-4-908624-08-7   COPY
ISBN 13
9784908624087   COPY
ISBN 10h
4-908624-08-9   COPY
ISBN 10
4908624089   COPY
出版者記号
908624   COPY
Cコード
C0093  
0:一般 0:単行本 93:日本文学、小説・物語
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2019年12月25日
書店発売日
登録日
2019年12月5日
最終更新日
2020年2月28日
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紹介

「なぜ小説を書くのか? それは小説を読んだからだ」――。独自の小説論を提唱し実践してきた小説家・後藤明生が、過去に発表した原稿を自らの手で「REMIX=再編集」し、日本近代文学史の書き直しに挑んだ小説論の集大成。二葉亭四迷→日本文学とロシア文学→夏目漱石→芥川龍之介→永井荷風→宇野浩二→牧野信一→横光利一→太宰治→花田清輝→武田泰淳→鮎川信夫→丸谷才一→古井由吉……。巻末には著者が自ら編纂した「世界小説年表」を掲載。解説は映画監督・評論家の樫原辰郎さん。小説の未来は小説の過去にある!?

目次

プロローグ――柄谷行人の『日本近代文学の起源』と『反小説論』
第1章❖日本近代小説の夢と現実――二葉亭四迷
第2章❖喜劇としての近代――日本文学とロシア文学
第3章❖二十世紀小説としての新しさ――夏目漱石
第4章❖方法としてのテキスト――芥川龍之介
第5章❖「生理学」の方法――永井荷風
第6章❖「都市小説」の構造――宇野浩二と永井荷風
第7章❖夢のプログラム――宇野浩二と牧野信一
第8章❖自意識の喜劇――横光利一
第9章❖反復と引用のエクリチュール――太宰治
第10章❖超ジャンルと楕円Ⅰ――花田清輝
第11章❖超ジャンルと楕円Ⅱ――武田泰淳
第12章❖文体的思考――鮎川信夫
第13章❖フィクションの変奏――丸谷才一
第14章❖「戦中少年」の体験と方法――古井由吉
第15章❖ジャンルと形式の起源Ⅰ
第16章❖ジャンルと形式の起源Ⅱ
世界小説年表
あとがき
新版解説❖樫原辰郎(映画監督・評論家)

前書きなど

小説は何処へ行くか、と問われるときは、小説の危機か衰弱か、相場は大体決まっている。そしてその問いは、小説は何処から来たか、という問いとほぼ同じである。衰弱した小説とは、小説は何処から来たか、というジャンルとしての自己反省を忘れた小説だからである。また、混血=分裂による超ジャンル性、すなわち「いかがわしさ」の自意識を忘れた小説だからである。つまり、小説の未来は小説の過去にある。「われわれは皆ゴーゴリの『外套』から出て来た」とドストエフスキーはいった。衰弱した小説は『外套』を持たぬ小説である。――(本書「プロローグ」より)

著者プロフィール

後藤 明生  (ゴトウ メイセイ)  (

◉後藤明生|ごとう・めいせい(1932年4月4日―1999年8月2日)
「内向の世代」の作家として知られる後藤明生は、1932年4月4日、朝鮮咸鏡南道永興郡(現在の北朝鮮)に生まれる。13歳で敗戦を迎え、「38度線」を歩いて超えて、福岡県朝倉郡甘木町(現在の朝倉市)に引揚げるが、その間に父と祖母を失う。当時の体験は小説『夢かたり』などに詳しい。旧制福岡県立朝倉中学校に転入後(48年に学制改革で朝倉高等学校に)、硬式野球に熱中するも、海外文学から戦後日本文学までを濫読し「文学」に目覚める。高校卒業後、東京外国語大学ロシア語科を受験するも不合格。浪人時代は『外套』『鼻』などを耽読し「ゴーゴリ病」に罹った。53年、早稲田大学第二文学部ロシア文学科に入学。55年、小説「赤と黒の記憶」が第4回・全国学生小説コンクール入選作として「文藝」11月号に掲載。五七年、福岡の兄の家に居候しながら図書館で『ドストエフスキー全集』などを読み漁る。58年、学生時代の先輩の紹介で博報堂に入社。自信作だった「ドストエフスキーではありません。トリスウィスキーです」というコピーは没に。59年、平凡出版(現在のマガジンハウス)に転職。62年3月、小説「関係」が第1回・文藝賞・中短篇部門佳作として「文藝」復刊号に掲載。67年、小説「人間の病気」が芥川賞候補となり、その後も「S温泉からの報告」「私的生活」「笑い地獄」が同賞の候補となるが、いずれも受賞を逃す。68年3月、平凡出版を退社し執筆活動に専念。73年に書き下ろした長編小説『挾み撃ち』が柄谷行人や蓮實重彥らに高く評価され注目を集める。89年より近畿大学文芸学部の教授(のちに学部長)として後進の指導にあたる。99年8月2日、肺癌のため逝去。享年67。小説の実作者でありながら理論家でもあり、「なぜ小説を書くのか? それは小説を読んだからだ」という理念に基づいた、「読むこと」と「書くこと」は千円札の裏表のように表裏一体であるという「千円札文学論」などを提唱。また、ヘビースモーカーかつ酒豪としても知られ、新宿の文壇バー「風花」の最長滞在記録保持者(一説によると48時間以上)ともいわれ、現在も「後藤明生」の名が記されたウイスキーのボトルがキープされている。

樫原 辰郎  (カシハラ タツロウ)  (解説

◉樫原辰郎|かしはら・たつろう
一九六四年、大阪生まれ。大阪芸術大学文芸学科中退。映画監督、評論家。学生時代に後藤明生の小説『使者連作』(集英社・一九八六年刊)と出会ったことから後藤明生を読み始め、その当時のバイト先であった海洋堂を辞めた後は実家の水道屋カシハラ商会で働いていたが、一九九八年頃、人に誘われて上京、脚本家として活動するうちに渡辺護監督の推薦で二〇〇一年頃から映画監督を始める。二〇〇二年『美女濡れ酒場』で第十五回ピンク大賞・作品、脚本、新人監督部門受賞。二〇一四年に『海洋堂創世記』(白水社)で著述家になり、二〇一六年の『『痴人の愛』を歩く』(白水社)で評論家に進出と、アミダクジ式に肩書が増えて現在に至る。他の著書に『帝都公園物語』(幻戯書房)がある

上記内容は本書刊行時のものです。