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沖縄戦場定点写真集
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2025年8月8日
- 書店発売日
- 2025年8月8日
- 登録日
- 2025年7月11日
- 最終更新日
- 2025年9月12日
紹介
沖縄戦で米軍が撮影した膨大な写真のうち148枚の場所を特定し、同じ画角で撮影
戦時下の壮絶な光景と、戦後の激変ぶりを比較し、戦争と平和を考える
「撮影場所と撮影ポイントの見つけ方」「あまりに多い記録の間違い」等のコラム
目次
まえがき 2
目次 4
凡例 6
主陣地帯図、上陸海岸図 7
日米両軍編成表(開戦時) 8
第1章 北部 9
本島北部の戦闘経過 10
辺戸地区米軍駐留地 12
国頭村での武装解除 14
伊地地区の海兵隊 16
田嘉里地区を進撃する海兵隊 18
仲尾次集落を通過する海兵隊 20
我部祖河における武装解除 22
武装解除式に向かう日本軍将兵 24
本部半島攻略に向かう海兵隊 26
海兵隊によるヤガンナ島の索敵 28
古宇利島の避難民輸送 30
仲宗根地区大井川橋を渡る海兵隊 32
伊江島への上陸準備射撃を見守る群衆 34
本部飛行場 36
八重岳を砲撃する海兵隊砲兵部隊 38
許田へ急進する海兵隊 40
万座毛の海兵隊員 42
屋嘉捕虜収容所 44
石川収容所 46
石川へ進撃する海兵隊 48
北上する米軍車両と日本軍捕虜 50
米軍による道路拡張工事 52
宇堅橋の避難民 54
高江洲歯科医院 56
アラカキ自転車店 58
勝連の日本軍監視哨 60
上陸海岸(GREEN1)の揚陸状況1 62
上陸海岸(GREEN1)の揚陸状況2 64
製糖工場の索敵 66
上陸初日の比謝川河口 68
読谷飛行場 義烈空挺隊の惨状1 70
読谷飛行場 義烈空挺隊の惨状2 72
読谷飛行場 飛行場本部 74
読谷忠魂碑 76
比謝橋全景 78
長田橋からの進撃 80
長田橋上の道路状況 82
第96師団司令部 84
普天間を通過する米軍 86
コラム1 撮影場所と撮影ポイントの見つけ方 88
第2章 島嶼部 91
島嶼の戦闘経過 92
座間味島への上陸1 94
座間味島への上陸2 96
座間味島 山中への進撃 98
座間味島 忠魂碑前を通過する米軍 100
座間味島 米軍墓地 102
慶留間島への上陸 104
慶留間島の対空陣地 106
慶留間島 トゥンチグワーの米兵 108
阿嘉島への上陸 110
阿嘉島の掃討 112
阿嘉島での星条旗掲揚 114
外地島への上陸 116
外地島 米軍高射砲陣地 118
渡嘉敷島 阿波連への上陸 120
渡嘉敷島 阿波連上陸直後の米軍 122
渡嘉敷島 阿波連から北上する米軍 124
伊江島 航空機による上陸準備射撃 126
伊江島 日本軍陣地へ接近する兵士 128
伊江島 西から伊江城山へ接近する米軍 130
伊江島 誘導路を移動する戦闘機 132
伊江島 水源地へ向かう米兵 134
伊江島 学校高地と女山 136
伊江島 伊江中学校から城山を望む 138
伊江島 アーニーパイル記念碑 140
伊平屋島への上陸 142
伊平屋島 上陸直後の状況 144
伊平屋島 上陸後の集結 146
伊平屋島 移動する避難民 148
伊平屋島 我喜屋掃討中の米兵1 150
伊平屋島 我喜屋掃討中の米兵2 152
伊平屋島 不時着機した日本軍機 154
伊平屋島 補給物資集積場 156
コラム2 ネガの裏焼きに翻弄される 158
第3章 中部 159
本島中部の戦闘経過 160
ロッキークラグス(142高地) 162
嘉数高地の戦闘 164
嘉数高地鞍部の戦況 166
西原高地への前進 168
牧港渡河1 170
牧港渡河2 172
スカイラインリッジへの攻撃 174
棚原高地付近を走る戦車 176
大謝名の砲兵陣地 178
仲間の切通(Nakama Pass) 180
城間R-1上の車列 182
城間Item Pocket 184
安波茶 攻撃準備射撃 186
安波茶 火炎戦車による攻撃 188
安波茶 対戦車砲部隊 190
安波茶 沢岻方面への増援 192
50m閉鎖曲線高地の戦闘 194
宮城 小湾川を通過する戦車 196
宮城 切通を通過する戦車 198
宮城 負傷兵の収容 200
前田高地の断崖 202
前田 断崖上のドス伍長 204
前田 浦添国民学校 206
前田高地を超えて首里へ 208
小湾 日本軍逆上陸部隊の掃討 210
小湾 掩護待機中の水陸両用戦車 212
安謝 安謝川の渡河 214
安謝 ブタノール工場への突入 216
安謝 安謝川河口 218
安謝 チャーリーヒルの試練 220
シュガーローフの戦闘1 海兵隊の悪夢 222
シュガーローフの戦闘2 粉砕された海兵隊 224
シュガーローフの戦闘3 東斜面の攻撃 226
シュガーローフの戦闘4 軽便鉄道の隘路 228
シュガーローフの戦闘5 戦車部隊の突入 230
シュガーローフの戦闘6 命令下達 232
内間 遺体収容作業 234
ハーフムーンから首里を臨む 236
上之屋 シュガーローフ方向を見る 238
上之屋 那覇市突入前 240
上之屋 那覇市へ下る 242
上之屋 那覇市郊外の戦闘 244
天久台から那覇市を望む 246
泊国民学校への突入 248
泊高橋 250
安里川渡河 252
那覇市街地の砲兵 254
那覇市 家庭裁判所前 256
那覇市 那覇教会 258
那覇市 波上宮 260
那覇市 軽便鉄道那覇駅 262
那覇市 県庁前の戦車 264
那覇市 護国神社鳥居 266
130高地の戦闘 268
140高地の戦闘 270
150高地の戦闘 272
西原地区遠望 274
運玉森 東部戦線激戦地 276
与那原 軽便鉄道与那原駅 278
与那原 破壊された与那原 280
与那原 遺棄された軍需品 282
大名高地の戦闘 284
首里 県立第一中学校 286
首里 西のアザナから那覇を見る 288
首里城久慶門の惨状 290
破壊された首里教会 292
首里赤田の遺棄戦車 294
コラム3あまりに多い記録の間違い 296
第4章 南部 297
本島南部の戦闘経過 298
海兵隊の小禄上陸 300
瀬長島上陸後の海兵隊 302
小禄 北上する避難民1 304
小禄 北上する避難民2 306
小禄 宮城地区の戦闘 308
小禄 小禄28高地 310
小禄 日本兵の掃討 312
糸満市 白銀堂の海兵隊 314
糸満市 砲兵観測員 316
糸満市 国吉地区を北上する避難民 318
バックナー中将戦死地 320
真栄里を進撃する兵士 322
与座集落西側稜線の戦闘 324
ビッグアップル 326
真栄平を進撃中の戦車 328
富盛の石彫大獅子 330
サトウキビ畑での日本兵捜索 332
参考文献 334
あとがき 335
前書きなど
沖縄公文書館では沖縄戦時に米軍が撮影した膨大な写真が公開されている。無論公開されていない写真もあるだろうし、大元の米国公文書館にはそれ以上の写真が残されているはずだ。そこには戦闘状況下にある米国将兵や日本兵、避難民、死体、壊れた戦車、スポーツを楽しむ兵士や、慰労会の写真なんかもある。そしてそれらモノクロの写真はもう沖縄戦が遙か過去の出来事だと訴えているようだ。
20年程前、沖縄戦の調査研究のため沖縄戦で歩兵大隊長であった方に、実際に戦った戦場、実際に指揮した場所を案内してもらったことがある。その戦場は棚原という場所で、大隊長が指揮所を開設したところは雑草が生い茂る荒れ地になっていた。その日は晴天で、南国の青い空と白い雲、そして濃い緑に囲まれた穏やかな日であった。大隊長から少し離れた場所で指揮所跡を撮影した時、大隊長がじっと立ちつくして涙を流されていることに気がついた。「思い出されましたか?」と聞くと、「この50mくらい前に第2中隊長が蛸壺(掩体壕)にいてね。米軍の迫撃砲弾が落ちて爆発したときに、彼が宙を舞ったのを今でも忘れられないんだ」と静かに話された。その時初めて感じた、本当にこの場所が戦場であったのだと。頭では沖縄戦のあった場所だとわかっていても、どこか遠くの出来事としてとらえていた自分がいた。だが大隊長は数十年前に、この場所で実際に命を失う可能性がある状況下に、この場所に確実に立っていたのだ。しかもモノクロの世界ではなく、カラーの世界に立っていたのだ。
我々が見る沖縄戦の写真はモノクロだ。だけどそれを撮影したカメラマンも、写された人々も見ていた世界はカラーだったのだ。きっと大隊長も宙を舞う中隊長の姿をカラーで思い出していたに違いない。それから沖縄戦の写真を見る目が変化した。ここにある膨大な当時の写真は、絶対にこの沖縄という島のどこかで撮られたのだ。そして写真を撮ったカメラマンもこの沖縄のどこかに立っていたのだ。何を撮ろうとしたのか、何を考えていたのか。その時から写真が撮られた場所やカメラマンが立った場所を探すことになった。同じ場所に立って、カメラを同じ方向、同じアングルで撮影し、それがカラー写真であれば、少しだけ当時の彼らの気持ちに近づけるのかもしれないと。
それから約20年。撮影した場所がわかった写真は約600枚。そのうちカメラマンが立っていた場所に実際に立てた写真は約350枚。その場所で同じ画角で撮影出来た写真は約250枚であった。場所はわかるがその場に立てないというのは、大半が住宅地に変貌していて敷地に立ち入れないこと、大規模な商業施設に変化して地形がすでになくなっていることが多かった。特にこの傾向は浦添市や那覇市に顕著であった。この地区には膨大な戦闘中の写真が残されているが、戦後の開発によって地形が削り取られてあったはずの山すらないという状況だ。たとえその場所に立てても眼前がビルで全く視界がないこともよくあることだ。ある大隊長が攻撃前に命令下達を行った小さな丘に囲まれた窪地も、今は大規模なショッピングセンターの婦人服売り場だ。
本書では沖縄本島を北部・中部・南部の3つの地域に分け、これに島嶼部を加えている。
この中で本島北部と島嶼部には戦場となった場所や撮影ポイントがそのまま残されていることが多いのが特徴だ。本島中部と比較して開発されていないことがその理由だが、写真の兵士が立っている場所や敵火を避けて身をかがめている場所までわかる写真もある。もうひとつの特徴は、米軍が撮影した時期が3月下旬から4月中旬(伊平屋島のみ6月)であることから、写真はどれも概ね晴天の日が多いことだ。目にする写真はモノクロなので戦争の陰鬱さや時代を感じさせる雰囲気が漂っているが、実際は美しい沖縄の青い海と青い空であったに違いない。したがって北部と島嶼部ではできる限り当時の天候と同じ晴天の日を敢えて選んで撮影している。
一方で、本島中部は膨大な戦闘を含む写真が残されているが、戦後における開発で多くの地形が失われて大きく変貌を遂げたために、かつての戦場は著しくその姿を消している。本島南部はある程度の戦場が残されているが、沖縄戦末期のために撮影された写真の対象が避難民や収容所などが多く、意外に戦闘に関する写真が少ないのが特徴だ。そして本島中部・南部は戦闘時期が4月から6月にかけてであり、その半分以上が梅雨期である。そのため写真の多くが曇天や雨のものが多い。したがって、これらの地区では意図して晴天を選ぶことはしなかった。現在の写真の撮影時期が1月に集中しているので晴天の日も多かったが、敢えて天候を選ばすに撮影している。
本書における地域区分
本書では沖縄本島を北部・中部・南部と3つに区分しているが、これは一般的に使われているものと異なっている。本書の区分は以下のとおりである。
本島北部:日本軍主陣地帯(第1線陣地)より以北
本島中部:日本軍主陣地帯(第1線陣地)から首里まで
本島南部:首里から摩文仁まで
上記内容は本書刊行時のものです。
