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ソウル25区=東京23区 吉村剛史(著/文) - パブリブ
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ソウル25区=東京23区 (ソウルニジュウゴクトウキョウニジュウサンク) 似ている区を擬えることで土地柄を徹底的に理解する

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発行:パブリブ
四六判
384ページ
並製
価格 2,300円+税
ISBN
978-4-908468-47-6   COPY
ISBN 13
9784908468476   COPY
ISBN 10h
4-908468-47-8   COPY
ISBN 10
4908468478   COPY
出版者記号
908468   COPY
Cコード
C0026  
0:一般 0:単行本 26:旅行
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2021年1月15日
書店発売日
登録日
2020年12月22日
最終更新日
2021年8月17日
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紹介

既視感溢れる並行都市
ガイドブックが絶対に扱わない
住宅街・ベッドタウン・下町・スラム街・外国人街・工場地帯の
雰囲気や特徴が掴め、韓流・K-POP理解が深まる!

人口・面積だけでなく区数までも拮抗するライバル都市
よく「明洞=渋谷」「梨泰院=六本木」と例えられるが
ソウルの江東区は葛飾区に似ており、
東京の江東区はソウルの広津区に似ているのだった!

鍾路区=千代田区 官公庁や新聞社、金融機関など国の主要機関が揃う名実共に国の中枢
龍山区=港区 梨泰院や大使館が並ぶ漢南洞、在韓米軍基地などソウル一の国際区
麻浦区=品川区 絶景の漢江の川港、若者の街弘大やテレビ局が集まる近未来的な街も
ソウルにあるものを東京に擬える 2号線=山手線、延世大=慶應大学、NHK=KBSなど
近郊都市を擬える 議政府市=横須賀市、富川市=川崎市、水原市=さいたま市など 
ソウルと東京を競わせる ソウルタワーVS東京タワー、63ビルディングVSサンシャイン60など
などの珍コラム・巻頭カラー80ページ・詳細な地図など盛り沢山の地理アナロジー読本!

目次

目次

はじめに 2
目次 7
ソウル25 区=東京23 区対称地図 9
各区カラー写真 10
ソウルの拡張と変遷 88
東京23区簡易地図 89
ソウル・東京統計データ 90
ソウル25区地図 95

1章 都心圏 鍾路区・中区・龍山区 97
鍾路区=千代田区 官公庁や新聞社、金融機関など国の主要機関が揃う、名実ともに国の中枢 100
中区=中央区+新宿区 南大門市場や明洞、市庁、ソウル駅が所在し、鍾路区と並ぶ首都中枢 118
龍山区=港区 梨泰院や大使館が並ぶ漢南洞、在韓米軍基地などソウル一の国際区 135
コラム1 ソウルにあるものを東京に擬える 150

2章 東北1圏 城東区・広津区・東大門区・中浪区 159
城東区=荒川区 墨田区の要素あり 小規模工場や倉庫のリノベーションが進む聖水洞とソウル東部の住宅地 162
広津区=江東区 カオスな雰囲気が漂う建大入口駅周辺、漢江に面したリバーサイドの街 169
東大門区=豊島区 池袋のない豊島区+文京区・台東区の要素も 
  有名大学が多い東部のベッドタウン、かつての集娼街・清凉里は再開発進む 177
中浪区=北区 龍馬山などの山々に囲まれた、東大門区から分離した郊外住宅街 188
コラム2 ソウルのなかの日本・東京のなかの韓国 194

3章 東北2圏 城北区・江北区・道峰区・蘆原区 201
城北区・道峰区・江北区=世田谷区+目黒区の一部 
 北漢山に接し、城北洞はペ・ヨンジュンや日本大使も住む高級住宅街 204
蘆原区=練馬区 大規模高層アパート団地が立ち並び、タルトンネも残るベッドタウン 217
コラム3 ソウル近郊の都市を東京近郊の都市に擬える 227

4章 西北圏 恩平区・西大門区・麻浦区 235
恩平区=板橋区 ニュータウン開発が進む、北朝鮮や新義州など北方向かう京義線通る 238
西大門区=台東区 少し豊島区・文京区の要素あり 
 延世大や梨花女大など名門大学がある一方で地元密着の市場が栄える下町 246
麻浦区=品川区 +原宿・夢の島 絶景の漢江の川港、若者の街弘大やテレビ局が集まる近未来的な街も 257
コラム4 東京とソウルの郷土料理 269

5章 西南圏 陽川区・江西区・九老区・衿川区・永登浦区・銅雀区・冠岳区 277
陽川区=中野区 韓国一の人口密集地帯、プロ野球場やアイスリンクもある木洞 280
江西区=江戸川区 水田も残る低地、金浦空港があり、ファミリー向け再開発が進む街 287
永登浦区・九老区・衿川区=大田区 汝矣島=お台場 
 外国人労働者も多く居住する工場街、国会議事堂のある汝矣島も 296
銅雀区=墨田区 鷺梁津水産市場があり、公務員予備校もある街。国立ソウル顕忠院も所在 309
冠岳区=足立区 ソウル大学があり、半地下部屋密集、朝鮮族・中国人街、スラム街を形成 317
コラム5 ソウル∨S東京 325

6章 東南圏 瑞草区・江南区・松坡区・江東区 333
瑞草区=杉並区 雰囲気は世田谷区、ハード面で中野区の要素あり 
 カフェ通りや国立中央図書館、フランス人街など文化の香りが漂う 336
江南区=渋谷区+目黒区と港区の一部 PSYの世界的ヒット曲でも有名なソウル随一の流行発信地 348
松坡区=文京区 ニュータウンは江東区・江戸川区 蚕室綜合運動場やロッテワールド、オリンピック公園等テーマパーク揃い 362
江東区=葛飾区 足立区北千住の要素も 今なお飾り窓の集娼街が残る千戸洞、いにしえ香る岩寺洞 371

あとがき 379
参考文献 382

前書きなど

はじめに
本書のコンセプト
日本と韓国は東アジアを構成する国であり、ともに漢字文化圏である。物理的な距離も近く、人々の顔つきはもちろん、街並みや言葉まで似ており、初めて訪れるときにも見慣れた印象を覚えるのではないだろうか。時折、日本のどこかの街で見たような既視感さえ生じる。そしてソウルの明洞は渋谷や原宿、梨泰院は六本木といったように似ている街が思い浮かぶことだろう。本書ではこうした感覚を、首都である東京とソウルの区に当てはめ、それぞれを隅々まで例えてみようというものである。
東京都には23の特別区がある。一方でソウル特別市には25の区があり、その数は近似している。考えようによっては競い合っているようにも見える。かつて朝鮮半島を日本が統治していた歴史から似たような近代建築が残る一方、韓国が日本の支配から脱し(朝鮮半島ではこれを「光復(광복)」と呼ぶ)、経済成長を遂げる過程では日本に対抗して建てたかのようなスペックの建物も見られ、コピー商品と思われるほど似ているものまで生まれた。近年では「ベンチマーキング」という名のもと、参考にして作ったような店やサービスも存在する。もちろん日本も他国を参考にして作ったものが多々あり、時には韓国で生まれたものが似てくることもあるだろう。
本書では東京23区、ソウル25区でそっくりだと思えることはもちろん、時にはこじつけにも思えるかもしれないが、似ている要素を存分に集めて執筆してみたものである。本章へと移る前に、ソウルと東京の歴史や変遷、そして両都市のスペックについて触れてみたい。

近世のソウルと東京
ソウルは1392年の朝鮮王朝の成立の際、李成桂(이성계)の名により、無学大師が都にふさわしい場所を探しにやってきた。その場所は漢陽(한양)であり1394年に開京(現在の開城)から遷都した。1395年に景福宮を創建し、ソウルを囲む内四山に18・6キロメートルに及ぶ城郭を築いた。都が移ったあとも一般的には漢陽と呼ばれていたが、都の名を「漢城(한성)」し、行政府の名は「漢城府(한성부)」となった。ちなみに「ソウル(서울)」という言葉は、固有語では「みやこ」という意味の一般名詞でもある。
一方で東京は、徳川家康が1590年に江戸城に入城、1600年に関ケ原の戦いで勝利したことを機に、1603年に江戸に幕府を開いた。徳川家康がなぜ江戸を選んだのかは諸説あるのだが、そのひとつは当時の大量輸送手段である水運を重視したことが理由だといわれている。江戸城入城後には現在の都心部に日本橋川や京橋川などを掘削し、周辺には河岸が作られ、ここに魚介類や野菜が運ばれてきた。そして江戸時代初期には墨東と呼ばれる隅田川の東側(現在の墨田区、江東区)あたりに運河を作っていった。なかでもこの地域に最初に掘削された小名木川は、千葉の行徳の塩を運ぶことを目的としていた。その後は東西だけでなく南北に川を巡らせており、現在も東京の東側にはそうした運河の名残が見られる。
話をソウルに戻すと、朝鮮時代には漢江に川港があった。地図を眺めていると麻浦、永登浦といった地名が目にとまるだろう。これは水運が発達していた頃の川港の名残である。漢江には黄海を通して塩辛が運ばれてくるとともに、内陸にあたる利川(이천)、驪州(여주)からは舟で米や陶磁器などが運ばれてきた。朝鮮時代は漢江を利用した水運が盛んだったソウルだが、1899年に仁川~鷺梁津間の鉄道が開通すると、次第に水運は衰えることとなり、鉄道を中心とする陸上交通に代わっていった。いずれの都市も近世の物流は水運によって成り立っていたのである。

東京23区とソウル25区の成り立ち
大政奉還により江戸幕府が消滅すると、1868年に天皇が江戸城に入城、翌年には江戸は東京と改められた。その際に「東京府」が発足した。東京に区が設置されたのは1878年のことで、当初は15区6郡であり、これが現在の23区とほぼ同等の地域である。つまり本書が扱う「東京23区」の範囲は、約140年前にほぼ固まっていたのである。1989年には大日本帝国憲法下の市制町村制により東京市ができ、15区は東京市の下部組織となった。そして「郡」であった地域は1932年に新市域として編入されて、東京市は35区となり、その後1943年には東京都が発足した。終戦後の1947年3月には東京は22区となり、8月には板橋区から練馬区から独立する形で発足し、現在の23区となった。
朝鮮半島では1910年に日韓が併合される、漢城府は「京城府」と改められた。ちなみに「京城(경성)という呼び名は、日本統治時代以前から存在していた。都市化が進んだ1936年には府域が拡張され、区制が始まったのは1943年のことであり、1945年の太平洋戦争終戦までに8区が発足している。これが現在のソウルにおける区の基礎となるものだ。1949年にはソウル特別市に改称、1963年には現在の江南にあたる地域がソウルに編入されて9区に、1973年には11区まで増え、この時点でほぼ現在の25区の範囲に固まった。そこからは既存の区が分離するようにして増えていき、1995年に現在の25区となった(その際に一部の地域をソウルに編入している)。つまり東京23区の範囲は約140年前にほぼ固まっていたのに対し、ソウルは1945年以後も拡張し続け、今のソウルの範囲とほぼ同等になってからは50年足らずなのである。

ソウル・東京の街並みとスペック
風水地理学により選定された都市であるソウルは、市内を南北に二分するように漢江が流れ、城郭が連なる内四山、そして外四山に囲まれている。光化門や明洞といったソウル中心部に訪れると、山が至近距離で確認できる。明洞方面からはケーブルカーを利用して南山に上がる途中には、ソウル北部に位置する山々を望み、夜ならば繁華街の夜景が間近に見られる。一方で新宿の東京都庁の展望台に上がってみると、関東平野が広がっており、平地では多くの人が暮らしている。晴れた日には遠く離れた奥多摩や秩父、北関東の山々を望む。
次に人々の暮らしの場を見てみよう。仁川空港や金浦空港からソウル中心部へと向かう途中には、日本では見られないような高層のアパート(아파트)群が目に入ってくるだろう。かつては5階建てのアパートも存在していたが、現在は10階建て以上が主流である。東京には23区の外縁部や多摩地区には1970年代に建設された大規模団地が今もなお存在しており、1950年代に建てられた23区内の団地は高級団地として建て替えられたところもある。ソウルをはじめとする韓国の都市部ではアパート住まいがスタンダードだが、日本では一軒家も数多いだけでなく、都心にはアパートやマンション、最近までは高層のタワーマンションの人気も高かった。
そして両都市のスペックに目を向けてみよう。多摩地区・島嶼を含めた東京都全体では1400万人近い人口を有するが、東京23区は約966万人、面積は約627平方キロメートルである。一方でソウル25区は約995万人、面積は約605平方キロメートルでほぼ似たり寄ったりの数字だ。地形や街並みの違いは見られるが、ソウルと東京はほぼ同程度のスペックの都市なのである。本書は両都市の区の数はもちろんだが、人口や面積といったスペック面でも似たり寄ったりの2つの都市を比較するものである。

本書で例えるときのルール 
本書で東京の区に例える際の基本的な事項を説明しておきたい。区を決める際には各区の面積や人口などのスペックや、公園、建物、遊園地といった施設ももちろん参考にしているのだが、両都市の区を訪れたことのある人であれば、きっと共通に持つであろうイメージを最重視した。特にソウルについては1973年以降、分離を重ねる形で25区まで増えているが、分離して新設された自治体は、以前に属していた区のカラーをある程度引き継いだものと考えた。例えば九老区、衿川区は、日本統治時代から工場が多い永登浦区から分離して発足したこともあり、その全域を大田区として例える、といった形だ。もちろんすべての区の細部がそのままそっくり例えられるわけではないため、区域を超えて例えてみた箇所も多い。筆者が渋谷の街を歩いていたら、「弘大って裏原宿みたいだよね」という声が聞こえてきたが、そうした印象もできる限り盛り込むように努めた。本書では一般の観光ガイドブックにはめったに紹介されることがない、ソウルの細かな地域まで盛り込んだことも特徴だ。そして旅に出られなくても理解していただけるよう、できるかぎり歩いて写真を集めてきた。ソウル・東京に訪れたことがない方は、巻頭カラーの写真やページのサムネイルを見ながら、想像を膨らませていただければと思う。そして本書を片手にソウル・東京の隅々まで歩き、ご家族や友人、知人との会話のタネにしてくだされば、これほど著者冥利に尽きることはないだろう。

※特に注がない場合、ソウルの統計は2020年第3四半期現在、東京の統計は2020年12月現在である。

著者プロフィール

吉村剛史  (ヨシムラ タケシ)  (著/文

1986年東京都新宿区生まれ、東久留米市出身。ライター・メディア制作業。法政大学社会学部メディア社会学科卒。20代のときにソウル市東大門区に1年8か月滞在、韓国総17の第一級行政区域と約100市郡を踏破。2012年韓国文化雑誌『スッカラ』でデビュー、2018年に『散歩の達人』東京コリアンタウン特集を執筆するなど、韓国文化やグルメ、街歩きが主なテーマ。インターネット上では「トム・ハングル」の名で韓国情報を伝えている。

上記内容は本書刊行時のものです。