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アウシュヴィッツの小さな姉妹
原書: NOI, BAMBINE AD AUSCHWITZ
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2022年1月8日
- 書店発売日
- 2021年12月24日
- 登録日
- 2021年10月17日
- 最終更新日
- 2021年12月28日
紹介
「生き延びたブッチ母娘の記録は、アウシュヴィッツで起きた出来事を次の世代に伝えるための力強い貴重な証言です」
――ホロコースト記念館 館長 吉田明生
「ブッチ姉妹がアウシュヴィッツで経験したことが、6歳と4歳だった当時の目線で、等身大に書かれています。戦後の自伝物には、あとづけの知識で書かれたものが見受けられますが、本書は子どもの視点で当時の状況をリアルに記述しています。それがこの本の魅力でもあります」
――ホロコースト記念館 学芸員 今井市郎
「家族の記憶、アウシュヴィッツへの強制送還、いとこの死、解放、アンナ・フロイトのイギリス・ロンドンのリングフィールド・ハウス寄宿学校、そして証言。この本の中には、生きた言葉、勇気、夢、そして今でも多くの人の頭から離れない悪夢を通して、ブッチ姉妹の物語が描かれています」
――イタリア最大部数の日刊紙「ラ・レプッブリカ」2019年1月15日
「アウシュヴィッツに収容された23万人の子どもたちのうち、生き残ったのはわずか700人だった。その中には、4歳と6歳のアンドラとタチアナ・ブッチの姿もあった。彼らの物語は本になり、1月27日の国際ホロコースト記念日に出版される予定です。この本は、どんな悲劇を目にしても『泣かなかった』2人の子どもの目を通して、ホロコーストの真実を語ります」
――「ELLEイタリア版」2019年1月17日
「アウシュヴィッツから帰還した少女、アンドラとタチアナ。リエカ出身のブッチ姉妹は、収容所の恐怖を体験し、今ではその記憶と証言の義務を守り続けています」
――イタリア・トリエステの日刊紙「イル・ピッコロ」2019年1月21日
「アウシュヴィッツの不条理で常に死と隣り合わせの恐ろしい日常に浸りきり、受け入れることで、私たちは生き延びようとしたのです。」
――タチアナ&アンドラ・ブッチ
ヨーロッパ全土から21万6千人の子どもがアウシュヴィッツに移送されたが、解放時に生き残ることができたのは451人。本書は、アウシュヴィッツを生き延びた6歳と4歳の小さな姉妹が見たアウシュヴィッツと戦争が家族にもたらす悲劇の物語。
(※アウシュヴィッツへ送られた子どもの人数と解放時の生存者の人数の出典:Holocaust Encyclopedia, USHMM)
なぜ、6歳と4歳の小さな姉妹は、人体実験の犠牲にならずにアウシュヴィッツ絶滅収容所を生き延びたのか?
1944年3月28日夜、リエカに住むイタリア系ユダヤ人の6歳の姉タチアナと4歳の妹アンドラは家族とともにナチスに逮捕され、翌29日、アウシュヴィッツ・ビルケナウ絶滅収容所へ向けて移送された。1944年4月4日、アウシュヴィッツに到着したタチアナとアンドラは、いとこのセルジオとともに最初の選別をくぐり抜け、子ども用バラック「キンダーブロック」に収容される。そのバラックに入れられた子どもたちは、ナチスによる人体医学実験のモルモットになる運命だったが、奇跡的に生き延び、1945年1月27日に解放を迎える。
解放後、姉妹は戦争孤児としてチェコスロバキア・プラハ、イギリス・ロンドンへと渡り、1946年、収容所で別れ別れになった両親とイタリアで再会する。しかし、姉妹のアウシュヴィッツはまだ終わらない。
目次
「目次」
日本の読者のみなさんへ──タチアナ&アンドラ・ブッチ
おもな家族の年表
私たち姉妹のファミリーヒストリー
ロシアからリエカへ
安住の地を求めて
祖母ローザとオーストラリア・ハンガリー帝国のリエカ
父ジョバンニとその家族
人種法、そしてアウシュヴィッツへ
リエカでの子ども時代(1938年から1944年)
1938年 すべては人種法から始まった
1943年 イタリア敗戦とナチスの支配
1944年3月 逮捕
リジエラの中継収容所
1944年4月 アウシュヴィッツ・ビルケナウへ
アウシュヴィッツ──死があたりまえの日常
1944年4月4日 アウシュヴィッツに到着
選別
登録
なぜ私たちは選別をくぐり抜けたのか
収容所での最初の夜
収容所の記憶
バラックの子どもたち
死の記憶
女性棟の冷酷なプロコーヴァ
アウシュヴィッツの病院での出来事
バカンス中の死体
収容所内での母
1944年11月 セルジオ運命の日
子どもたちへの人体実験
1945年1月27日 解放
帰国への長い道のり
1945年春 プラハ
初めての小学校
プラハの思い出
1946年4月 イギリスへ
リングフィールド・ハウス
アリス・ゴールドバーガーさんとアンナ・フロイトさん
おもちゃだらけの部屋
リングフィールド・ハウスの子どもたち
リングフィールドでの毎日
1978年の再会
1946年秋 うれしい知らせ
母ミラと伯母ジゼッラの解放
1946年12月4日 イギリスを離れる
ローマ到着
帰国、家族が一緒になる
2年ぶりの母との再会
トリエステへ、待ちに待った父との再会
1947年1月 再びリエカへ
戦後のリエカ
1947年春 家族の新生活が始まる
マリアおばあちゃん
1947年2月 イタリアの小学校へ
父、再び海へ
新しい家
ティーンエージャーになった私たち
ジゼッラ伯母さんと息子のマリオ
アウシュヴィッツのことは口にしない
母ミラとアウシュヴィッツ
変わる宗教観
父ジョバンニと母ミラの晩年
タチアナの新たな人生
夫、ジャンフランコ
アウシュヴィッツのことを息子たちに語りだす
アンドラの新たな人生
夫、アルナルド
早すぎる夫の死
娘、ミラ・タチアナとソーニャ
アウシュヴィッツのことを娘たちに話す
アウシュヴィッツの真実を話し始める
1978年 サラ・モスコヴィッツさんとのインタビュー
1995年 解放から50年目にして、やっと人前で語り始める
すっかり変わったリジエラの姿
1996年4月 再びアウシュヴィッツへ
アウシュヴィッツへの《記憶をつなぐ旅》
アウシュヴィッツといまの若者たち
ホロコーストはドイツ人だけの責任ではない
なぜアウシュヴィッツの悲劇を伝えるのか
再びホロコーストを起こさないために
解説 アウシュヴィッツ──ホロコースト記念館 館長 吉田明生
ナチスによるホロコースト──ホロコースト記念館 学芸員 今井市郎
訳注
アウシュヴィッツ・ビルケナウ関連年表
前書きなど
日本の読者のみなさんへ
タチアナ&アンドラ・ブッチ
私たちはタチアナとアンドラ・ブッチアンドラという、ホロコーストを生き抜いた2人の姉妹です。
私たちの本が日本語に翻訳され、日本の皆さんに私たちの物語を知っていただくことができて、とても誇りに思います。
ユダヤ人であるというだけの理由で、何百万人ものユダヤ人を死に至らしめた20世紀のもっとも問題ある歴史的犯罪を、いまでも誰もが知るわけではありません。
ヨーロッパでは、古くからユダヤ人をはじめ異民族や社会的弱者に対する激しい憎しみがありました。
1930年代に入り、ひとりの狂気的な指導者の反ユダヤ主義のもとで、ナチスやファシストの同盟国は何百万人ものユダヤ人を抹殺しようとしました。第二次世界大戦が終わるまでにユダヤ人をはじめ、何百万人もの尊い命が失われましたが、ユダヤ人絶滅の試みは幸い成功せず、残っていた多くの命が救われました。
しかし、幸運にも、私たちの命は、アウシュビッツ・ビルケナウ絶滅収容所に到着したときから、目には見えない不思議な力によって守られていたようで、死ぬことがあたりまえの非日常的な空間であるアウシュヴィッツから生き残ることができました。
この本は、イタリア系ユダヤ人である私たち姉妹が過ごした、あの狂気と非日常が同居する時代の真実を少しでも多くの人に知っていただきたくて、書きました。
いつまた、あの頃と同じことが起きないとは限りません。いまでも世界のどこかで、自分たちとは違うといだけで虐げられている人たちがたくさんいます。この社会から、少しでも偏見や差別がなくなるために、この本が少しでもお役に立てれば幸いです。
私たちとは異なる文化を持つ日本の読者が、私たちの物語に興味を持ち、そしてホロコーストのことを少しでも理解していただければ、大変嬉しく思います。
そして、いつの日か、あなたの美しい国を訪れることを願っています。
上記内容は本書刊行時のものです。