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捏造の日本古代史
日本書紀の解析と古墳分布の実態から解く
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2017年4月8日
- 書店発売日
- 2017年4月3日
- 登録日
- 2017年1月13日
- 最終更新日
- 2024年2月15日
紹介
大化改新と明治維新は双子の兄弟である――。
新たな国の出発に際し、国史・国体を過剰に整えようとするあまり権力の都合によって捏造された形で流布し、常識となっている古代史の「前提」を疑い、解体する。
日本書紀を虚心に読み込み、その成立過程の「層」構造を究明し、積年の古墳研究により明らかになりつつある多様性に富んだ古代史の真の姿に迫る。
明治維新後から戦後70 年にまで及ぶ古代史のタブーに切り込む渾身の論考。
いまこそ“古代史”を取り戻せ!
目次
はじめに
第1章 近代(戦前)が捏造した「古代史」
Ⅰ 「大化改新」と「明治維新」の類似点
1 「大化改新」と「明治維新」は双子の兄弟である
2 国際社会への船出と「修史」
「修史」の意味 /古代における修史活動/近代における修史活動
3 「国史・国体」と「神話」
「国体」/教育と「神話」/明治期の教育と歴史・「文部省と学制」
森鷗外の作品「かのやうに」/「国史」に消されたもの
Ⅱ 「国史」形成―戦前の「古代史」
1 近代史の中での「戦争」と「古代史」年表で読む第二次世界大戦への道―「挙国一致」から「神風」まで
① 「明治」開国から日清・日露の戦争
夏目漱石の苦悩
② 大正から昭和へ
③ 昭和元年から十年まで
東亜全域支配への夢
④ 昭和十年から二十年へ
皇紀二千六百年/橿原神宮/平和の塔と「八紘一宇」
2 戦争末期に使われた「総」「一億」「玉砕」の言葉
「総」について /「一億……」について /「玉砕」について
3 ある歴史家の回顧
Ⅲ 現行古代史の実相―戦後と古代史
1 「戦後」とは
戦前を引きずる古代史の「虚」/日本の古代史は「近代史」の問題
『日本書紀』の書名にある「日本」とは
2 現行「古代史」への疑問・あれこれ
① 古代史の中の「倭」
古代史の「倭」の真実
② 中国古文献「倭」の推移
【五世紀以前の「倭」】
『漢書』地理志 /『後漢書』倭 /『三国志』魏書・倭人 /『宋書』倭国
ⅰ 『魏志倭人伝』での「倭は日本の国のこと」でいいのか
「東夷伝」の「韓」の記事
ⅱ 「東夷伝」の「倭人」の記事
ⅲ 「倭の五王」への疑念
ⅳ 「七支刀」における「倭」
ⅴ 七・八世紀の「倭」
『隋書』倭国 /『旧唐書』倭国・日本
ⅵ 「倭」から「日本」への移行
③ 「大王」イコール「天皇」の嘘
ⅰ 「結論」が先行して進む新発見遺跡の検証
「大王=天皇」は正しいか
ⅱ 「大王」銘のある大刀・鉄剣
イ 江田船山古墳出土「銀象嵌鉄大刀」/ロ 稲荷山古墳出土「金錯銘鉄剣」
ハ 「王賜」銘の鉄剣
ⅲ 「大王」という用語の揺れ
イ 「大王」という用語の使われ方 /ロ 『万葉集』における「おほきみ」
ⅳ 「日本」国号の成立
ⅴ 持統女帝と神話
女帝と「天皇・神」概念
イ 天皇を「神」とする『続日本紀』の記事 /ロ 「天皇」を「神」とする『万葉集』の表現
第2章 『日本書紀』解体
Ⅰ 利用された『日本書紀』
1 『日本書紀』像「常識」の虚
① 『日本書紀』の記事との対話
まつろわぬ者/『日本書紀』と朝鮮半島 /現実には少ない中国に関わる記事
『日本書紀』の史料性
Ⅱ 『日本書紀』の実相
1 『日本書紀』の「層」構造
「層構造」とは何か(『日本書紀』構成図について)
各「層」の特徴
⑴神話の層[神代・上・下]/ ⑵A層[百歳を超える天皇紀のグループ]
⑶B層[欠史八代・和風諡号に「日本」文字のつく天皇紀のグループ]
⑷C層[葛城氏の興亡で終止する天皇紀のグループ]/ ⑸D層・E層・F層について
2 加えてみるべき「暦」と「文体」二つの視点
視点1『日本書紀』に使われた暦のこと/視点2 『日本書紀』の漢文文体の特徴
『日本書紀』を正しく読むことは「悪」か/小川清彦氏の歎き
3 「層」構造・文体・暦、これらを総合して見えてくる『日本書紀』の姿
4 『日本書紀』成立までの道筋
第3章 「古墳」が語る古代史の真実
Ⅰ 「古墳」理解の「虚」
1 日本古代史と「古墳の実態」との乖離
日本古代史の根底にある「しこり」/古墳が「真実の古代史」を語り出す
2 現在も日本史から除外されている「古墳」
北部日本と東国の古墳/対馬海流は「越」から「会津」へ
「会津・喜多方」から米沢へ
3 「越」地方と「北関東」との交流
四隅突出型墳丘墓の流れ/積石塚と千曲川/八丁鎧塚古墳
4 黒潮に乗った太平洋沿岸の古墳
装飾古墳の流れ/人物埴輪と黒潮 /千葉県成田地区の埴輪
5 鹿嶋地区の古墳群
茨城県最大の古墳集中地・潮来の周辺
6 常陸霞ヶ浦周辺の古墳
霞ヶ浦の北端・石岡市の古墳 /霞ヶ浦西浦 東岸・西岸の古墳
東岸・行方市の古墳〈三昧塚古墳〉/東岸・行方市の古墳〈勅使塚古墳〉
東岸・行方市の古墳〈大日塚古墳〉/西岸・かすみがうら市の古墳〈富士見塚古墳〉
7 相模湾沿岸の初期古墳
三浦半島及び鎌倉の古墳文化/半島付け根の前方後円墳
鎌倉の古墳/由比ヶ浜新発見の古墳
8 沼津の初期古墳「高尾山古墳」は何を語るか
すぐ脇まで迫っている道路建設 存続か消滅か /太平洋に面した最古級の古墳
9 まだある静岡県の古い古墳
天竜川河口の最古級の古墳/天竜川上流飯田地区の古墳
Ⅱ 特異な人物埴輪と東国
この「はにわ」のモデルは西洋人? /この帽子は「オズの魔法使い」?
1 関東の埴輪と「王冠」―埴輪の「金冠」「王冠」は何を意味しているのか
2 古墳時代を見直そう
Ⅲ 明治が隠した古墳文化
1 近代の「日本古墳研究」はW・ゴーランドに始まった
示唆に富むゴーランドの古墳論/ゴーランドの業績
2 ゴーランドの業績を生かせなかった日本
ゴーランドは日本歴史学の問題点に気づいていた
Ⅳ 日本古墳学の現状
「天皇陵を発掘せよ」の欺瞞性
終 章 「古代史の虚」が国を滅ぼす
戦後七十年に残った「近代の影」
1 「戦前」という「七十年」
戦争への道
2 戦後の七十年
戦後七十年の忘れ物とその中身/「神話」は削られたが /出ては消される
3 無理が通れば道理引っ込む
4 「戦後」総決算はこれから
前書きなど
はじめに
二〇一五(平成二十七)年、戦後七十年という言葉をよく耳にした。一九四二年生まれである私自身にとってこの七十年というのはほとんど自分の人生そのものにあたる時間である。言うなら「戦後七十年」とはわが生涯、ということであって、ふと思ったとき、「戦前」という時間、明治・大正・昭和(前半)と私の生涯とがほとんど等しい時間であることに気づいた。そして改めて思った。明治維新以降から敗戦まで戦前の約七十年の方が自分のイメージの中では私の生涯以上にずっと長い時間であったと。
それにしても「戦前」は何と変転きわまりない時間だったろう。この時間を編年風に辿ってみると、それはまるで戦争のあとを追いかけているようなそんな七十年であり、そのためだろうか平和ボケしてしまったような戦後の七十年とはだいぶイメージが違う。
戦後が、平和であったことはめでたいことなのだが、ふと思うと、戦前の七十数年がどうして「敗戦」という状況で終了したのかという反省には至らないまま、この重大な「戦後」の七十年を、ある観点に立てば無為に過ごしすぎてきたのではないか、そんな気がする。その観点とは古代史のゆがみということである。
この「無為に過ごした」七十年は、これからくる時間に対して無責任な課題を残してしまったのではないか。とりわけわが国の古代史の問題において。
戦争史でもあった「戦前」という時代の背後に据えられていたのは「古代史」の虚像だった。こんな大きなテーマが、戦後七十年間「言わぬが華」として、意図的に追求することを回避してきたのではないか。そんなことを思いながら、言わずに来てしまった問題とは何かを、本書で考えてみたいと思うのである。
上記内容は本書刊行時のものです。