書店員向け情報 HELP
出版者情報
書店注文情報
在庫ステータス
取引情報
評伝ジャン・ユスターシュ
映画は人生のように
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2019年4月25日
- 書店発売日
- 2019年4月27日
- 登録日
- 2019年4月2日
- 最終更新日
- 2020年6月13日
紹介
1981年11月5日。
ひとりの映画監督が、パリの自室で拳銃自殺を遂げる。
ジャン・ユスターシュ、42歳。
1963年、ポスト・ヌーヴェルヴァーグの旗手として、中篇『わるい仲間』でデビュー。ゴダール、トリュフォーらに絶賛され、将来を嘱望される。1973年、初の長篇映画『ママと娼婦』で第26回カンヌ国際映画祭審査員特別賞を受賞するが、時代や流行に追従しない表現によって毀誉褒貶の評価を浴びる。続く『ぼくの小さな恋人たち』(1974)などによって、フィリップ・ガレルら後続のシネアストに多大な影響を与えるが――。
本書は、この稀有な映画作家に魅せられた批評家が、その生涯と作品を取材や調査によってあきらかにし、伝説化された実像に肉薄する世界初の本格的な評伝。
詳細なフィルモグラフィ、ビブリオグラフィ、人名索引を附す。
* 2020年5月、第11回表象文化論学会賞学会賞受賞
* 2020年6月、第37回渋沢・クローデル賞奨励賞受賞
目次
第一部 映画は経験のように──『わるい仲間』から『ナンバー・ゼロ』
第一章「これはマニフェストだと思っていた」
第二章「きれいでもきれいじゃなくても」
第三章「『ペサックの薔薇の乙女』は、テレビに反対して撮った」
第四章「カメラが回れば、映画はひとりでにできあがる」
第二部 映画は鏡のように──『ママと娼婦』と『ぼくの小さな恋人たち』
第五章「あそこは街中のバカが集まる場所なのよ」
第六章「『ママと娼婦』では、ユスターシュのテクストが主役だった」
第七章「偽物の客観性を排し、本物の主観性を」
第三部 映画は反復のように──『不愉快な話』から『アリックスの写真』
第八章「ヴァリアントを作るなど論外だ。同じ映画を作り直すこと」
第九章「ジャンと夕食。編集のせいでアタマが狂いそうだという」
第十章「もしもし、ピックか?」
註
ジャン・ユスターシュ略年譜
謝辞──後記にかえて
附録:フィルモグラフィ/書誌/人名索引
前書きなど
《フランスの映画作家ジャン・ユスターシュ(1938-81年)はいわば「神話」であり「伝説」であって、これまで散々に語られてきたかにみえて、資料をもとにした研究とは無縁だった。たぶん、そんな無粋なことは考えるだに野暮と見なされてきたのだろう。
結局、私にはその野暮な方法しかなかったことになる。自分がほぼ生まれる前の時代について、自分の生まれとは違う国の監督について、自分の母語ではない言語で迫るには、愚鈍になるのが賢明だった。私は作品を見直した。私は書誌を作って洗いざらい読んだ。私はテレビのルポルタージュを見た。私はラジオのインタヴューを聞いた。私は未公刊の資料を掘り起こした。私は関係者の証言を集めた。私は脚本や製作資料や監督の手になる文書を細かく分析した。
目標は、可能なかぎり資料に裏打ちされた方法で、彼の辿った行程を復元すること。完成された作品を外側から眺めて分析するのではなく、作られていく渦中に入り込み、内側から作品に触れること。創造のプロセスを辿り直すこと。
〔……〕
これはジャン・ユスターシュの伝記ではない。あえていうなら、ジャン・ユスターシュの作品の伝記である。私は彼に襲いかかった必然性を探し求め、そこから生じた映画たちの人生を記述した。》――「序」より
版元から一言
本書は、「ポスト・ヌーヴェルヴァーグの旗手」として活躍を嘱望されながら、42歳で自ら世を去ったフランスの映画監督、ジャン・ユスターシュの本格的な評伝としては世界初のものです。流行や時代におもねることをせず、一貫して自分のテーマを追いつづけたこの映像作家の生きざまこそ、まさに「リベルタン」と呼びうるものでしょう。
この映画作家に魅せられた著者は、長い年月をかけて、その遺された映像や資料を丹念に分析し、関係者への取材や調査を重ねて、本書を完成させました。文字通りの労作であり、映画研究史に残る1冊になりました。関心のある多くのかたに手に取っていただければ幸いです。
なお、本書の刊行を記念した待望のレトロスペクティヴも実現します。
(詳細については各劇場・会場での発表をお待ちください)
---
ジャン・ユスターシュ特集《映画は人生のように》
---
2019年4月27日(土)~5月9日(木)@ユーロスペース(渋谷)
5月11日(土)12日(日)18日(土)19日(日)@アンスティチュ・フランセ東京(飯田橋)
関連リンク
上記内容は本書刊行時のものです。