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世間
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2015年11月
- 書店発売日
- 2015年11月10日
- 登録日
- 2016年4月11日
- 最終更新日
- 2016年4月12日
紹介
われらが失いし〈昭和〉――。
高度成長を経てバブルへと向うニッポンの光と陰を、
近代の奥座敷・別府から静かに照らし出す写真集。
前書きなど
僕の故郷、別府市は明治維新のあと、しばらくして港湾や鉄道が登場し、大正時代には国の巨費で水道施設や大学の研究施設がつくられた。山の手地区には、中国大陸に最も近い温泉付きの避寒別荘地として陸海軍、さらに旧満洲国の病院や保養所、そしてこれらに付随した財閥や戦争成金の別荘や施設が競い合うように建てられていった。
その後幾多の戦争を経て戦後を迎えた別府だが、空爆を逃れたこれらの設備に注目した連合軍は、敗戦直後に別府に進駐。基地建設の軍需景気と大陸からの軍人や民間人の引き揚げ組も加わって、1960年代あたりまでの別府は、喧噪と人の熱気でむせ返る、かつての香港のようなエネルギッシュな街だった。
そんな街に育ったボクは、少年のころから好奇心旺盛で、とにかく“多動性”の子どもだった。
近所の鍛冶屋で馬の蹄鉄打ちを眺めたり、庭師や大工など、いろんな職人さんの家を巡っては、日がな一日、飽きることがなかった。
特に通いつめたのが「しゃかん(左官)さん」だった。
ボクが小学生のころ、身近に何人かの左官さんが住んでいた。そのひとりは 房前さんという左官さんで、房前さんは四六時中奥さんとケンカしていたが、機嫌がいいときにはセメントや漆喰をこねる手ほどきをしてくれたり、ウグイスやメジロ捕りに連れていってくれた。山に入るとウグイスの餌になる虫探しや、赤土で手を洗う方法を伝授してくれる、野遊びの師匠でもあった。
ボクの好奇心はその後も留まることを知らず、中学にもなると、貸本屋や古本屋を巡るようにもなった。近所でも知られた変な少年だった。青線、失業対策事務所などもすぐ身近にあった。
印章屋を営んでいた父からも多大な影響を受けた。父の仕事場には、旧軍人や釣師、郷土史家、果ては詐欺師に至るまで、「印鑑」を必要とするありとあらゆる職種の大人たちが毎日のように訪れた。そうした大人たちの話を盗み聞くのは学校の教室よりもはるかに鮮烈だった。父はよく、「日本人は生まれてから死ぬまでハンコがいる。みんな御名御璽一つで戦場に向かったんだ」と、口癖のように話していた。父は写真を趣味にしていた。父が宝物にしていた、「木村伊兵衛」なる人のサインが写真家によるものだと知ったのは、高校生になってからだった。
18歳のころ、写真家を夢見るようになった。ミュージカル「ヘアー」のファッションに身を包んだ若者が街を闊歩し、70年代安保と沖縄返還も目前に迫っていた。街では、石を投げるとイラストレーターかカメラマンの卵に当たるといわれた時代だった。
そんな時代の熱にいざなわれるまま上京し、東京綜合写真専門学校へと進んだ。ロバート・フランクの『アメリカ人』やウイリアム・クラインの『ニューヨーク』など、社会派の写真家に憧れた。単に美をめざすだけでも、あるいは社会的なメッセージを伝達するためだけのものでもない、個人的なまなざしをあたかも散文詩を綴るように織り上げた写真家たちの世界観に強く惹かれた。
だが現実はそんなに甘いものではなかった。学生運動の煽りを受けた母校はバリケード封鎖からまもなく倒産。「ここは物を作れる場所ではない」と直感したボクは九州に戻り、福岡市の写真家・北島直氏の下で3年間お世話になった。おかげでシャッターを押せばなんとか写せるくらいになり、休日になると、気になる建築や人の暮らしをファインダーに収めるようになった。ちょうど「地方の時代」が叫ばれ始めたころだった。
だが北島氏の事務所が広告写真のスタジオだったこともあり、だんだん居づらくなったボクは、1973年、ついに故郷・別府に戻り、外国に行くチャンスをうかがいながら印刷会社のカメラマンとしてサラリー生活を始めた。だがある日、60歳になっても「モダン・タイムス」的ないまの暮らしを続けている自分を想像して愕然とした。そこでわずかな給料を握りしめ、カメラをもって街をうろつき始めた。いま思えば、「地方の時代」というお題目は、日本全土に高速道路が張り巡らされ、日本中が均質化するなかで登場した「地方の解体」の過程にすぎなかったのだが、そのときは、怒りとも呪いともつかない、言いようのない情念だけが胸中に渦巻いていた。
そんなある日、先輩から大分県姫島村の撮影に誘われ、このときに撮影した一枚の写真が、ボクの人生を大きく左右することになる。それは、何の変哲もない村の婚礼風景だったが、こうした「人」「もの」「暮らし」こそオマエのライフワークだ!という天啓が聞こえたような気がしたのだ。時を同じくして、土蔵や民家の妻壁に漆喰で描かれた「鏝絵」や土壁の美に出会い、依頼された撮影旅行の行き帰りを利用しながら、土壁を構成する藁・石灰・糊といった素材や職人の動線をコツコツとたどるようになった。
こうして続けた長い旅も、いつしか半世紀近い年月を経た。その間、鏝絵の旅をまとめた拙著『鏝絵放浪記』や、無名の庶民が残した手技の美を巡った『世間遺産放浪記』など数冊をまとめる機会を得たが、日頃の不摂生がたたり、ついに大病を患ってしまった。そんなこともあって、わが故郷に「高度成長がやって来た昭和」から「バブルが消えた平成」までの庶民の日常風景を撮り続けた写真を、生きてるうちにまとめようと思い立った。 (「あとがき」より抜粋)
上記内容は本書刊行時のものです。