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南極あすか新聞1987 高木 知敬(著) - 亜璃西社
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南極あすか新聞1987 (ナンキョクアスカシンブン イチキュウハチナナ) 初越冬の記録 (ハツエットウノキロク)

文芸
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発行:亜璃西社
B5横
348ページ
並製
価格 5,000円+税
ISBN
978-4-906740-35-2   COPY
ISBN 13
9784906740352   COPY
ISBN 10h
4-906740-35-9   COPY
ISBN 10
4906740359   COPY
出版者記号
906740   COPY
Cコード
C0095  
0:一般 0:単行本 95:日本文学、評論、随筆、その他
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2019年1月31日
書店発売日
登録日
2019年1月22日
最終更新日
2019年2月19日
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紹介

今や幻となった日本第3の南極観測基地「あすか」。1987年、強風吹きまくる“嵐の大地”で初の越冬観測を行った8人の男たちの暮らしぶりを、日々生々しく伝えたのが、基地内日刊紙「南極あすか新聞」だった。公式の越冬報告だけでは伝えきれないあすか隊の全記録が、30余年の時を経て当時の写真とともに蘇る!

目次

 口絵「DAYS ASUKA── PART Ⅰ」
 はじめに
 あすか関連地図&図面

2 February 如月
1987(昭和62)年2月16日(月)~28日(土)

3 March 弥生
1987(昭和62)年3月1日(日)~31日(火)

4 April 卯月
1987(昭和62)年4月1日(水)~30日(木)

5 May 皐月
1987(昭和62)年5月1日(金)~31日(日)

6 June 水無月
1987(昭和62)年6月1日(月)~30日(火)

7 July 文月
1987(昭和62)年7月1日(水)~31日(金)

 口絵「DAYS ASUKA── PART Ⅱ」

8 August 葉月
1987(昭和62)年8月1日(土)~31日(月)

9 September 長月
1987(昭和62)年9月1日(火)~30日(水)

10 October 神無月
1987(昭和62)年10月1日(木)~31日(土)

11 November 霜月
1987(昭和62)年11月1日(日)~30日(月)

12 December 師走
1987(昭和62)年12月1日(火)~21日(月)

 あとがき

前書きなど

すでに30年以上もむかしのことだ。1987(昭和62)年2月、南極昭和基地から670㎞離れたセールロンダーネ山地の北麓に、日本第3の基地が完成した。その名を「あすか」という。そこは大陸雪原上の標高930mに位置し、山岳景観の優れた場所であった。が、一方で夏季以外はほとんど毎日、地吹雪をともなった強風が吹きまくる「嵐の大地」でもあった。
 第26次南極観測隊から基地建設が始められ、第28次隊(星合孝男観測隊長・大山佳邦越冬隊長)がその建設を完了し、そこで初の越冬観測を行った。昭和基地のような南極海沿岸ではなく、大陸雪原上に位置し、通年で越冬する独立した基地であった。
 あすか越冬隊員は8名。南極越冬4回目の鮎川勝あすか越冬隊長をはじめ、過去に越冬経験のある隊員が6名という、異例の経験豊かな隊であった。「越冬中、いかなる困難が起きても、自分たちでなんとか解決する」ことを期待され、試行錯誤を繰り返しつつそれを実践した。
 あすか隊は気象、超高層物理学といった定常観測はもちろん、地球物理学、雪氷学、設営工学、医学などの研究観測をこなし、越冬終盤には昭和基地から飛来した航空機による広域の航空機観測も実施した。また設営においても、建築物、発電機、給排水、汚物処理、暖房、通信、車両、医療、調理など、なにひとつ破綻をきたすことはなかった。各隊員は自分の専門分野を超えて、あすかに必要な知識と技術を習得し、たとえ誰かの手が足りなくなっても、誰かが代役を務めようとした。
 それだけではない。他の社会から隔絶された地の果ての基地でも、日常生活を豊かにするための工夫を重ねた。あすかには全員で斉唱する隊歌「あすか基地」があり、短歌や俳句を詠う歌会も催された。各隊員の誕生日やミッドウインターを祝う豪華な食事会があり、毎晩、カラオケや麻雀や映画が愛好された。
 そうした和気あいあいとした雰囲気の中で生まれたのが「南極あすか新聞」で、1987年2月16日から同年12月21日にかけて計305号が日刊で発行された。主筆は医療の高木隊員が務め、主筆の不在時は全員が代筆や投稿で支えた。その結果、「南極あすか新聞」は公式の越冬報告だけでは伝えきれない、あすか隊の全記録となったのである。
 いま、第28次あすか越冬隊員は、全員が60歳を超えた。越冬終了後の元隊員それぞれが歩んだその後の人生は、詳しく知るところではない。しかし、各隊員の「青春」の証しである「南極あすか新聞」のデジタル化復刻版を、懐かしく読んでくれることだろう。
 読み返してみると、現在の南極では御法度になっている、岩石の持ち帰りやゴミ処理法なども記載されているが、これは当時の習慣や仕事のやり方としてそのまま記載することにした。また、当時は最先端技術であったGPSが、現在ではどの自動車にもふつうに搭載されている。これが30年の時の流れというものだ。
 第32次隊を最後に無人化されたあすかは、いまどうなっているのだろうか。時間的にも空間的にも遠くなった、われらの基地に想いを馳せながら。

著者プロフィール

高木 知敬  (タカギ トモユキ)  (

1949年(昭和24)京都市生まれ。北海道大学医学部卒。同大第一外科教室所属。医学博士、日本消化器外科学会指導医。市立稚内病院長、稚内市病院事業管理者を経て、市立稚内病院地域連携サポートセンター長。稚内市政功労者。
第21次(1979~1981)、第28次(1986~1988)日本南極地域観測隊の医学・医療隊員として昭和、みずほ、あすかの3基地で越冬観測に従事した。南極OB会北海道支部道北分会長。
無類の釣り好きで、日本最大の淡水魚イトウをこよなく愛し、著書に『イトウ 北の川に大魚を追う』(共著、山と渓谷社、1999)、『幻の野生 イトウ走る』(共著、北海道新聞社、2002)がある。

上記内容は本書刊行時のものです。