版元ドットコム

探せる、使える、本の情報

文芸 新書 社会一般 資格・試験 ビジネス スポーツ・健康 趣味・実用 ゲーム 芸能・タレント テレビ・映画化 芸術 哲学・宗教 歴史・地理 社会科学 教育 自然科学 医学 工業・工学 コンピュータ 語学・辞事典 学参 児童図書 ヤングアダルト 全集 文庫 コミック文庫 コミックス(欠番扱) コミックス(雑誌扱) コミックス(書籍) コミックス(廉価版) ムック 雑誌 増刊 別冊 ラノベ
あの頃、俺たちは事件記者だった 錦織 俊一(著) - 亜璃西社
.

あの頃、俺たちは事件記者だった

発行:亜璃西社
四六判
232ページ
並製
価格 1,500円+税
ISBN
978-4-906740-19-2
Cコード
C0095
一般 単行本 日本文学、評論、随筆、その他
出版社在庫情報
在庫僅少
初版年月日
2016年5月
書店発売日
登録日
2016年4月19日
最終更新日
2017年3月8日
このエントリーをはてなブックマークに追加

紹介

たぎる若さぶっつける! 昭和三十年代、霧の町・釧路事件簿
高度成長期前夜、事件記者として釧路で激烈な報道合戦を闘った四人の男たち──。
夜ごと酒亭で語り合った熱き時代の記憶を、数々の事件とともにつづったノンフィクション。

目次

老いのたわごと──はじめにかえて

あの頃、俺たちは事件記者だった Ⅰ
こわいもの知らず  錦織俊一
あの頃、俺たちは事件記者だった Ⅱ
多様な死と向き合う 亀山良三 
あの頃、俺たちは事件記者だった Ⅲ
公平性と人情のはざまで 林 芳朗
あの頃、俺たちは事件記者だった Ⅳ
くぐり抜けた修羅場の数々 合田一道 
あの頃、俺たちは事件記者だった Ⅴ
座談会── 錦織俊一+亀山良三+林 芳朗+合田一道 
四人の略年表 

老朗快語──あとがきにかえて 

前書きなど

 なにをいまさら、と思わぬわけでもない。……でもなぜか、書こうじゃないかという話になり、意見が一致したのである。……私たち四人が「事件記者」としてともに歩んだのは、昭和三十年代半ばから後半にかけて。北海道新聞釧路報道部の事件担当という部署である。……抜くか、抜かれるか。いつも他社との競争だった。闘いが一段落すると、よく安酒場に出かけた。懐具合も気にせず、「抜いた」といっては飲み、「抜かれた」といっては飲んだような気がする。……なぜ、あんなに燃え上がることができたのか、といまにして振り返ると、やっぱり青春だったんだなぁ、と思う。(「はじめにかえて」より)

著者プロフィール

錦織 俊一  (ニシゴオリ シュンイチ)  (

昭和9年(1934)8月、釧路管内弟子屈町生まれ。昭和33年、早稲田大学卒。同年北海道新聞社に入社し、釧路支社整理部へ。同36年3月、報道部に移り、警察担当に。昭和40年、東京支社社会部に転勤、その後、政経部へ。福田首相の中東諸国歴訪に記者団長として同行。昭和58年、UHB北海道文化放送「テレビ道新6・30」のニュースキャスターを5年間務める。昭和63年、道新を退社して北海道文化放送報道制作局長に。後に専務取締役。

亀山 良三  (カメヤマ リョウゾウ)  (

昭和8年(1933)6月、樺太豊原市生まれ。昭和22年1月、樺太真岡から引き揚げ。昭和31年、中央大学卒。同年9月、北海道新聞社に入社し、釧路支社報道部警察担当に。札幌本社社会部へ。「心臓移植」を担当。昭和61年5月、東西ベルリン取材。昭和63年8月、留萌支局長の時、留萌大水害発生。平成2年(1990)11月、豪州ソーラーカー取材。平成5年9月、北海道新聞退社。翌年から平成14年までFM北海道でニュース原稿リライトの嘱託。

林 芳朗  (ハヤシ ヨシロウ)  (

昭和10年(1935)1月、滝川市生まれ。昭和35年、小樽商科大学卒。同年北海道新聞社に入社し、釧路支社報道部勤務となり警察担当に。昭和44年に本社政経部から東京政経部へ。主に野党を担当。再び本社政経部、美幌支局長を経て、昭和56年、東京政経部次長。その後函館支社報道部次長、本社論説委員、帯広支社報道部長、本社地方委員を務める。平成3年(1991)に販売局次長、平成5年に小樽支社長。退社してUHB北海道文化放送監査役に。

合田 一道  (ゴウダ イチドウ)  (

昭和9年(1934)1月、空知郡上砂川町生まれ。北海道新聞社に入社し、帯広支社編集部から釧路支社報道部勤務に。昭和35年春、警察担当キャップになり、4年間勤める。室蘭、旭川支社報道部次長を勤め、UHB北海道文化放送に出向。復帰後、編集委員を務め、世界20余カ国を回る。退職後、札幌大学文化学部などの講師に。在職中からノンフィクション作品を発表。主な著書は、『日本史の現場検証』、『日本人の遺書』など。

上記内容は本書刊行時のものです。