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歩み来たりて
藤岡千代子歌集
- 出版社在庫情報
- 品切れ・重版未定
- 初版年月日
- 1999年6月
- 書店発売日
- 1999年6月26日
- 登録日
- 2010年2月18日
- 最終更新日
- 2015年8月22日
目次
歌集 歩み来たりて 目次
序 文
四ケ村合併 昭和二十五年―二十九年
わが家の山 昭和三十年―四十一年
味噌麹の香 昭和四十二年―五十一年
水漬きたる艦 昭和五十二年―五十五年
中国残留孤児 昭和五十六年―五十九年
海 嘯 昭和六十年―六十三年
君が遺詠 平成元年
埋れ木 平成二年
供花の樒 平成三年
著莪の群生 平成四年
子ども神輿 平成五年
社 日 平成六年
蔦の落葉 平成七年
障子貼り 平成八年
非衛生的行事 平成九年
稚木の新芽 平成十年
後 記
前書きなど
序 小見山 輝
藤岡千代子さんは誠に謹直な人である。女の人を形容する言葉としては、あまりふさわしくないとは思うのだが、他に言葉が見当らない。この藤岡さんが、一度だけ冗談をいうのを聞いたことがある。その冗談の内容が如何なるものであったかは忘れてしまった。しかし、その言葉をいい終えるやいなや、顔を朱に染めて、消え入らんばかりに恥しがっている有様は、七十歳を越えた媼にもかかわらず、初初しくかつ可憐きわまるものであった。藤岡千代子という歌人の根元的なものをそこに垣間見た感じで、私は何となく納得したのである。
この歌集には昭和二十五年からの作品が集められている。五十年に及ぶ業績である。山間の、あまり便利の良くない土地を営営と耕しながらの五十年は、藤岡さんの三十歳から八十歳に到る間のものであり、ここに彼女の人間としてのほとんどすべてのものが凝縮されている。
朝毎の仕事の手順決りゐて集乳車通る頃草刈りに出づ
調子よく火の回るらし籾がら焼く煙の影が障子に躍る
今日採らば五瓦は軽き茄子の実の一日を経れば過大果とならむ
鎌にて切りし指に茅の葉を巻きて岸の草をば刈り続けをり
朝あさの着替に十分以上もかかる己に腹立てやがて悲しき
数えあげれば切りもない程に「仕事」にかかわる秀歌はある。鎌で怪我をした指に茅ちがやの葉を巻いて草刈りを続ける姿。朝朝作業衣に着替える為の時間に、十分以上も要するようになって、みずからの動作の敏捷ならざることを怒り、やがて悲しにいたる歌を読んでいると、藤岡さんを、このように勤労にかりたてるものは何だろうかと思う。雨さえ降らなければ田畑に出て働き、雨の日は雨の日で、なにものかに対して「相済まぬ」といった心でもって休息するのだが、この心情は「神」に対するもの、としか考えようがない。「指を切ったくらいが何だ」といい、「もう少し早く着替えは出来ないのか」とうながす「神」の声に従って藤岡さんは働きつづけるのである。これはある意味で、遠い遠い祖先の時代から、農耕民たる日本人のとりつづけて来た姿勢である。このような生活の中からまた藤岡さんは、
境内は既に暮れ果て人夫等は囲む焚火に顔赭く浮く
今宵はも魑魅魍魎の集へるならむ山辺にしきりに梟啼けり
生命ありて今宵この家に眠るもの人間一人燕が七羽
猩猩袴の花季に山を見廻り得ずその素枯れるを芝と共に刈る
紅かなめの稚木の新芽柔かく花かと紛ふ暗き紅の色
物忘れ夥しきを話しつつ老いたる吾等楽しむに似る
といった風な詩の世界を展開して見せる。これらの心情を支えているのは、おそらく日本古来の「神」であり、その「神」に寄せる作者の心が、これらの言葉を選ばしめたのだと思う。藤岡千代子さんが、この後も元気で、歌を作りつづけられることを願い、一人でも多くの人が、この老農婦人の歌を読み、その敬虔なる心にふれられんことを願って、拙い私の序の文とする。
平成十一年四月十八日
――旧暦の雛の日に――
上記内容は本書刊行時のものです。
