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当り前の実践 禅と合気道
- 出版社在庫情報
- 品切れ・重版未定
- 書店発売日
- 2024年10月31日
- 登録日
- 2024年9月4日
- 最終更新日
- 2025年3月5日
紹介
合気道という武道と、禅の心というこの二つは、せめぎ合うこと無く私の中に存在している。しかも融合しているという実感を、今にしてやっと感じられるようになった。
今、私の手の親指は関節から外れ易く、手術で治すことも不可能であるらしい。
今まで私は、仲間に太刀や杖を持つ時に、小指を中心に打つようにと示してきた。しかし指の関節が外れた後、私が太刀を持つと親指に激痛が走った。何と私は親指に力を入れているではないか。何ということだ。そこから私は、小指を中心に木刀を持つ稽古を一から始めることになった。
確かに若い時に比べて、今の私は何もかもが劣っている。この歳になったから、できない自分と出会えたということだ。不完全な自分を受け入れ精進してゆくこと、それは何という喜びであろうか。
今では太刀を振り上げても手は痛まないようになった。親指に力を入れないで太刀を持つことができるようになったのだ。やっと八十六歳になれたから経験できたことだ。まだまだこれから老いてゆきながら知ることや解る事がたくさんあるはずだ。それは楽しみなことである。
座禅とはひたすらに座って釈迦の言葉の意味を悟ることである。その精神と、勝つことを目的としない合気道とは少しも矛盾することなく私の身体の中にある。仲間と稽古をする時には禅の話、つまり釈迦の教えを通して合気道の稽古をしている。
八十六歳になり、マイナスの要因は多くあるが、それでもこれからいろんなことが発見できそうだ。
厳しく温かい恩師のことも、一瞬の通りすがりの忘れ得ぬ人々のことも、私が死んでしまう前に書き残したかった。
私たちが今生かされているということは、奇跡のようなもので日々感謝しているが、その生きている喜びも書き残したいと思いペンを取った。私の拙い話に、しばし耳を傾けていただけるなら、この老僧の無上の幸甚というものである。
上記内容は本書刊行時のものです。