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森鴎外の西洋百科事典
『椋鳥通信』研究
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2019年5月25日
- 書店発売日
- 2019年5月30日
- 登録日
- 2019年4月23日
- 最終更新日
- 2019年5月30日
紹介
雑誌「スバル」において、森鴎外は1909年(明治42)から1913年(大正2)にわたり、『椋鳥通信』(計55回)を連載した。その内容は文壇動向だけにとどまらず多様で幅広い欧米各地の情報を伝えている。その情報源となったものはドイツの新聞「ベルリナー・ターゲブラット」の記事であり、梗概・翻訳の名人である鴎外がそれをもとに自分の見解をうまく盛り込み、同時代の西洋の社会、文化、政治を紹介している。その記事は作家としての鴎外の秘密、また人間鴎外の素顔も窺える重要で興味深い「作品」である。本書はその『椋鳥通信』の研究書であり、『椋鳥通信』に関連する論文5篇と、巻末に資料として「ベルリナー・ターゲブラット」の記事と雑誌「スバル」および『鴎外全集』第27巻とを対照した表を付す。
目次
◇はじめに
◇『椋鳥通信』における鴎外の引用戦略―「市民的公共圏」を求めて
はじめに/一 鴎外の引用戦略/二 「市民的公共圏」/三 『椋鳥通信』における政治問題/四 原文引用の戦略
◇森鴎外の『椋鳥通信』―『さへづり』・『沈黙の塔』へ
一 文芸誌「スバル」への連載/二 「無名氏」とは誰か/三 女性投稿雑誌「女子文壇」への転載/四 『さへづり』と『椋鳥通信』/五 革命と大逆事件・『沈黙の塔』
◇二十年後の海外通信員―『舞姫』と『椋鳥通信』
一 紀行文/二 留学の目的/三 「民間学」と海外通信員/四 『椋鳥通信』が伝えようとしたもの/五 エリスと海外通信
◇森鴎外とミュンヘン画壇―『独逸日記』から『椋鳥通信』まで
一 ミュンヘンでの出会い/二 「美術都市」ミュンヘンの栄光と没落/三 帰国後の原田直次郎と鴎外/四 『椋鳥通信』の美術記事と青春の残照
◇森鴎外のドイツ観劇体験―日本近代劇の紀元
はじめに/一 ライプツィヒ時代/二 ドレスデン時代/三 ミュンヘン時代/四 ベルリン時代と帰国後の演劇への関心
◇あとがき
◇初出一覧
◇資料 『椋鳥通信』の原典「ベルリナー・ターゲブラット」(1911年10月~1912年12月)
前書きなど
鴎外の『椋鳥通信』は、鴎外研究史においてこれまで研究の対象とみなされたことがほとんどなかったと言えるだろう。今回、「『椋鳥通信』研究」と題した著書を出版するにあたって、そのように先行研究の乏しい研究状況のなかで、どのような意図で出版しようと考えたのか、ということを説明しておく必要があると思う。
鴎外の西洋文化紹介と呼べる『椋鳥通信』について、なぜこれまで真正面からの研究がなされてこなかったのか、という理由は三つあると思う。第一の理由は分量の問題である。『鴎外全集』で九〇〇ページにも及ぶ圧倒的な量である。ひと通り読み通すだけでも大変な時間と労力が必要である。第二の理由はその内容である。演劇、小説、美術など芸術関係の他、政治、事件、犯罪、科学など雑多な内容が無秩序に紹介されていて、とりとめのない印象がある。さらに、人名や作品名などが原語で書かれているので、はなはだ読みにくい。取り上げられている作家も、トルストイやストリンドベリなど大物もいるものの、今日では忘れられた作家や芸術家も多く、興味を引かない。第三の理由は、これが研究の対象と認められない最大の理由であろうが、『椋鳥通信』には種本ならぬ、種新聞があることである。種新聞の「ベルリナー・ターゲブラット」と『椋鳥通信』の関係については本書の資料編において証明しているが、いずれにせよ鴎外の創作ではなく、当時のドイツの新聞の文化欄から興味を覚えた記事を抜粋して紹介しただけであり、オリジナリティがない、したがって、鴎外研究の対象にはなりえない。以上のように考えられてきたのである。
しかし、私は『椋鳥通信』は鴎外研究において欠くことのできない対象であると以前から考えていた。その理由も三つある。ひとつ目は、種新聞があったといっても、当然ながらその文芸欄の記事すべてを引用するわけにはいかない。取捨選択という作業が必要になる。そして取捨選択においてはおのずから鴎外の鑑識眼が発揮されるのである。その鑑識眼には、「神は細部に宿る」で、鴎外という作家の本質が潜んでいる。この問題に関連して、翻訳という問題もある。梗概の名人技で知られる鴎外だけに記事の要約はお手のものであったし、その前提となる翻訳の腕もゲーテ『ファウスト』の名訳に見られるように、折り紙つきのものであった。種新聞があっても、その記事は翻訳の巧拙によって生きたり、死んだりする。二つ目の理由は、『椋鳥通信』は「通信」と銘打っているだけに、その宛先人がいる。それは、もちろん「スバル」の読者である。しかも、原語がふんだんに盛られているように、読者のなかでも独仏語を少なくとも発音でき、西洋文化について基本的な知識のあるインテリ層である。それら限定された知的読者層を想定しているだけに、鴎外は自らのもっとも伝えたいことを紹介しているとも言えよう。種新聞があっても、その記事を紹介するなかで、自らのもっとも伝えたいこと、すなわち自分の見解をうまく盛り込んでいる、と考えられる。種新聞があるだけに、逆に自分の意見を公然と伝えることができた、と考えられるのである。三つ目の理由は、読者に西洋の情報を定期的に伝える、という単純作業のなかで、鴎外も同時代の西洋の社会、文化、政治といったものの全体像がつかめるようになったことである。なにしろ、ドイツ留学を終えてからすでに二五年近く経過しているのだから、このような西洋紹介の機会がなければ、鴎外にとって同時代の西洋の全体像の把握はむずかしかったであろう。そして、そのような同時代の西洋の全体像の把握は、当然ながら鴎外の創作にも種々の影響を与える。『椋鳥通信』の執筆は、鴎外の創作にとっても種々の刺激を与えることになったのである。
以上の三点で明らかになったように、『椋鳥通信』は鴎外文学の解明にとって、なくてはならない研究分野である。「西洋百科事典」という題名をつけたのも、読者に提示するために鴎外が編集した「西洋百科事典」であるという意味と、鴎外が同時代の西洋を理解し、自らの創作の刺激にするための自家用「百科事典」というふたつの意味を持っているからである。このふたつの意味の解明だけでも、『椋鳥通信』研究は充分な意義があると言えるだろう。(本書「はじめに」より)
上記内容は本書刊行時のものです。