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耳を澄まして
音風景の社会学/人間学
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2016年6月
- 書店発売日
- 2016年6月20日
- 登録日
- 2016年6月4日
- 最終更新日
- 2016年6月29日
紹介
ここからそこへ、かなたへ、意味の大地へ
その場所[トポス]あの道[ホドス]へ
希望の光のなかで
音の風景[サウンドスケープ]に耳を澄まして
山岸健は、パリ郊外ジヴェルニーへの絵画的旅を想起しながら、記憶とは過去の現実的現在であり、未来であるという。目の記憶や耳の記憶、風景の記憶があり、人間と人間との出会いと触れ合い、交わりの記憶があり、誰にも別れの記憶があるだろう、という。
多様な世界体験と記憶のなかで、自分自身の拠り所を求めながら、体験や記憶によって支えられたり、導かれたり、意味づけられ、方向づけられたりしながら、〈日常的世界〉〈レーベンスベルト 生活世界〉で、日々の生活の舞台で、生きているのではないだろうか、と説く。
アルフレッド・シュッツやオーギュスト・コントらの日常性の社会学やフッサール、メルロ=ポンティ、ハイデッガー等の現象学的哲学をふまえて、人間とは何か、人生とは何かを問いつづける。
共著者・山岸美穂は、身近にあった音の世界からその地平線を広げ、音の風景論を切り拓いた。気鋭の感性行動学者として、五感に訴える音を捉え、現出される環境との対話は、詩神[ミューズ]への祈りでもあった。
本書は、両者の対話によって成立した小論集(エセー)である。
美しい文章のなかに、ふたりの瑞々しい感性が感じられるであろう。
風立ちぬ、いざ生きめやも。(ポール・ヴァレリー Paul Valery, 1871-1945)
人文社会系リベラルアーツ(人を自由にする教養)の卓抜なテキスト!
絵画のような、詩のような、言葉の花束。――生きているかぎり私は希望をいだく。
人間にとっての“音の風景”、その生の深みを考える。
西洋の芸術や文化をつねに日本との対比において捉えようとしている優れた比較文化論。
音の風景とはなにか、ハイデッガーの「存在と時間」を機縁として、パリを、ウィーンを、ヴェネツィアを、そしてゲーテ街道を旅しながら、時間性の問題と空間性の問題を見詰める。
目次
序にかえて ミレーの「晩鐘」と音風景(サウンドスケープ)、そして思い出の書物に。
第Ⅰ部 ウィーン・シュテファン大聖堂の音――抒情と思索
第Ⅱ部 秋の木の葉に、風が来(きた)って――パリの遊歩街と人びと
第Ⅲ部 天空のしたに、大地のうえに、詩人的に人間は住む――人間の世界体験と人間の主体性(アイデンティティ)
第Ⅳ部 耳を澄まして――風のサウンドスケープ
結びに 言葉の花束 あなたの生活の音がビューティフルでありますように。
前書きなど
われもまたアルカディアに!
人生をどのように方向づけていくか。
平和郷を求めて
音の風景を旅する、人生を旅する。
花の宇宙に入り、生のありようを見詰める。
この春も真赤な色彩のアネモネが一輪、久しぶりにその姿を見せていた。
今年になってから花屋で求めたアネモネをなんと数多く描いてきたことだろう。
線描のあとで水彩で画面を彩る。
描きながら花の宇宙に入り、花と交わる。
耳を澄まして花言葉に心を研ぎ澄ます。(本文より)
上記内容は本書刊行時のものです。