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生きられた障害
障害のある人が、妊娠、出生前検査、親や子どもについて、語ったこと
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2022年9月20日
- 書店発売日
- 2022年9月12日
- 登録日
- 2022年8月4日
- 最終更新日
- 2024年8月1日
紹介
「親が出生前検査を受けていたら、この私は、生まれてこなかったのかもしれない?」――
「障害」のある女性は、妊娠や出産、自分の親や、出生前検査について、何を思ってきたのか。「障害」のある男性は、パートナーの妊娠や出産に何を思ったか。
また、「障害」のある彼ら彼女らは、胎児の「障害」や「疾病」を「知る」ための医療技術を使える社会について、どのように考えているのか。
「障害に気づいた経験」「障害があること」「治ること」「女性であること」などをめぐる、一人ひとりの語りに耳を澄ませ、共に考える。
――「私の人生を勝手に決めつけないで!」
* * *
この本は、「障害」のある12名へのインタビュー調査にもとづき、「障害」をめぐる一人ひとりの経験について、根本から考え抜いている。
まず、第1章と第2章では、インタビュー調査に応じてくれた人たちの、年齢、職業、パートナーの有無、「障害」の原因などにかんして、くわしく紹介している。
つぎの第3章では、彼ら彼女らが、自分の身体にかかわる経験を、どのように語っているかを見ていく。そのうえで第4章では、それぞれの幼少期についての記憶をたどる。
そして第5章では、「障害」のある彼ら彼女らが、出生前検査というものがあることを知ったさい、どのような「胎児」をイメージしたかを確認する。個人(私)の気持ちにおいて、「かつて胎児だった私」というイメージと、出生前検査で下された診断名から思い浮かぶイメージとは、同じなのだろうか? 違うとしたら、いかに切り分けられているのだろうか?
この問いをさらに延長して、第6章では、「障害」という言葉が、一人ひとりの語りの文脈で、どのように機能しているかを見ていく。
つぎの第7章では、「障害」のある自分自身が、生まれてくる子の母や父になるかもしれないという点について、彼ら彼女らの想いや考え方を取り上げる。また、出産経験のある彼女らの気持ちや体験も見ていく。そのうえで、出生前検査の「適応」者と見なされることが、いったいどのような経験なのかを浮かび上がらせる。
そして第8章へとつなぐ補章では、1970年代に、自治体が出生前検査(羊水検査)を公費で実施しようとしたことに対して、脳性麻痺者の当事者団体「青い芝の会」神奈川県支部が行なった「胎児チェック反対運動」を振り返る。
最後の第8章では、これまでの章で紹介した彼ら彼女らの唯一無二の経験と、そして、1970年代の障害当事者運動から今日へと至る社会的な経験とを踏まえて、「障害」をめぐる経験について、さらに考察を掘り下げる。
なお、それぞれの章と章のあいだには、「障害」をめぐる8名の語りを一篇ずつ掲載している。彼ら彼女らがどのように語っているのか、文字から想像して耳を澄ませてくださればと願っている。
目次
【序 章】この本の内容と方法
【第1章】どんな人たちに話を聞いたのか
調査方法
協力者の横顔――面会に至るまでの経緯
●エリの語り
【第2章】出生前検査について、障害のある人から話を聞くこと
調査者について
調査者の立場
協力者の態度
「模範的」に応答する
どういう意図なのかと逆に問う
応答へのとまどいと苦笑
同一視から逃れる
●メグミの語り
【第3章】自分の障害名を説明すること
障害名を説明する
医学による分類名としての「障害」
しんどくて、せつなくて、いらいらする
いるだけで大変
安心感をくれる
変わっていく
未知なもの
診断名の後ろにあるもの
●アサコの語り
【第4章】「障害」を認識したとき
親から経験を伝え聞く
もっとも古い記憶に遡る〔さかのぼる〕
語られなかった身体の違い
●ケイコの語り
【第5章】胎児をめぐるふたつの「障害」
出来事が線になる
検査対象であることを知る
検査対象だったかもしれない――自分の場合
検査対象だったかもしれない――パートナーの場合
未生〔みしょう〕の〈名としての障害〉
「一般論」との違い
類推〔るいすい〕への疑念
自己投影を禁欲する
興味がない
〈生きられた障害〉の文脈
●ヒロトの語り
【第6章】「障害」という言葉
「障害」とインペアメント
〈生きられた障害〉と〈名としての障害〉
他者を抱え込む〈生きられた障害〉
出生前に見つかった〈名としての障害〉
●ヒサコの語り
【第7章】「中絶」や「検査」を勧められた経験
産む/産まないを決める
妊娠するかもしれない身体
出生前検査を受ける/受けない
出生前検査の説明を受ける
〈私〉と胎児が否定される
●タクヤの語り
【補 章】1970年代、青い芝の会による要求
【第8章】2010年代の声、過去からの声
経験の軌跡〔きせき〕を遡行〔そこう〕する
ふたつの「障害」
1970年代から2010年代へ
「認めよ!」から「興味ない」へ
「当事者」とは誰か?
●トオルの語り
あとがき
文献一覧
付属資料1~4
索 引
前書きなど
親と子やきょうだいの関係は、生まれてくる前に定まっていると受けとめられている。妊婦だけでなく、そのパートナーや近〔ちか〕しい人たちにとっても、さまざまなケースはあるにしても、きっと同じような認識が多いだろう。たとえば「第二子として出生」すれば、親と子の関係やきょうだいの出生順はその後の生涯にわたって変わらず、ほとんどの場合、その子は二人めの子という属性〔ぞくせい〕を受けとめていくことになる。
では、「障害児として出生する」場合はどうであろうか。出生前から出生後の生涯にわたって、ずっと同じ属性を引き受けることが定まっていると言えるのだろうか。
たとえば、ある人に何らかの障害名が属性として診断された場合、それが「出生前に検知できた障害」かどうかは、それほど明白なことではない。私たちが「障害」と見なしうるものすべてを出生前に検知することはとても難しく、これからもそうであろう。
では、何をもって検査の対象が定められているのだろうか? 医療技術の実用、法制度の適用、医療者が決める倫理規定などによって、検査対象は定められていく。〔中 略〕
ここであらためて考えてみたい。はたして「社会の側」は、その声〔「障害」のある人が抱く反対や違和の気持ち〕に、耳を澄〔す〕ませてきただろうか。「障害」のある人たちは、出生前検査や着床前診断の実施への反対や違和を表わすことで、いったい何を訴えていたのだろうか。この本では、この問いに取り組む。〔本書「序章」13-14頁より〕
版元から一言
出生前検査とその診断は、胎児の「障害」や「疾病」を調べるための技術です。なかでも、ダウン症などの染色体を調べるNIPT(新型出生前検査)は、妊婦の血液だけで検査できることから、この生殖技術のビジネス化が拡がりつつあります。この動向は、報道などを通じてご存じの方も多いでしょう。
はたして、生殖技術の拡張と商業化に、こんなにも前のめりで良いのでしょうか。女性の「性と生殖にかんする健康と権利(セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ)」が浸透していない日本では、結局は女性だけが、産むか産まないかの選択を強いられ、その責任を抱えないといけない状況に、ますますなっていくのではないでしょうか。
本書は、「障害」のある女性/男性たちに、出生前検査について何を思っているかを質問し、返答をまとめ、考察しています。一人ひとりの気持ちや考えはさまざまです。「障害」のある人に出生前検査についての意見を求めること自体に反発する人もいます。まったく興味がない、という人もいます。
本書は、「障害」のある人たちの経験や暮らしについて、そもそも社会の側が知ろうとしてこなかったという、根本的な問題を描き出そうと試みています。
上記内容は本書刊行時のものです。