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浅原才市翁を語る【令和新版】 寺本 慧達(著) - 京都月出版
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浅原才市翁を語る【令和新版】 (アサハラサイチオウヲカタル レイワシンパン) 令和新版

哲学・宗教
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発行:京都月出版
四六判
縦188mm 横130mm
128ページ
並製
価格 1,800 円+税   1,980 円(税込)
ISBN
978-4-902938-07-4   COPY
ISBN 13
9784902938074   COPY
ISBN 10h
4-902938-07-3   COPY
ISBN 10
4902938073   COPY
出版者記号
902938   COPY
Cコード
C0015  
0:一般 0:単行本 15:仏教
出版社在庫情報
不明
初版年月日
2025年12月1日
発売予定日
登録日
2025年9月28日
最終更新日
2025年10月31日
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紹介

妙好人〝石見の才市〟の詩と逸話が、現代人の心を打つ!!

浅原才市(あさはら・さいち)というおじいさんがいました。昭和の妙好人といわれる真宗の篤信者で、宗教哲学者・鈴木大拙によって世界的に紹介された人物です。
 才市は自分の信心の機微を詩にしたためていました。その詩には、信心がうまくいかない気持ち(慚愧:ざんぎ)や、そんな自分でも救われる感謝(歓喜:かんぎ)が、あふれんばかりに綴られています。
 著者の寺本慧達は若き日に才市と出会い、もの静かで小柄なお爺さんである才市の、深い信心、全くひけらかすことのない純粋な心に、惹きつけられました。日々、才市と会って仏教談義に花を咲かせたものです。
 慧達は才市の人物像と詩を雑誌に寄稿し、鈴木大拙にたどり着き、柳宗悦に影響をあたえ、才市は人々に知られることになったのです。
 この寄稿文をふくむ才市を紹介した慧達の好書は、昭和期に多くの人に読まれたのち、再版を望まれながらも長らく実現されませんでした。これを令和新版として再現します。慧達にしか書けなかった才市の逸話、才市の実感あふれる信心の詩は、現代人の心に染み入ります。

目次

自 序〔浅原才市翁を語る〕
Ⅰ 生ける妙好人 浅原才市(大正8年初出)
Ⅱ 浅原才市翁を語る(昭和27年初出)
Ⅲ 浅原才市と私(昭和25年初出)
Ⅳ 奇妙なお爺さん 浅原才市翁の話(昭和25年初出)
令和新版の刊行にあたって
解 説

前書きなど

〈推薦の言葉〉
才市さんと謙敬と慧達さん

              安楽寺(あんらくじ)住職、才市顕彰会事務長
                   梅田淳敬(うめだ・じゅんきょう)

 浅原才市さん(1850~1932)は、今日でこそ「妙好人」として広く知られているが、生前には地元でも、お寺参りに熱心なおじいさんとして知られている程度だった。才市さんを偲んで多くの人が温泉津(ゆのつ)を訪ねるようになったのを見て、「才市さんて、そんなにすごい人だったん。ほんならもっと話を聞いときゃよかった」などと言う地元の人もいた。というのも、才市さんは何よりも「口あい」(くちあい、口調のよい即興詩)の妙好人だが、才市さんはその口あいを「人に見せるもんじゃありませんけ」と見せなかったからである。
 そんな才市さんの口あいを、才市の生前から見る機会のあった人が幾人かはいた。当時の安楽寺住職、梅田謙敬(うめだ・けんきょう、1869~1938)もそのひとりである。才市さんは、毎日の朝事(あさじ)で話される謙敬の短い法話を聞いて、その味わいを口あいにし、聞き間違いがないか謙敬に見せていたのである。
 謙敬の法話は、「目を半眼に開き幾分早口で流れるように説き進められた。毎席大変むつかしい専門用語を話され、解しかねるお話もあった」(近所の有田義七郎氏)という。自分の法話が難しいことは謙敬にも分かっていただろう。しかし、分かりやすく、あるいは面白おかしく話すことは性分としてできなかったものと思われる。そんな法話を才市さんは、方言を交えた平易な言葉の口あいにして持ってくる。それを読むことは謙敬にとって驚きであると共に喜びでもあったことだろう。才市の往生後に謙敬が読んだ「ゆきましし 後に思へば 今更らに こひしたはしき 法(のり)の言の葉」は偽らざる感慨だったと思われる。
謙敬の甥に当たる本書の著者、寺本慧達師(1896~1955)も、才市さんをその生前に〝発見〟した一人である。慧達さんは、京都や東京への行き帰りに中継地として小浜の安楽寺に滞在することが多く、その縁で才市さんと親しくなった。その慧達さんによる本書は、生前の才市さんを直接知る人のまとまった記録として貴重である。
 たとえば、角(つの)の生えた肖像が書かれた経緯について、想像に基づく話が一部に流布しているが、本書には才市さん自身の説明が書き留められている。因みにこの肖像を描いた若林春暁画伯(1896~1931)のボヤキめいた言葉が、それを聞いた友人(堀江浩氏)経由で伝わっていて、本書に記された才市さんの説明を裏付けている。
 また、一番よく知られているであろう口あい、「かぜをひけば せきがでる……」は、才市さん自筆のものが見つかっておらず、本書に書き留められているのが大元の出所になると思われる。
 さらに、才市さんにとって口あいは、人に見せるものではなく、また、自分の作品として大事にとっておくものでもなかった。だから、ノートに書き留めるようになる前は、手近なものに書き付け、夜読み返したあとは焼き捨てていた。このような態度は、ノートに記すようになった後もかわっていないことが、本書に記された、慧達さんがノートを譲り受けたときの会話からも窺える。
 あるいは、聴聞の席で才市さんが信心の富籖(とみくじ、あるいは債券)に「当たった」といって立ち上がった話が町の噂になったことを思わせる記録(慧達さんの耳には部分的に入ったらしい)等々。
 このように、本書は才市さんを知る資料として貴重なものであるが、他方では、一人の若者の出遇いの記録でもある。たとえば、才市さんの妻について慧達さんは厳しい言い方をしているが(後に修正)、それには、才市さんの素晴らしさが理解されていないというもどかしさもあったのだろう。自分こそが才市さんを〝発見〟したのだという若者らしい自負。実際、才市さんが広く知られるようになるのに慧達さんの果たした役割は大きい。そんな慧達さんにとって「才市は、お前によって天下の知己を得た」という謙敬の言葉は最高の賛辞だったことだろう。そんな、若き日における出遇いの喜びと興奮。その記録としても本書は読めるのではないだろうか。

版元から一言

 著者が昭和時代に書いた「石見の才市さん」を紹介する好書『浅原才市翁を語る』は、多くの研究者にいまも引用され続けているのに、実際の本は図書館ですら閲覧できない状態になっていました。
 このたびは「令和新版」として、『浅原才市翁を語る』を蘇らせます。
 著者・寺本慧達は才市に会って話しあうという親しい関係にありました。実際に才市に会って文章に残しているのは著者だけです。
 著者の文章はおどろくほどみずみずしく、本当の才市の姿を人々に知ってもらいたい気持ちにあふれ、また才市の書いたいくつもの詩を紹介しています。
 才市の詩と、著者にしか書けない才市とのエピソードをお楽しみください。

著者プロフィール

寺本 慧達  (テラモト エタツ)  (

明治29(1896)年島根県に生まれる。大正11(1922)年千代田高等女学校教諭、大正14(1925)年龍谷大学教授、昭和6(1931)年千代田女子専門学校講師。中山精神文化研究所理事、ハワイ本願寺ヒロ別院初代輪番、ヒロ中学校・ヒロ高等女学校校長(10年間)、文部省社会教育審議会委員、日本私学総連合幹事、東京私学審議会委員等を歴任。昭和18(1943)年千代田高等女学校校長、昭和22(1947)年千代田女学園中学校校長、翌年に千代田女学園高等学校校長。千代田女学園理事長兼校長在任中の昭和27(1952)年に千代田女学園から『浅原才市翁を語る』を刊行。山陰教区邑智西組長円寺第十九世。昭和1955(昭和30)年没。行年60歳。功徳院釋慧達。
主な著書 『神社の本質とその啓蒙』(東林書房、1930年)、『神宮大麻の検討』(東林書房、1930年)、『神宮大麻調査文献』(編、東林書房、1930年)、『神社問題と真宗』(顕真学苑出版部、1930年)他がある。

上記内容は本書刊行時のものです。