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THE SHOOT MUST GO ON 写真家鋤田正義自らを語る
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2013年5月
- 書店発売日
- 2013年5月30日
- 登録日
- 2013年4月6日
- 最終更新日
- 2018年3月6日
書評掲載情報
| 2016-02-28 |
朝日新聞
評者: サエキけんぞう(ミュージシャン) |
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紹介
デヴィッド・ボウイに最も近い日本人―写真家、鋤田正義。
60年代末から国内外を問わずミュージシャンを中心としたアーティストを撮影し続け、デヴィッド・ボウイ「Heroes」、YMO「増殖」のアルバムジャケット、英メロディー・メーカー誌の表紙を飾るマーク・ボランの写真など時代を代表する先鋭的な写真を撮り続けた。一広告カメラマンがフリーランスとなって海外に渡り、成功を収めたその裏側とは。カラー口絵8ページ他、本文客注欄に多数の写真を交えながら、鋤田自身が語り明かしていくその生涯。少年時代、広告カメラマン時代、デルタモント時代、フリーでの国内外アーティストの撮影、自らの写真観、3・11大震災への想いまで。巨匠鋤田正義の全てがここに。
目次
一章
戦後と震災
映画と田舎芝居
『二十四時間の情事』の衝撃
母とリコーフレックス
進路に悩む
写真学校への進学
予習して撮影する
読む写真と感じる写真
暗室で「天ぷら」を揚げ続ける
原点となる写真
二章
大広に入社
鋤田流ドキュメンタリー
ステージに駆け上がる
裏側を見せる
ジャズに夢中
大広を辞め、東京へ
デルタモンド
クリエイターの梁山泊
三章
ロックへ
デルタモンド退社、ニューヨークへ
ニューヨークの風景
3度目はロンドン
奇跡的な1枚
ミュージシャンとの交流
四章
デヴィッド・ボウイ
人間カメレオン
ミクスチャー写真
五章
日本のロック
蝶のように撮る
貧乏時代
ピュアなパンクスたち
YMO
30年の付き合い
ヘルムート・ニュートン
六章
若者たちの情熱
人生を変える大怪我
亡くなった被写体
『SOUL』の旅
撮り続ける
スピード・オヴ・ライフ
七章
アンダーグウランドから始まったムービー
「サウンド・ブレイク」
映像作品とスチール
TVCMの現場
八章
写真観
身を委ねる
東日本大震災
原点に帰る
写真展
約束の地
倒れる
ボウイの復活
あとがきにかえて
バイオグラフィー & プロフィール
前書きなど
戦後と震災
祖父の顔は覚えていないんです。
戦争を振り返った映画やドラマで、駅で戦地に行く兵士をみんなで見送るシーンがありますよね。そんな場面で父に抱き上げられたことはよく覚えています。機関車のでかい音が聞こえてきて駅に入ってきて、みんなが「わーっ」となって。
まだ小さな子どもだったから抱き上げられると急に目線が高くなる。大人の高さの目線でしょう。それが珍しくて記憶に残っているんですね。ただ、父の温もりとか、印象とかはない。「行ってらっしゃい」とか、そういう感情もない。
父親は職業軍人ではなく、召集令状が来て行ってしまいました。軍曹までいったようです。それで最後は中国の山西省で機関銃でやられたとかいう話を聞きました。終戦の8月15日の2日後、17日が命日です。山奥で戦っていて、勝った、負けた、という情報を信用していなかったらしいですね。たぶん空から飛行機なんかで終戦のビラが撒かれたいたりしていたんでしょうけど、末端のほうではまだ撃ち合いをやっていたらしい。日本兵はみんな敗戦を信じないで死ぬ覚悟でやっていたと思うんです。
戦争が終わって2日後に死んだことは物心ついてから知って、すごく悔しかった。もう2日も経っているのに、なぜだって。骨が返ってきたのもずっと後だった。
だから育ててもらったのは片親、母だったんですね。
大震災が起きて、困難だといわれる状況の中、記憶をたどってみると、やはり戦争が激しかった頃のことを思い出します。被災地の写真やテレビを見ていると、東京大空襲の焼け野原や、広島・長崎の原爆の後とか……。ようするに何もないんです。
僕自身、終戦の頃、一番空襲が激しい時には7歳でした。尋常小学校の1年、生で焼け野原を見たわけじゃなくて、後から知ることになるんですけど、その様子が今の東日本大震災とすごくダブる
~本文第一章冒頭部より抜粋~
上記内容は本書刊行時のものです。
