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キリスト教信仰のエッセンスを学ぶ 小笠原 優(著) - イー・ピックス
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キリスト教信仰のエッセンスを学ぶ より善く生きるための希望の道しるべ

A5判
縦210mm 横148mm 厚さ20mm
重さ 400g
288ページ
並製
価格 1,600円+税
ISBN
978-4-901602-65-5
Cコード
C0016
一般 単行本 キリスト教
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2018年8月
書店発売日
登録日
2018年7月13日
最終更新日
2018年7月30日
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紹介

日本人はキリスト教に親和性をもっている民族だと感じますが、本来が感覚的にとらえて受け入れるのは得意なものの、理論的にキリスト教の神髄・本質を理解するのは苦手な日本人が多いようです。そして、その日本人にキリスト教のなんたるかを説明するのは、想像以上に困難なとことです。

この本は、求道者たちにどのようにキリスト教を教えたら良いのかという教会の「現場」の中から生み出されたものだけに、必要以上に学問的な要素は極力避け、日本人の風俗・習慣に寄り添いながらも、キリスト教を分かりやすく説いているところにその特色があります。

故に、キリスト教を真剣に学びたいと思う人はもちろんのこと、すでにクリスチャンとしての生活が長い信者が読書を通して自分の「信仰の終活」をするために、あるいは、知識としてキリスト教を学んでおきたいという方への良きテキストになると思います。

目次

はじめに
導入 キリスト教信仰のエッセンスを学ぶ 
      ーより善く生きるための希望と道しるべー
第一章 なぜ「キリスト教」というのか
 第一節 祈る人間
 第二節 なぜ「キリスト教」と言うのか?
第二章 イエスをめぐる歴史的な背景
 第一節 イエスに至るまでの長い道のり
 第二節 イエスの時代
第三章 イエスの教えと行動
 第一節 イエスの宣教のはじめ
 第二節 イエスが伝える福音のイメージ
 第三節 イエスの行動とさまざまのエピソード
 第四節 イエスの使命と「父」である神
 第五節 イエスが説く愛とは
 第六節 「ゆるし」を説くイエス
 第七節 主の祈り
第四章 イエスの死と復活
 第一節 イエスの宣教活動の終り
  イエスとユダヤ教当局との激しい対立
  最後の晩餐
 第二節 イエスの受難と十字架の死
 第三節 イエスは復活された
 第四節 イエスの復活が意味すること
第五章 キリスト教の誕生
 第一節 キリスト教の誕生と福音宣教
 第二節 洗礼とキリスト信者
 第三節 キリストの教会とキリスト信者
 第四節 使徒継承の教会とミサ聖祭
第六章 死を超えた希望を生きる
 第一節 死を超えて
 第二節 「からだの復活、永遠のいのちを信じます」
結び・キリストを信じて生きる 244
参考文献
あとがき
索引

前書きなど

はじめに
横浜教区共同宣教司牧のプロジェクトの一環として「共同宣教司牧サポート・チーム神奈川」が二〇〇五年に発足しました。以来、多方面にわたって活発な活動が展開され、今日に至っています。そうした活動の一環として、複数の「カテキスタ養成講座」が立ち上げられましたが、わたしも微力ながらその一端を担って参りました。神奈川県下のさまざまな小教区から派遣されてこられた受講者と共に学びを展開してきたことは大きな喜びでもあります。二〇一七年現在、受講者の数は延べ約二〇〇名を数えております。
     †
カトリック教会において継承されてきたキリスト教信仰の中味を、今日のわたしたちが生きている社会の中でしっかりとつかみ直し、自信をもってキリストに従うこと、これが当養成講座の第一のねらいでした。それにともなって、毎回の講座で、受講者の皆さんが強く意識し、熱く語り合ったことがあります。それは、自分たちがカテキスタとして求道者に、どのようにカトリック信仰を伝えたらいいのかという問題でした。一方、年を追うごとに、当講座を終了して小教区の現場で「キリスト教入門講座」を担当するカテキスタの皆さんから、良いテキストがほしいという声が数多く寄せられるようになりました。
この度、この『キリスト教信仰のエッセンスを学ぶ―より善く生きるための希望と道しるべ―』が生み出された背景には、こうした長年の積み重ねがあるのです。
     †
受講者の皆さんから提出された四〇〇〇頁以上のレポート(二〇一三年現在)に目を通しながら、また毎回の熱のこもった議論に参加しながら、わたし自身きわめて多くのことを学び啓発されました。それは次のようにまとめることができると思います。 

⑴今日、キリスト信者であるわたしたちは、宗教感覚(信仰の感覚)が大きく後退した時代に生きている。すなわち、すべてを人間の力で切り開き、日々の生活や社会を支えていこうとする人間至上主義がきわめて強い時代の中で、キリスト教信仰を生きていかなければならない。

⑵一方、家庭、教育、社会生活など多方面にわたって「いのち」や人間の尊厳が軽んじられ、さまざまの悲劇が事件や事故となってあらわれている。また今日の高齢社会において、孤独なままに高齢に耐えなければならない現実を前にして、あらためて人間として生きる意味が問われている。

⑶今日の日本社会が大きく世俗化しているとは言え、人々は習俗化した宗教感覚を保っている。
「多神教的」と言われる宗教環境の中で、人々は神仏を願いごとをかなえてくれるあり難い存在とみなし、生活の節目ではおのずと手を合わせ祈ることを忘れていない。また死者の慰霊を念じて手を合わせることは、墓参や法事のときだけでなく終戦記念日、事故や事件、そしてさまざまな災害が発生する度にふつうに目にする光景である。

⑷しかし、既成宗教は今日の物質文明の中で生きる人々に、力強い希望や生きる指針を与えているとは言えない。むしろ、すぐ手に入る癒しや自分探し占いなどが「宗教」という名でなされている現状に、多くの人々は批判の眼を向けている。一部の人々は、キリスト教もまたこうした宗教の一つでしかないと誤解しているようだ。

⑸こうした状況の中で、あらためてカトリック教会が継承してきたキリスト教信仰、「福音信仰」の真髄は何なのか、それにはどのような価値があるのか、それをどう伝えていったらいいのかと考えさせられる。

⑹一方、教会の内側を振り返ると、さまざまの憂慮すべきことが現実にある。果たしてカトリック信者の多くが、どこまでキリスト教信仰の真髄をきちんと理解しているのだろうか。
カトリック教会に帰属する喜びと誇りが浸透しているのだろうか。それぞれの小教区(小教区群)において、信仰養成が本気でなされているのだろうか。手っ取り早く「聖書」を読みさえすればよしとする傾向が強くなっている今日、カトリック教会の使徒継承の信仰に立った聖書の正しい学びがきちんとなされているのだろうか。きわめて主観的な「聖書」の扱いが横行しているのではなかろうか。

⑺一方、公的なカトリック教会の「カテキズム/要理」は、あまりにも生活の現実からかけ離れていて、その言葉づかいや表現からは、イエス・キリストの生きいきとした存在も心も伝わってこない。このようなカテキズムの文言をおうむ返しに繰り返すだけで、果たして求道者に「キリストの救いの喜び」が伝わるのだろうか。

などなど的確な洞察や手厳しい指摘や意見に触れ、わたしはまさに聖霊の働きがここにあると思い知らされました。この意味で本書は、毎回の講座における熱い議論と、今ここで要約したレポートに表れた強い促しの実りと言えます。
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本書の執筆にあたり、大事にしたことは次の諸点です。

⑴キリスト教についての一般的な知識の紹介ではなく、求道者が「洗礼」に向かう準備をしていくという前提に立って、「キリスト教信仰のエッセンス」を説き明かし、共に考えていくことにした。このエッセンスはイエス・キリストの「贖いの奥義」「過ぎ越しの奥義」と呼ばれているが、それが求道者自身の問題でもあることに気づいてくださるように配慮した。

⑵この気づきへの促しは、「使徒継承のカトリック教会の信仰」への導きであるが、しかしその場合、できるだけ硬直化したカトリック用語を使わないようにした。確かにそれらはヨーロッパ世界の長い歴史の舞台でつくられ、磨き上げられてきた信仰表明の言葉として、敬意を払うべきものである。しかし、その多くは今日の日本社会で生きる人々にはもはや通じず、かえってイエス・キリストの豊かな救いのメッセージを見えにくくしている部分もある。本書ではそれを乗り越えようと努めた。

⑶イエス・キリストの存在を生きいきと感じさせ、イエス・キリストとの出会いを引き起こし、それが自分自身の救いの問題であると気づいてもらうように努めた。そのため、「聖書」そのものに帰り、イエス・キリスト自身と彼にかかわった人々の言動、ならびに教会初期のキリスト信者たちの信仰表明に用いられた言葉(ギリシャ語)とその感性や発想を大事にした。聖書の翻訳された文言を鵜呑みにしてそこから考えるのではなく、じかに聖書の世界、それをしたためた信仰者たちの感性と心に触れてもらいたいというのが、一貫した願いである。

⑷当然のことながら、聖書の世界と今日を生きるわたしたちの世界には、大きなへだたりがある。そのため、人間学や宗教学の視点を大切にし、イエス・キリストとの出会いは時代や文化や宗教伝統を超えて、わたしたちの救いにかかわる問題であることを重視した。先に触れた膨大なレポートに示された、感性や発想、表現や言葉づかいなどは、まさに今日を生きる人々とイエス・キリストとの出会いをもたらす貴重な架け橋であると確信し、それらを利用させていただいた。

⑸カトリック教会に引き継がれてきた「使徒継承の信仰」という土台に立ってすべての問題を扱った。言うまでもなく「聖書」にしたためられた信仰証言とその文言は、個人の好みや主観にゆだねられるものではない。それは使徒継承の信仰共同体(教会)から生まれ、この共同体を通して証しされ、この共同体を生かし続けてきたのである。したがって、この「使徒継承の教会(信仰共同体)」を離れて「聖書」を扱うことは意味のないことである。
「聖書」とは何なのか──このことを求道者によく理解してもらえるよう努力した。

⑹「使徒継承の信仰」とは、イエス・キリストによって示された「奥義」を使徒伝来の教会(信仰の民)として受け入れ、それに応えていく生き方に他ならない。したがって、本書では「聖書」といういわば信仰の情報を学習するだけで終らせず、「聖書」が伝える「奥義」を「教会」と共に生きることが、救いの道であることを強調した。伝統的な表現でいえば「聖書と聖伝」の中に生きるということである。

⑺本稿は「ラセン」的に展開していく。すなわち、幾つかのテーマが繰り返し扱われるが、その度に少しずつ深まりながら他のテーマとつながり、広がりを見せていくよう努めた。
こうした展開の中で、本書に触れる者がみずから深く考え、示されるテーマが自分自身の問題であることに気づいていただければ幸いである。
     †
以上、本書を執筆するに至った経緯と、本書の基本姿勢を紹介しました。今日の日本社会でキリストの福音を伝えることには、大変な困難がつきまとうことを、現場の司祭もカテキスタも身に染みて感じています。それでも教会の門をたたき、キリスト教の教えを学びたいと願い出る求道者がおおぜいおられます。この方々が、イエス・キリストと深く出会い、使徒継承のカトリック教会と共に一度の人生を、希望のうちにより善く歩んでくださることを願ってやみません。本書がその一助となってくれるように祈ります。

版元から一言

イー・ピックス社からこれまで様々なキリスト教関係の本を出版してきました。その最も代表的な本が『ケセン語訳新約聖書:全四巻』です。この本は訳者の山浦玄嗣さんが、読者を「岩手県気仙地方」という、人口7万人くらいのごく限られた地域に限定し翻訳したことが、出版の成功に繋がったように思います。
読者を絞り込み、その読者(本の購入者)をイメージしながら言葉を選び、本全体の構成を考えるというのは、いい本を作るための大切なポイントだと教えられました。

その点から考えると、この『キリスト教信仰のエッセンスを学ぶ』は、その読者を明確に想定していることが「はじめに」を読むと理解できます。この本を制作しながら、これから洗礼を受けようとする人たちに勧めたいと思うと同時に、長い信仰生活のまとめをする(いわば信仰生活の「終活」か…)のに適している本だと感じました。

人生のある時期に不思議な巡り合わせでキリスト教信仰に出合い、以来、毎週教会に通い続けながらも信者としては決しては満足のいく自分ではないと感じている方々(自分も含め多くの信者が該当すると思うのですが…)が、「信仰の終活」のために読んで頂き、自分の魂の奥にある熱いものを今一度確認し、その思いを子や孫たちに伝えてみてはどうでしょうかと提案してみたいと思います。

それともう一つ。日本における「キリスト教の土壌」はまだまだ浅く、栄養分がないぱさぱさした土壌だと感じますが、今が踏ん張り時ではないかということです。
幸い山浦玄嗣さんは『ケセン語訳新訳聖書』の出版以来15年以上にわたり出版活動と講演活動を続け、日本の砂漠化したキリスト教の土壌を耕し直し「土壌をふわふわにする有効微生物」を蒔き続ける活動をしてきました。
そして今、その土壌の中に各地で小さな種が蒔かれ、育つ気配を感じています。
その種が発芽し育つのを見守るのは我々終活年代の信者たちではないかと思うのです。そうして育った苗が新しい日本のキリスト教の土壌を作り、やがては日本人のDNAの中にキリスト教の遺伝子が確固と刻まれる時代が来るかと思います。
今はそこに至る大事な過渡期。そんなことをこの出版から感じました。

著者プロフィール

小笠原 優  (オガサワラ ユウ)  (

1946 年札幌生まれ。1977 年司祭叙階。上智大学神学部博士課程終了(教義学)。
ローマの教皇庁立サレジオ大学神学院勤務、日本カトリック宣教研究所、諸宗教委員会秘書を経て、1990 年より東京カトリック神学院(現日本カトリック神学院)に勤務(教義学)、現在に至る。
1994 年より横浜教区、末吉町教会、逗子教会、藤が丘教会の主任司祭を歴任。2018 年現在、菊名教会。

上記内容は本書刊行時のものです。