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聖書と神の権威 聖書はどういう意味で「神の言葉」であるのか
- 出版社在庫情報
- 不明
- 初版年月日
- 2024年5月10日
- 書店発売日
- 2024年4月30日
- 登録日
- 2024年4月12日
- 最終更新日
- 2024年4月19日
紹介
「ところで、そのことについて聖書には何と書いてありますか?」
この問いは、世界中のキリスト者の間で、あらゆる議論において繰り返し唱えられてきた。
キリスト教の奉仕活動、信仰生活、教理、生き方、あり方などのどのような場においても、聖書が権威の中心であることは、公式な見解としても力強く支持されている。
しかし、このことが何を意味するのか、実際にどのように機能するのかについての統一見解は得られていない。
キリスト者個人も教会も、戦争、同性愛、中絶などの問題にどう対応すべきか、特にこれらのテーマについて論じた聖書箇所を、どのように解釈すべきかについて苦慮している。このような意見の相違は、聖書の権威に対する信頼を揺るがしかねない。
英国国教会の聖職者であり、世界的に知られた聖書学者N・T・ライトは、こうした信仰理解の混乱の中で、聖書の位置と神の権威の理解について本書で新たなモデルを提示している。
本書は、聖書の権威という昔から使い古された教義に新たな命を与え、今日における聖書の読み方について新鮮かつ有益な論説により、「神の言葉」としての聖書の価値を回復させようとしている。
目次
第二版への序
プロローグ
第1章 誰の権威によって?
第2章 イスラエルと神の王国の民
第3章 聖書とイエス
第4章 使徒時代の教会における「神の言葉」
第5章 最初の16世紀
第6章 啓蒙主義の挑戦
第7章 聖書の誤読
第8章 正道に戻るには
第9章 ケーススタディ──安息日
第10章 ケーススタディ──単婚制
訳者あとがき
前書きなど
(第二版への序より)
聖書に関する本を書くということは、マッターホルンの前で砂の城を築くようなものです。せいぜい期待できることは、顔を伏せて下ばかり見ている人か、マッターホルンの輪郭に見慣れたために、その独特な美しさを気にかけなくなった人の目を引くくらいでしょう。
しかし、本書のテーマに関心を持ってもらうようにし、昔からある数々の問いを新しい視点から眺める必要があることは明らかです。人々はかつて、「聖書のための闘い」について語っていました。また一つ前の世代で目にした聖書の扱われ方があります。聖書は使用され、濫用され、議論され、投げ捨てられ、非難され、名誉回復され、ある学者によってばらばらにされ、別の学者によって再びつなぎ合わされ、そこから説教され、それに反対する説教がなされ、奉られ、足蹴にされました。つまり平たく言えば、プロのテニス選手がボールを扱うかのように扱われました。得点しようとすればするほど、かわいそうなボールをますます強打することになるのです。
全体として見た場合、明らかに教会は聖書なしで生きられませんが、どのように聖書と生きたらよいかをあまりよく分かっていないようです。ほとんどあらゆるキリスト教会は、聖書がいかに重要かについて何らかの公式見解を表明しています。そのほとんどすべてが工夫を凝らして(あるものは巧みに、あるものはそうでもなく)、聖書のある部分を仰々しく強調し、他の部分をそっと脇に置いています。これは放っておいてよい問題でしょうか? そうでないなら、なぜでしょうか? 重要だとすれば、私たちはそれについてどうするべきでしょうか?
これらの問いに答えるために、マッターホルンと砂の城のたとえに戻りましょう。私は長年、聖書が何であるか、それがキリスト教のミッションと思考において、どんな位置を占めるべきか多くの議論をしてきました。そうしているうちに至った結論は、教会内外の多くの人々に、新鮮な視点で、山の麓だけでなくその岩肌やクレバス、その断崖や雪原に、そして究極的には、あの輝かしくも危険な頂上そのものに目を向けるよう促す必要がある、ということです。聖書についてこれが何を意味するかについて、おいおい本書で明らかになることを望んでいます。
特に、聖書がどのような意味で「権威ある」ものでありうるかという問いは、近年、世界中の教会でなされた何千もの討論で鳴り響きました。性倫理の問題に言及するだけで、聖書的権威の問題がどれほど重要、かつ難しいかを知るのに充分でしょう。北米におけるいわゆる「イエス戦争」を思い起こせば、イエスは何者で、なぜ死なねばならなかったかについて、四福音書にいかなる意味においてでも信頼が置けるかという問いに対して、どれほどの論争が生じたかが分かります。そしてダン・ブラウンの大ベストセラー『ダ・ヴィンチ・コード』に言及すれば、キリスト教がどのように始まったか、その点で新約聖書は信頼できるかという問いが、どれだけ文化全体を狂騒の渦に投げ込むかを知るのに充分です。
版元から一言
キリスト教において聖書と聖霊が権威の中心であることは力強く支持されています。しかし、このことが何を意味するか、実際にどのように機能するのかについて統一した合意は得られていません。
例えば、キリスト者個人も教会も、戦争、同性愛、中絶などの問題にどう対応すべきか、特にこれらのテーマについて論じた聖書箇所を、どのように解釈すべきかについて苦慮しています。このような意見の相違は、聖書の権威に対する信頼を揺るがしかねません。
聖書に対する意見の相違や信仰理解の混乱の中で、聖書の位置と神の権威の理解について、本書は新たなモデルを提示しています。その新鮮かつ有益な論説により、聖書の権威という昔から使い古された教義に新たな命を与え、今日における聖書の読み方について新鮮かつ有益な論説により、「神の言葉」としての聖書の価値を回復させようとしています。
上記内容は本書刊行時のものです。