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良医の水脈 安次嶺 馨(著) - ボーダーインク
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良医の水脈 沖縄県立中部病院の群像

A5判
376ページ
上製
価格 1,800円+税
ISBN
978-4-89982-307-0
Cコード
C0095
一般 単行本 日本文学、評論、随筆、その他
出版社在庫情報
不明
初版年月日
2016年10月
書店発売日
登録日
2016年11月10日
最終更新日
2016年11月10日
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紹介

1967年野戦病院から始まった沖縄県立中部病院は米国式の研修やハワイ大学プログラム、卒後医学臨床研修制度などの導入などそのユニークな制度のもとでよりよい医療を求めてきた。
卒後研修医3期生の筆者が膨大な資料と記録をもとに県立中部病院および沖縄の医療の発展に関わった多くの医師たち、そして看護師・薬剤師・技師・事務職員など病院に関わる全ての人々の努力と成果がまとめられた1冊。

目次

●目次
研修プロジェクトに関わったすべての人々へのオマージュ 真栄城優夫 
はじめに

序章 沖縄県立中部病院の過去・現在・未来
第1章 第二次大戦後、医療の復興を担った人々
第1節 野戦病院の時代を駈けた医師たち
 1 戦前の医療状況
 2 戦後の医療状況
 3 筆者の生きた戦中戦後史
 4 医学留学生が見た郷土の医療と中部病院との出会い
 5 中部病院にハワイ大学プログラムへの道を拓いた新垣浄治 
第2節 沖縄県立中部病院の誕生と卒後医学臨床研修制度
 1 中部病院の沿革
 2 中部病院でハワイ大学の研修プログラムが実施された経緯
 3 ハワイ大学との契約による研修事業
 4 中部病院の指導医体制
 5 真栄城優夫~ハワイ大学プログラムを推進したターボエンジン
 6 宮里不二彦~静かに我が道を行く求道者
 7 日本復帰前の優れた指導医たち
 8 日本復帰時、ハワイ大学プログラム消滅の危機をいかに乗り越えたか
第3節 戦後の医療を支えた先進的看護師たち
 1 年間6,000時間の実習でスパルタ看護教育
 2 ワニタ・ワーターワースがアメリカの看護教育を導入
 3 戦後沖縄の看護教育の高さは本土以上
 4 米国人ナースによる先進的看護教育
 5 看護部を支えたパイオニアナースたち
 6 中部病院の歴代看護部長たち
第4節 病院各部署を支えた人々
 1 事務部門
 2 薬局部門
 3 検査科部門
 4 病理診断科部門
 5 放射線科部門
6 中部病院の具志川誘致に働いた人々

第2章 ハワイ大学卒後医学臨床研修事業 
第1節 ハワイ大学から派遣された指導医たち 
 1 米軍統治下のハワイ大学医学部教育顧問団 
 2 歴代のプログラムディレクターたち 
 3 ニール・ゴールト(Niel L.Gault, Jr.) 
 4 サミュエル・アレン(Samuel M.Allen) 
 5 Y.B.タルウォーカー(Y.B.Talwalkar) 
 6 サトル・イズツ(Satoru Izutzu) 
 7 クリストファー・ウィリス(Christpher Willis) 
 8 ジョン・ピアソン(John W.Pearson) 
 9 トーマス・シンプソン(Thomas W.Simpson) 
 10 アーサー・オーギー(Arthur T.Ooghe) 
 11 半世紀にわたるハワイ大学派遣指導医たち 
第2節 年間3億円の研修事業を推進した日本最貧県の沖縄 
 1 研修事業の成果と評価 
 2 中部病院の卒後臨床研修にかけた沖縄県の予算
 3 医学関連文献に見る中部病院の卒後研修の評価 
第3節 臨床研修管理委員会とハワイ大学沖縄事務所 
 1 沖縄県の医師卒後研修~卒後研修のメッカ 
 2 沖縄県立中部病院の卒後医学臨床研修 
 3 ハワイ大学研修プログラムを担う二つの事務所(ホノルル&沖縄)
 4 ハワイ大学沖縄事務所の歴代事務長 
 5 中部病院ハワイ大学プログラムの将来  


第3章 医療の原点に立つ 
第1節 医療の原点―救急医療― 
 1 救急医療は中部病院の生命 
 2 戦後沖縄の救急医療 
 3 急性期疾患の家庭での対応 
 4 救急医療のコンビニ化 
 5 日本復帰後の救急医療 
 6 中部病院で育った救急医たち 
 7 九州・沖縄G8サミットの救急医療対策 
第2節 離島医療の支援と人材育成  
 1 沖縄県の地理的特性 
 2 沖縄県の離島へき地診療所 
 3 医師不足を補う沖縄独自のシステム 
 4 中部病院における離島診療所勤務医師の養成 
 5 離島へき地医療に従事する人々 
第3節 総合診療医の養成 
 1 新たなる専門科としての総合診療科 
 2 専門医としての「総合診療医」を育てる新たな制度 
 3 総合診療科を標榜する医師たち 

第4章 専門分野の臨床医 
第1節 外科系の医師たち 
 1 外科系人脈の源流 
 2 一般外科 
 3 心臓血管外科 
 4 整形外科 
 5 形成外科 
 6 脳神経外科 
 7 泌尿器科・移植外科 
 8 小児外科 
 9 耳鼻咽喉科 
 10 皮膚科 
 11 眼科 
 12 歯科口腔外科 
 13 麻酔科 
第2節 内科系の医師たち 
 1 内科系人脈の源流 
 2 腎臓内科 
 3 循環器内科 
 4 消化器内科 
 5 呼吸器内科 
 6 神経内科 
 7 精神神経科 
 8 血液腫瘍内科 
 9 リウマチ科 
 10 独自の分野で活動する内科医 
第3節 産婦人科・周産期医療を担う人々 
 1 産婦人科部門の医師たち
 2 新生児部門の医師たち 
 3 県外の支援者たち 
第4節 小児医療を担う医師たち 
 1 小児科医の系譜 
 2 知念正雄~小児心臓病治療、はしかゼロ活動を主導する小児科の泰斗
 3 中部病院から育った小児科医たち 
 4 国際医療協力分野の小児科医 
第5節 感染症の専門医たち 
 1 中部病院から感染症専門医が輩出したのはなぜか 
 2 喜舎場朝和~臨床感染症学の始祖にして、孤高の臨床家 
 3 全国を行脚する感染症の伝道師たち 
 4 次世代の感染症を担う医師たち 

第5章 研究・管理・行政分野の医師 
第1節 大学教授としての診療、教育、研究に従事する医師たち 
第2節 病院管理者になった医師たち 
第3節 行政機関・公衆衛生分野の医師たち 
第4節 アメリカを拠点に活動する医師たち 

 参考文献リスト 
 あとがき    

〈コラム〉
コンセット(Quonset Hut)/国費・自費沖縄学生制度 /武見太郎と中部病院/ワニタ・ワーターワース (Juanita Watterworth)/フローレンス・ナイチンゲール記章/コザ暴動 /兵隊の位で言えば /米国陸軍病院とベトナム戦争とオキナワンロック/主要国首脳会議(G8サミット)/医介輔(Medical Service Man) /沖縄には三つの政府があった /琉球列島米国民政府(USCAR)と高等弁務官(High Commissioner) /730(ナナサンマル)/宮森小学校ジェット機墜落事故 /日野原重明と沖縄 /
アイゼンハワーもニクソンもケネディも沖縄に来た

前書きなど

はじめに
                           
         
 琉球政府立中部病院(現沖縄県立中部病院、以下中部病院)が米軍施政権下の沖縄で、卒後医学臨床研修を開始したのは、1967年(昭和42年)4月のことでした。それは奇しくも、日本本土では戦後20余年続いたインターン制度が廃止され、卒業と同時に国家試験を受け、すぐに専門研修を開始するという大きな変革の年でした。
 当時、日本復帰が視野に入っていた沖縄で、中部病院は厚生省の認定を受けた研修病院として、スーパーローテーションのインターン制度を開始しました。米軍政府の要請で、新設されたばかりのハワイ大学医学部が、中部病院の研修を支援することになりました。
 1967年、ハワイ大学スタッフが着任してから今日まで、49年間に600人余のコンサルタントが、主としてアメリカの大学、教育病院から中部病院に派遣され、研修医の指導に当たりました。この間、中部病院で初期研修を受けた者は1,076人になりました。
 中部病院の特色として、研修医の出身大学は日本の全医学部(防衛医科大学校を除く79大学)におよびます。全国の医学徒が中部病院で混ざり、アメリカンスタイルの卒後研修を受けています。ともに厳しいトレーニングを受けた研修医の「中部病院同窓会」は、大学の同窓会より結束力が強く、帰属意識が強いと言われます。
 研修修了生の55%は沖縄県内の病院で勤務していますが、残りは北海道から鹿児島まで、全国で活動しています。また、一部はアメリカを活動の場としています。
 中部病院は、いろいろな角度から特殊な病院として語られてきましたが、これは沖縄という土地の歴史、地理、文化と密接に関係しています。そこで育まれた医師たちも、ユニークな活動をしている者が数多くいます。
 中部病院の研修制度の発足に関わった指導医や当時の研修状況を知る者のひとりである筆者は、歴史の証人として、「中部病院の群像」について書き残しておく責任があると思っていました。本書は中部病院の公的な記録ではありません。あくまで、筆者個人の目を通して見た中部病院の歴史と人物の記録であることをお断りいたします。
 多くの文献に当たって、可能な限り正確な亊実を記したつもりですが、筆者の力が及ばず、不正確、あるいは十分な評価がなされなかったところが多々あると思います。お気づきの点は、ご指摘いただければ幸甚に存じます。
 本書には、中部病院の指導医や研修医同窓生が数多く登場しますが、すべての医師について触れることはできませんでした。本書に名前の出ない方々の中にも、第一線で活躍する優れた医師は数多くいます。筆者の筆が及ばなかったことを申し訳なく思います。また、医師以外にも看護師、薬剤師、検査技師、放射線科技師、事務職員と多くの方々が病院の発展に尽くしました。ここでも、残念ながら、ごく一部の職員の名前しか取り上げられませんでした。いずれ機会があれば、また、多くの方々の活躍について書きたいと思います。
 本書に登場する方々の敬称は省略させていただきました。偉大な先達、歴史に残る医療人について、敬称なしで語るのは内心忸怩たる思いがありますが、第三者的な立場での記述を心がけました。なお、医師の名前の後の( )内にある数字は、研修開始期を示します。例えば、1は1期生で1967年、7は7期生で1973年の研修開始を意味します。
 第二次大戦後、長らく米軍施政権下にあり、あらゆる社会インフラが劣悪な状況にあった沖縄で、いかにして中部病院の卒後医学臨床研修制度が生まれ、そこで人々が育っていったか、また、日本の医療にどのような影響を与えたかを、多くの読者に知っていただきたいと思います。

 本書の出版に際し、多くの方々のご支援をいただきました。真栄城優夫先生には、原稿全体に目を通し、歴史的記述の誤りなどをご指摘いただきました。また、推薦のことばを書いていただき、心から感謝申し上げます。
 宮城良充、新垣義孝、我那覇仁、本竹秀光、小濱守安、玉城和光、橋口幹夫、金城紀与史、高良剛ロベルト、田仲斉の諸氏には、関係部門のチェックをお願いしました。多忙な中、貴重なご意見をいただき、有り難うございました。
 編集、出版にご尽力いただきました編集事務所ヴァリエの池宮照子氏、ボーダーインクの池宮紀子氏の多大なご支援に感謝申し上げます。

                       2016年4月

著者プロフィール

安次嶺 馨  (アシミネ カオル)  (

1967 年 鳥取大学医学部卒業
1969 年~71 年 沖縄県立中部病院小児科研修医
1971 年~74 年 マイケル・リース病院(シカゴ市)
小児科研修医
1975 年 沖縄県立中部病院 小児科医長
1976 年 米国小児科専門医
1987 年 ハワイ大学医学部小児科臨床教授
1999 年 琉球大学医学部小児科臨床教授
2003 年 沖縄県立中部病院院長
2004 年 沖縄県立那覇病院院長
2006 年 沖縄県立南部医療センター・こども医療センター院長
2008 年    同     定年退職
2011 年 沖縄県立中部病院ハワイ大学卒後医学臨床研修事業団ディレクター
2012 年 沖縄県教育委員会委員長
所属学会・団体
日本新生児成育学会理事・名誉会員、日本周産期新生児学会評議員、日本小児救急医学会理事・顧問、日本禁煙科学会評議員、日本小児禁煙研究会理事・監事、日本DOHaD研究会幹事、沖縄肢体不自由児協会理事、特定非営利活動法人琉球交響楽団理事長  
著書   
『沖縄の子どもたち 一小児科医のカルテより』(ひるぎ社)、『おきなわ蝶物語』(ニライ社)、『太平洋を渡った医師たち・13 人の北米留学記』(編著、医学書院)、『母と子のカルテ―ある小児科医の軌跡―』(文芸社)、『日本から麻疹が無くなる日』(編著、日本小児医事出版社)、『赤ちゃんから始める生活習慣病の予防』(編著、ニライ社)、『小児救急アトラス』(編著、西村書店)、『小児科レジデントマニュアル 第3版』(編著、医学書院)など。 
趣味   
写真撮影(蝶)、音楽鑑賞/ ライフワーク 赤ちゃんから始める生活習慣病の予防

上記内容は本書刊行時のものです。