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奇跡のこども病院 「奇跡のこども病院」編集委員(編著) - ボーダーインク
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奇跡のこども病院 (キセキノコドモビョウイン) 沖縄にこども医療センターができるまで (オキナワニコドモイリョウセンターガデキルマデ)

社会一般
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A5判
248ページ
並製
定価 1,500円+税
ISBN
978-4-89982-279-0   COPY
ISBN 13
9784899822790   COPY
ISBN 10h
4-89982-279-0   COPY
ISBN 10
4899822790   COPY
出版者記号
89982   COPY
Cコード
C0036  
0:一般 0:単行本 36:社会
出版社在庫情報
不明
初版年月日
2015年5月
書店発売日
登録日
2015年6月2日
最終更新日
2015年6月2日
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紹介

1997年「母子総合医療センター設立推進協議会」を結成し、2000年の県民20万人署名により大きく動きだし、2006年に開院した沖縄のこども病院(県立南部こども医療センター)。
本書はその設立に関わった患者の家族(心臓病を守る会)3名が編集委員となり「沖縄にこども病院をつくるのは無理」と言われていた厳しい状況の中で、「こども病院があれば重症の子どもも助けられる」の思いで活動を続け、「こどもの医療は将来への投資」であるとして県や関係団体への交渉を続け、「こども病院のベストをめざして」妥協せず最高のこども病院をめざした十二年の運動の記録。
その間にはマスコミによるキャンペーンや、ボランティア活動、県民の20万人にも及ぶ署名、医療者そして県トップの英断など多くの力に支えられた。第二部では、病院設立に関わった方26名のこども病院へのメッセージが寄せられている。

目次

はじめに 

第Ⅰ部 こども病院ができるまで

序章 全国心臓病のこどもを守る会 沖縄支部
     
第一章 こども病院があれば重症の子どもも助けられる
  第一節 小児専門病院の必要性〈1994年〉
  第二節 患者の側からこども病院を〈1995年〉
  第三節 署名運動、そして県への要請〈1996年〉
  第四節 新聞投稿―県民へ訴えるために 

第二章 こどもの医療は将来への投資 45
  第一節 新たな一歩「夢を語ろう」の集い〈1997年〉
第二節 国への要請―小泉厚生大臣と面会〈1997年〉
  第三節 「母子総合医療センター設立推進協議会」〈1997年〉
  第四節 第一回シンポジウム〈1997年〉
      「なぜ沖縄県に母子総合医療センターが必要か」
  第五節 突破口を求めて〈1997~1999年〉 
  第六節 第二回シンポジウム〈1999年〉  
      「沖縄にどのような母子総合医療センターが必要か」   
  第七 節 第二回「夢を語ろう」の集い〈1999年〉 
  第八 節 署名活動で二〇万人の署名〈2000年〉 
  第九 節 第三回シンポジウム開催
      「どうしたらできる沖縄こども病院」〈2000年〉  
  第十 節 高度で多機能な病院検討委員会 
  第十一節 さまざまな支援  

第三章 ついにこども病院が現実に 
  第一節 こども病院のベストを求めて〈2001年〉 
  第二節 併設であっての独立性の確保を〈2002年〉
  第三節 第四回シンポジウム開催〈2003年〉
       「これからの病院ボランティア」
  第四節 新病院の建設がついに始まる〈2003年~2004年〉 
  第五節 NPO法人設立に向けて〈2005年〉
 
終章 「こども医療センター」の開院とその後 
  第一節 こども医療センターの開院〈2006年〉
  第二節 こども病院設立運動を振り返って 

第Ⅱ部 こども病院へのメッセージ  
 初代病院長として思うこと        安次嶺馨
子どもから大人までの総合病院       我那覇仁  
 こども医療センターの光と影     仲間司  
 小児心臓血管外科の紹介         長田信洋  
 小児循環器医療の現状        中矢代真美 
 成人先天性心疾患          高橋一浩
 こども医療センターの九年雑感    吉村仁志
 南部医療センターの出自   當銘正彦
 沖縄にこども病院ができて   川勝岳夫
 こども病院と小児科のある病院   細川裕平  
 子ども病院開院を振り返って  親川武司  
 平山清武先生へ  編集委員一同
 どうすればできる母子総合医療センター  真栄田篤彦
 新しい医療の出発点となったこども医療センター  宮城雅也 
 「母子総合医療センター設立推進協議会」事務局長として 儀間小夜子
 ご健闘を讃える   運天政一  
 「こども病院」設立に向けての活動  上江洲幸雄
 こども医療センター設立記念   新里吉弘  
 こども病院に寄せる想い   片倉政人  
 沖縄に〝こども病院〟ができるまで  真栄城守信
 母子総合医療センター設立推進協議会への思い谷口曜子  
 こども医療センター設立運動に参加して  城間米子 
 こども医療センターで助かった娘の命  安次富美花 
 こども病院ができて思うこと   嶺井そよか 
 リスクをかかえての出産  勝野香織 
 術後四五年、成人先天性心臓病の外来で受診して我那覇修
  
付録 資料
   請願・陳情・提言・要請一覧 
   こども医療センター設立運動の歩み〈一九九四年~二〇〇六年〉 
   参考資料 

   編集後記   田頭妙子・金城清美・玉城よし子 

前書きなど

はじめに
 
二〇〇六年(平成一八)四月に沖縄県立南部医療センター・こども医療センターが開院してから早や九年が経とうとしています。こども医療センターは沖縄県立南部医療センターに併設された、全国で二七番目の「こども病院」になります。総病床数四三四床(内こども医療センター分一二〇床)、敷地面積五万七〇〇〇㎡、建築面積一万二四三六㎡、延べ床面積三万六五〇〇㎡(八四㎡/床)総工費二五〇億円の大規模な医療施設として建設されました。一般の総合病院にある小児科病棟とは全く違う、こども病院が沖縄県にも誕生したのです。
一九九五年「全国心臓病の子どもを守る会沖縄支部」の総会講演で、小児外科医からの「こども病院があれば重症のこどもも助けられる」の言葉に衝撃をうけ、「沖縄にこども病院を」の運動への取り組みが始まりました。他の病児、障がい児団体へ呼び掛けて「母子総合医療センター設立推進協議会」を結成して、一二年に及ぶ運動とマスコミによる沖縄の小児医療の現状報告、二〇万人の県民の署名、そして県トップの英断によって実現した大切な宝です。
 以前に県立那覇病院の将来計画検討委員会の委員のお一人が「この機会を逃しては、県内に母子総合医療センター(こども病院)の設立は不可能であり、もし実現できたら沖縄県母子医療の歴史的な偉業として後世に残るものとなるであろう」と書き記しておられます。また県の担当者に「最初にして最後の奇跡」と言わしめた病院なのです。
この奇跡の「こども病院」がどのような経緯でできたのか、なぜ「奇跡」なのか、多くの方が長い時間をかけ、力を合わせて歩んできた運動の記録を残しておかねばとの思いで、運動当初から関わってきた三人が編集委員として、わかる範囲で綴ることにしました。
母子総合医療センター推進協議会主催でシンポジウムを四回開催致しましたが、そのシンポジウムにおいて多くの方々が現実的な壁の前で苦しみながらも将来への期待を込めて語って下さった内容を皆様に知っていただきたいと思い、当時の記録に基づいて本書に掲載させていただきました。
また、こども病院に関わった多くの方に呼びかけてメッセージを書いていただきました、原稿を依頼しながら本当に多くの方の期待と苦悩の中で誕生した事を実感しました。    
 開院前年(二〇〇五年)の沖縄は、県人口一三六万人余、こども人口二五万四千人、県の総予算六四〇〇億円で、所得水準は全国最下位でした。その沖縄県で県立病院の赤字が危惧されている中、こども病院が開院したことは、行政の担当者にとってはまさに「奇跡」の一言だったのだと思います。そして開院後数年で「こども病院は赤字」の大きな壁が取り払われたこともまた「奇跡」だと思います。
 編集を通して、これからの病院(医療)は医療者と患者(家族)と地域社会とでつくりあげていくものではないかとの思いを強くしました。これまで協力してくださった多くの方々、これからこども病院を支えていく方々、子育て中の方々にも是非読んでいただきたいと願っております。
  

著者プロフィール

「奇跡のこども病院」編集委員  (「キセキノコドモビョウイン」ヘンシュウイイン)  (編著

田頭妙子(たがみ たえこ)
 昭和12年生まれ。教職を経て医療法人アガぺ会理事。昭和48年全国心臓病のこどもを守る会沖縄支部結成に関わり、現在まで運営委員。「母子総合医療センター推進協議会メンバー」みんなでつくったこども医療センターに役立ちたいと外来でのボランティアを続けている。

玉城よし子(たまき よしこ)
 昭和18年生まれ。司書資格取得。那覇市歴史史料室嘱託・古文書解読員(平成3~18年)。昭和55年「心臓病の子どもを守る会沖縄支部」に入会、副支部長。「母子総合医療センター設立推進協議会メンバー」「NPO法人こども医療支援わらびの会」理事。こども医療センターでピアサポート活動中。

金城清美(きんじょう きよみ)
 昭和26年生まれ。教職の傍ら、昭和61年娘が二才の時「全国心臓病の子どもを守る会沖縄支部」に入会し活動する。「母子総合医療センター推進協議会メンバー」先天性心臓病の娘を育てる中でお世話になった皆さまへの恩返しに障害を持つ親の手助けにと、現在こども医療センターでピアサポーターをさせていただいている。

上記内容は本書刊行時のものです。