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漣句会と北上愛子ー七代目嵐吉三郎 内儀 今井 輝生(著) - 燃焼社
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漣句会と北上愛子ー七代目嵐吉三郎 内儀 (サザナミクカイトキタガミアイコ) 七代目嵐吉三郎 内儀 (ナナダイメ アラシキチサブロウ ナイギ)

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発行:燃焼社
A5判
縦210mm 横150mm 厚さ20mm
重さ 500g
340ページ
価格 2,500円+税
ISBN
978-4-88978-141-0   COPY
ISBN 13
9784889781410   COPY
ISBN 10h
4-88978-141-2   COPY
ISBN 10
4889781412   COPY
出版者記号
88978   COPY
Cコード
C0023  
0:一般 0:単行本 23:伝記
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2020年4月20日
書店発売日
登録日
2020年2月4日
最終更新日
2020年6月17日
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紹介

俳句の世界において、漣句会の主宰者として、また、演劇界の世界において、歌舞伎役者七代目嵐吉三郎の内儀として、良き同人に囲まれ、目覚ましい活躍をした、俳人北上愛子の生涯を、その愛弟子であった著者が、残されたその膨大な句とともに記されたものである。現在、同好の俳人である人々にとって、必ず心打つ内容であるものと信じるものである。

目次

第一章 漣句会
一、出会い
二、漣句会
三、「漣のさだめ」

第二章 愛子先生の魅力を培ったもの

第三章 歌舞伎役者の妻
一、七代目嵐吉三郎
二、歌舞伎役者の妻
三、北上弥太郎

第四章 俳句入門

第五章 俳句入門その二 句帖から

第六章 句集『おかじまや』

第七章 俳句指導
一、書家川浪青漣師と愛子先生
二、俳句指導
三、ある日の漣句会
四、ある日の愛子先生

第八章 合同句集『句集 漣』上梓

第九章 終焉
一、終焉
二、惹きつけたもの

第十章 会報『漣会』掲載句(第六一一号から第八一五号)抜粋

北上愛子 年譜

資料 各章収載句一覧


参考文献

あとがき

前書きなど

漣句会主宰の北上愛子さんは平成二十(二〇〇八)年五月八日に亡くなられた。八十八歳であった。
私は平成十年八月に漣句会の主宰者、俳句の先生として出会い、以後お付き合い頂いた。当時北上愛子さんは七十八歳で私は六十四歳であった。お付き合い頂いたのは晩年の十年程でしかなかったが、俳句を通じての師と弟子という以上に親しくさせて頂いた。
北上愛子さんは私の俳句の先生であり、人生の先達として仰ぐ方で、私は普段から愛子先生とお呼びしていた。
愛子先生は俳句と書を教えておられたが、何よりも歌舞伎役者の七代目嵐吉三郎のご内儀であった。愛子先生が亡くなられてしばらくして雑誌『上方芸能』(二〇〇八年九月発行第一六九号)に演出家中川芳三氏(演劇評論家奈河彰輔氏)の追悼記「芝居と共に歩んだ生涯――北上愛子さん」が掲載された。私は中川芳三氏のこの追悼記によってそれまでおぼろであった先生の前半生を知った。
「北上愛子さんは、若き頃、OSKのスターであった。その頃よりのロマンスを大事にはぐくみ、紆余曲折、幾多の障害を乗り越えて、やっと正式に入籍できたときの、披露の喜びようは、当時劇界のほほえましい話題になつた。
ご自分の青春も生涯も岡島屋(七代目嵐吉三郎)と、そして芝居と共に歩まれた愛子さんだが、岡島屋が亡くなった後は、俳句の結社「漣会」を主宰し、良き同人に囲まれて目ざましい活躍を続けておられた。七回忌には、追悼の句集「おかじ満や」を上梓されている。ずっと岡島屋さんを偲びつつ、幸せな晩年を過ごされたのではなかろうか。」

著者プロフィール

今井 輝生  (イマイ テルオ)  (

1934 年、三重県宇治山田市(現伊勢市)に生まれる。同年、大阪市東成区に転居。1949 年3 月、布施市立第一中学校(現東大阪市立長栄中学校)卒業。東成区内の伸線加工会社㈱城東金属勤務。労働運動を知る。1957 年、同社退職。仲間3 人とプレス機1 台で起業。1960 年、独立、㈱共立金属工業設立。1984 年、同社倒産。知人の会社の工場管理を任される。2004 年、技術労働者不足に対応するため、人材斡旋・コンサルタント業務の個人会社外宗設立。2008 年、経験と先端情報を結びつけ、モノづくりのイノベーションを目指す合同会社外宗コンダクター設立、代表となる。

菊池 祟憲  (キクチ タカノリ)  (協力

元『関西文学』編集長、『文藝こうべ』主宰

上記内容は本書刊行時のものです。