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漣句会と北上愛子ー七代目嵐吉三郎 内儀
七代目嵐吉三郎 内儀
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2020年4月20日
- 書店発売日
- 2020年4月27日
- 登録日
- 2020年2月4日
- 最終更新日
- 2020年6月17日
紹介
俳句の世界において、漣句会の主宰者として、また、演劇界の世界において、歌舞伎役者七代目嵐吉三郎の内儀として、良き同人に囲まれ、目覚ましい活躍をした、俳人北上愛子の生涯を、その愛弟子であった著者が、残されたその膨大な句とともに記されたものである。現在、同好の俳人である人々にとって、必ず心打つ内容であるものと信じるものである。
目次
第一章 漣句会
一、出会い
二、漣句会
三、「漣のさだめ」
第二章 愛子先生の魅力を培ったもの
第三章 歌舞伎役者の妻
一、七代目嵐吉三郎
二、歌舞伎役者の妻
三、北上弥太郎
第四章 俳句入門
第五章 俳句入門その二 句帖から
第六章 句集『おかじまや』
第七章 俳句指導
一、書家川浪青漣師と愛子先生
二、俳句指導
三、ある日の漣句会
四、ある日の愛子先生
第八章 合同句集『句集 漣』上梓
第九章 終焉
一、終焉
二、惹きつけたもの
第十章 会報『漣会』掲載句(第六一一号から第八一五号)抜粋
北上愛子 年譜
資料 各章収載句一覧
参考文献
あとがき
前書きなど
漣句会主宰の北上愛子さんは平成二十(二〇〇八)年五月八日に亡くなられた。八十八歳であった。
私は平成十年八月に漣句会の主宰者、俳句の先生として出会い、以後お付き合い頂いた。当時北上愛子さんは七十八歳で私は六十四歳であった。お付き合い頂いたのは晩年の十年程でしかなかったが、俳句を通じての師と弟子という以上に親しくさせて頂いた。
北上愛子さんは私の俳句の先生であり、人生の先達として仰ぐ方で、私は普段から愛子先生とお呼びしていた。
愛子先生は俳句と書を教えておられたが、何よりも歌舞伎役者の七代目嵐吉三郎のご内儀であった。愛子先生が亡くなられてしばらくして雑誌『上方芸能』(二〇〇八年九月発行第一六九号)に演出家中川芳三氏(演劇評論家奈河彰輔氏)の追悼記「芝居と共に歩んだ生涯――北上愛子さん」が掲載された。私は中川芳三氏のこの追悼記によってそれまでおぼろであった先生の前半生を知った。
「北上愛子さんは、若き頃、OSKのスターであった。その頃よりのロマンスを大事にはぐくみ、紆余曲折、幾多の障害を乗り越えて、やっと正式に入籍できたときの、披露の喜びようは、当時劇界のほほえましい話題になつた。
ご自分の青春も生涯も岡島屋(七代目嵐吉三郎)と、そして芝居と共に歩まれた愛子さんだが、岡島屋が亡くなった後は、俳句の結社「漣会」を主宰し、良き同人に囲まれて目ざましい活躍を続けておられた。七回忌には、追悼の句集「おかじ満や」を上梓されている。ずっと岡島屋さんを偲びつつ、幸せな晩年を過ごされたのではなかろうか。」
上記内容は本書刊行時のものです。