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笑福亭松朝の上方演芸百年噺 四代目桂文我(著) - 燃焼社
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笑福亭松朝の上方演芸百年噺 (ショウフクテイショチョウノカミガタエンゲイヒャクネンバナシ)

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発行:燃焼社
四六判
縦188mm 横130mm 厚さ11mm
重さ 220g
160ページ
並製
価格 1,500円+税
ISBN
978-4-88978-135-9   COPY
ISBN 13
9784889781359   COPY
ISBN 10h
4-88978-135-8   COPY
ISBN 10
4889781358   COPY
出版者記号
88978   COPY
Cコード
C0076  
0:一般 0:単行本 76:諸芸・娯楽
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2019年4月10日
書店発売日
登録日
2018年12月14日
最終更新日
2019年3月23日
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紹介

 戦前、四代目桂米團治に落語を教わり、戦中は従軍、戦地で落語を演じ、九死に一生を得て、帰国。戦後、五代目笑福亭松鶴に弟子入りし、六代目笑福亭松鶴・三代目桂米朝・五代目桂文枝とも親交が深かった。この苦難の人生が、百歳を前に最後のご恩返しと、上方演芸の歴史を語りつくす。
また、落語界ナンバーワンの演芸コレクターでもある桂文我が集めた貴重な資料を同時に公開。当時の様子が鮮やかに甦る。

目次

はじめに
笑福亭松朝
阪本氏、噺家を諦める
戦地の思い出
噺家との付き合い
阪本氏、浪曲を唸る
戦前の演芸見聞録 1
戦前の演芸見聞録 2
作家・永瀧五郎
浪曲と夏場の寄席
古本と写真
再び、戦地の話
復員後
キタとミナミの花月の思い出
吉本の雑誌『笑売往来』
お茶屋の思い出
上方はなし 上
上方はなし 下

前書きなど

 平成三十年三月末頃、私の携帯電話の留守電に、「最近、大病を患いました。今後のこ
とや、聞いといてもらいたい話もあるよって、一遍、ウチへ来てもらえませんか」という阪本俊夫氏の声が入っていた。
 桂米朝師から「阪本さんは印刷の仕事をしてはるけど、戦前、ウチの師匠(※四代目桂米團治)に稽古を付けてもろて、戦後、五代目(※五代目笑福亭松鶴)の師匠の所へ弟子入りして、笑福亭松朝という名前をもろてた」と聞いており、我々の落語会にも顔を出して下さったり、サンケイホールの米朝独演会の打ち上げなどで、昔の思い出話を伺うこともあったので、「一体、何事?」と思ったのが、正直な所である。
 「百歳近い方だけに、自分の寿命を考えて、心細いことを仰っておられるのでは?」とも思い、何はともあれ、四月十七日、住之江のご自宅を訪れたところ、病気だけに身体は弱っておられ、声も小さかったが、いろんな話をする内、顔に精気が漲り、生き生きとしてこられたのを目の当たりにして、正直、驚いた。
 「とても、今年の夏は越せませんわ。良かったら、何遍も話をしに来とおくなはれ」と弱音を吐かれてはいたが、次々と繰り出される思い出話から、戦前・戦中・戦後の上方演芸界の様子が鮮やかに蘇り、一連の見事な上方演芸史になっていった。
 興味津々で、回を重ねて訪れている内に、夏が過ぎ、秋になり……。
 四代目桂米團治に習った落語を演じ、浪曲を唸り、軍隊の話、友人の思い出を語る阪本氏に、百歳近い老人の姿を見ることは無かった。
 戦前の上方演芸界を語る時、何度も「あんたも見てなはるやろけど、面白かったな」と仰ったが、昭和三十五年生まれの私が実際に見ている方は少なく、本・録音・映像でしか知らないだけに、相槌を打てないことも多かったが、阪本氏の物真似から推し量り、リアルタイムで接しているような錯覚を覚えたのも、不思議な体験だったと言えよう。
 当時の思い出を語る阪本氏の脳裏には、当時の上方演芸界の逸材の姿が躍動していたことだろうし、それを思う時、私は本当に羨ましかった。
 阪本氏へのインタビューは、四月十七日から始まり、五月十六日、六月十三日、六月二十七日、七月九日、七月二十七日、八月八日、八月二十一日、九月十一日、十月三日、十月二十八日、十一月十六日、十二月三日と、亡くなる間際まで十三回に及び、、当時の上方演芸界の思い出と、兵隊時代の苦心談を中心に、一冊の本に纏まることを、阪本氏本人も待ち望んでおられたのである。
 思い間違いや、多少のズレはあるかも知れないが、百歳近い阪本氏が人生を吐き出すように語ったことは、後年の者が述べる理屈より、余程、値打ちがあると思う。
 湧き出るように、そして、慈しむように来し方を語る阪本氏が、唯一、戦争によって、噺家の道を断たれたことを語る時、本当に無念の表情だったことは忘れられない。
 阪本氏の語りの中から、その無念さ、噺家の世界への思慕を感じ取っていただければ、幸いである。
 残念ながら、本書の刊行を待たずして、十二月九日早朝、阪本氏は極楽浄土に行かれた。
 十二月七日、長女・富司子さんから「父が危なそうなので、来ていただけませんか」との連絡をいただき、翌日、阪本氏が入居しておられた住吉区の南海ライフリレーションに行くと、ベッドに寝たままで、しゃべりにくそうではあったが、私の言うことは理解されているようで、僅かな言葉も返して下さり、「まだ、大丈夫」と思ったが、翌朝、「今、亡くなりました」との連絡をいただいた次第である。
 ご遺族の希望で、通夜は桂米朝師の『菊江仏壇』が、葬儀は六代目笑福亭松鶴師の『天王寺詣り』が流れる中で執り行われたが、葬儀場の方の気配りで、笑福亭松朝のメクリが用意されたことを、阪本氏が見ておられたら、どのような感想を述べられるであろうか。
 本書に於いて、私が実際に会った師匠連だけ「誰々師匠」と表記したことや、阪本氏が戦後の短期間、戎橋松竹や地域寄席へ、笑福亭松朝の芸名で出演していたことは事実だけに、阪本俊夫ではなく、笑福亭松朝が述べているとして纏めたことを、ご理解いただければ、幸いである。
 そして、私の質問に対して、阪本氏が「知らん」と仰ったことは、そのまま掲載した。
 知ったかぶりで答えず、知らないことを「知らん」と仰るのは、知っていることは、余程、自信を持って述べておられると考えた結果なのだ。
 また、私とは長い付き合いではあるが、この書の刊行を勧め、今回も難儀な添削に何度も付き合って下さった燃焼社・藤波優社長に、心から御礼を申し述べたい。
 嘘でも、お世辞でも無く、気骨があり、粋な出版社が大阪にあることを、誇りに思う。
 そして、何より、本書を手に取り、目を通していただく方に、厚く御礼申し上げる次第
である。

版元から一言

今ではほとんど忘れられている上方演芸の歴史が、その生き証人でもある笑福亭松朝の、百歳とは思えないその驚異的な記憶をたどることによって、ここに甦ってきました。後世に残していくべき貴重なものと確信します。また、落語界ナンバーワンの演芸コレクターでもある桂文我師が、当時の貴重な資料を同時に公開しています。当時の様子が鮮やかに甦ってきます!

上記内容は本書刊行時のものです。