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洛陽堂 河本亀之助小伝 田中英夫(著) - 燃焼社
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洛陽堂 河本亀之助小伝 損をしてでも良書を出す・ある出版人の生涯

発行:燃焼社
四六判
縦190mm 横132mm 厚さ48mm
重さ 750g
670ページ
上製
価格 3,200円+税
ISBN
978-4-88978-117-5
Cコード
C0023
一般 単行本 伝記
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2015年11月
書店発売日
登録日
2015年9月4日
最終更新日
2016年4月11日
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書評掲載情報

2016-01-31 朝日新聞
評者: 保阪正康(評論家)

重版情報

2刷 出来予定日: 2016-03-31
地味な内容であったため、それほどの売り上げを期待していなかったが、朝日新聞の書評欄に大きく取り上げられたため、予想以上の評判となった。図書館の注文だけでなく、出版の歴史家や、古書マニアの方からのご注文多く寄せられるようになった。また、毎日新聞朝刊の1面下の書籍広告欄に、3月30日に東日本、4月1日に西日本、広告を掲載した。

紹介

 本が語られるとき、出版社名は出ます。夢二画集も白樺叢書も洛陽堂が出しました。しかし出版者はついでのあつかいで、どんな人物だったのかまでは語られたりはしません。出版業そのものが裏方だからでしょう。
河本亀之助は、つねづね「無名の士を社会に紹介したい。損をしてでも良書を出すのだ」と考えていました。また、トルストイ紹介者として知られた加藤一夫も「損得を超越して無名の士を紹介することを楽しみとする種類の人だった」とふりかえっています。
そのとおり河本亀之助は、在学中だったり、卒業したばかりのような、若い人々の著訳書を出版しました。しかしながら、その出版業は綱わたりだったようです。加藤は「洛陽堂から印税をまともに払われたことはなかつた」といい、商売が上手ではなかったと重ねて言っています。
本書は、明治から大正にかけて、損得を度外視し、良書を出すという、出版の理想に身をささげた人物の物語です。我々同じ出版人として尊敬してやみません。ただ、身につまされる話ではありますが……。

目次

一章 離 郷

一 備後国沼隈郡今津村
1 幕末 
2 明治四年大一揆
3 私塾大成館 
4 小学校助教 
   ①高島平三郎 ②今津 松永 高須
5 高島東遊
二 離郷
1 キリスト教信仰
2 離郷
3 牧夫
4 新聞売子
5 移民申込
6 書生

二章 印刷業

一 国光社印刷工
1 創立者西沢之助
2 印刷部
3 経世社併営
4 小学校教科書出版
5 築地移転
6 印刷業組合加入
7 東京活版印刷業組合
二 株式会社改組
1 経営の転機
2 改組と日本女学校開校
3 日本労働者懇親会
4 印刷工慰安遠足
三 社長交代
1 社長橋本忠次郎と高瀬真卿
2 『女鑑』続刊
3 社業再編 国光書房
4 小学校教科書事業
5 結婚
6 通俗宗教談発行所
7 週刊『平民新聞』印刷受注
四 亀之助の裁量
1 社をめぐる紛紜 
2 山本瀧之助『地方青年』
   ①沼隈の青年山本瀧之助 ②亀之助とのつながり ③国光社刊『地方青年』
3 週刊『平民新聞』堺美知追悼記事
4 小泉三申主宰『経済新聞』
5 週刊『平民新聞』筆禍
6 印刷器械没収余波
7 亀之助と平民社をめぐる人々
五 国光社退社
1 金尾文淵堂主 金尾種次郎
2 金尾文淵堂店員
3 店員中山三郎と国光社
4 仏教大辞典予約出版の頓挫
5 辞表提出
6 俊三と獅子吼書房
7 『出版興亡五十年』代筆者中山三郎
六 千代田印刷所
1 創業と金尾種次郎
2 印刷発注者

三章 洛陽堂草創期 一九〇九年~一九一一年

一 洛陽堂顧問高島平三郎
1 創業前の著書
2 つなぎ役
3 創業後の編著
二 初出版 山本瀧之助『地方青年団体』
1 山本と内務省
2 青年団中央機関
3 出版交渉
4 初出版
5 出版以後
三 竹久夢二
1 投書家時代
2 『直言』投稿と国光社
3 竹久と国光社 
  ①月刊『スケツチ』 ②『ヘナブリ倶楽部』 ③『法律新聞』
  ④早稲田文学社『少年文庫 壹之巻』 ⑤社会主義諸誌 ⑥国光社発行雑誌『女鑑』 
  ⑦竹久と『絵葉書世界』三好米吉
4 『夢二画集 春の巻』 
  ①出版 ②売行き ③反響
四 『白樺』名義発行元
1 創刊
2 同人による経営
3 無印税 武者小路実篤『お目出たき人』
4 広告と紹介記事
5 宣伝誌週刊『サンデー』
五 『夢二画集 夏の巻』から
1 夏の巻 出版遅延
2 番外企画 花の巻と旅の巻
3 帳尻合わせ 秋の巻と冬の巻
六 大逆事件前後 良民社創業
1 山本瀧之助編輯『良民』創刊
2 良民社刊『親と月夜』
3 良民社と松本恒吉 
   ①松本家農場 ②亀之助夫妻と松本
4 山口義三
5 良民文庫 良民講話
6 西川光二郎『悪人研究』
7 『良民』山本と天野藤男
七 大逆事件前後 竹久夢二
1 平民社と竹久夢二 
2 新企画 
  ①『夢二画集 野に山に』 ②『絵ものがたり 京人形』 ③柴田流星 
  ④初の発禁 柴田著竹久画『東京の色』 ⑤共著画文集
八 東京書籍商組合加入

四章 俊三と千代田印刷所 一九一二年~一九一三年

一 夢二人気のかげり
1 引き潮と予約不履行
2 印税をめぐるゆきちがい
二 夢二画会
1 竹久夢二と展覧会
2 第一回夢二作品展覧会
3 ブルックリン美術館キュウリン 
4 第二回展
5 第三回展
6 夢二画会事務所と第四回展
7 夢二画会の頓挫
三 雑誌『白樺』経営
1 経営委任
2 白樺叢書
3 価格設定のゆきちがい
4 原稿紛失

五章 洛陽堂印刷所改称以後 一九一四年~一九一六年

一 白樺同人をめぐる人々
1 木村荘八 
    ①美術評論 ②R堂主人 ③福士幸次郎『詩集 太陽の子』 ④木村荘八岳父 福田和五郎
2 加藤一夫 
  ①『ベェトオフェンとミレエ』 ②主宰雑誌『科学と文芸』
二 永井潜をめぐる人々
1 永井潜 
   ①永井と高島平三郎 ②亀之助と永井
2 書生 小酒井光次
3 書生 児玉昌
4 児玉の友 津田左右吉
三 公刊『月映』
1 『良民』さし絵と月映同人
2 『月映』前史
3 公刊『月映』
4 売りこみ 
   ①諸紙誌広告 ②配本 集金
5 反響
6 創刊以後 
   ①印刷事情 ②亀之助への謝辞 ③月映社作品小聚と告別七輯
7 田中恭吉遺作集
四 亀之助と加藤好造
1 経営難と宇野浩二の回想
2 『泰西の絵画及彫刻』
3 『縮刷 夢二画集』
4 蜻蛉館書店加藤好造 
   ①加藤と宇野 ②加藤と洛陽堂図書装本
5 哲夫帰国と加藤古本店主人
五 『都会及農村』
1 亀之助と天野藤男
2 創刊準備
3 天野による編輯 
   ①投書募集 ②都会非難 ③鋒先と筆致
六 山本瀧之助と一日一善
1 一日一善
2 後藤静香

六章 雑誌経営の転機 一九一七年~一九一八年

一 『都会及農村』編輯者交替
1 洛陽堂主河本亀之助「本誌の改善に就て」
2 新編輯者山中省二 
   ①原阿佐緒 ②三ケ島葭子 倉片寛一 ③婦人欄創設 ④水町京子 
   ⑤亀之助と柳田国男
二 『白樺』経営辞任
1 ゆきちがいの近因 ①有島武郎著書出版 ②特価販売
2 ゆきちがいの遠因
3 経営辞任後 
   ①引きつぎのゆきちがい ②白樺同人の著訳書と洛陽堂
4 『泰西の絵画及彫刻』続刊と木村荘八
三 『科学と文芸』経営引きつぎ
1 トルストイ民話集
2 一九一七年の『科学と文芸』
3 『土の叫びと地の囁き』発禁
4 洛陽堂経営『科学と文芸』
5 『土の叫びと地の囁き』改版と半年間の『科学と文芸』経営
6 加藤一夫をめぐる人々 
   ①中山昌樹 ②上澤謙二 ③山本秀煌 ④龍田秀吉

七章 亀之助経営の最後 一九一九年~一九二〇年

一 吉屋信子
1 亀之助とつないだ人物 
   ①沼田笠峰 ②高島平三郎
2 大阪朝日新聞懸賞小説「地の果まで」
3 『地の果まで』洛陽堂版と新潮社版
4 絶版事情 吉屋信子をめぐる人々
5 吉屋にとっての稿料印税
6 出版者と著者 木村荘八の場合
二 『良民』終刊
1 井上友一急逝
2 『良民』終刊   
3 見舞
三 葬儀・追悼
1 麹町教会
2 追悼録 
   ①関寛之 ②永井潜 ③高島平三郎 ④帆足理一郎 ⑤恩地孝四郎 ⑥竹久夢二
3 山本瀧之助 
4 武者小路実篤
5 今津村における追弔会

八章 歿 後

1 後継 洛陽堂・洛陽堂印刷所
2 一九二一年 洛陽堂をめぐる紛議
3 洛陽堂の一九二一年 
   ①東京まこと会 ②創業十五週年紀念特価販売 ③破産
4 一九二三年 震災
5 津田左右吉事件 
   ①前ぶれ 森戸事件 ②津田左右吉事件

略年譜
発行図書一覧
人名索引

前書きなど

 一九一一〔明治四四〕年一月一八日、大審院において幸徳秋水ら二十四名に死刑判決が下された同じ日に、洛陽堂は山口孤剣『明治百傑伝 第壹篇』を出版した。山口は、社会党がとりくんだ東京市電車賃値上反対運動による兇徒聚集事件で一年半獄中に在った。一〇年一月に刑期を終えたものの職はなく、幸徳に相談して平民社以来保ってきた縁を絶つことで、ようやく雑誌社にもぐりこめた。そうして執筆した評論をまとめた著書だった。洛陽堂からはこの年に、山口より半年長く獄中に在った西川光次郎の著書も出版した。西川は、幸徳らが捕えられたあと、運動から離れる宣言書を出版していたが、山口とともになお尾行をつけられる身だった。
 初の社会主義政党創立者でありながら、運動から離れたためにただひとり伝記を著わされなかった西川と、一時期運動から離れたのち戻りながら、筆一本で暮らしを立てるために新聞雑誌記者で終わった山口の生涯をたどってみて、気になってしかたがなかったのが、洛陽堂主河本亀之助〔こうもと かめのすけ〕だった。
 創業一年余りしかたたぬ出版業者として、手をひろげるゆとりがさほどあったわけではない。竹久夢二の画集があたりをとったとはいえ、価は一冊五十銭、増刷を重ねるにしろ、千部きざみにすぎない。一世を風靡したと伝えられるけれども、一説に百万部といわれる『西国立志編』や、『学問のすゝめ』七十万部とは、そもそも桁が二つも三つもちがった。名義発行元となった雑誌『白樺』はといえば、まだ歩みがおぼつかない。負債をかかえてあくる年には千円に達したがために、同人は経営を洛陽堂へゆだねるにいたる。さらにもう一誌、『良民』を創刊するのが一一年紀元節で、内務官僚の支えをえて青年団運動をすすめる山本瀧之助が主宰した。こちらは二十頁ほどで一冊十五銭、良民社を別におこしてこれから育てようとする時期であった。

 著訳書が語られるとき、出版社名は出る。夢二画集は洛陽堂が出版した、白樺叢書も洛陽堂が出した。しかし出版者はついでのあつかいで、どんな人物だったかまで言いおよばれたりはしない。出版業そのものが裏方であった。山本夏彦が示したとおり岡茂雄『本屋風情〔ふぜい〕』には、まえがきに書名の由来が記されており、塙作楽『岩波物語』には、かつて白樺同人であった小説の神様に、帝大を出たのになぜ本屋の丁稚なんかになったのかと言われた逸話がおさめられている。こちらは敗戦後の話だ。さかのぼれば、丁稚、小僧、車夫、馬丁、下婢、下女なんぞ当たりまえに呼びすてられた時代であった。四民は平等ではなく、華族と士族と平民には別があり、官と民にも別があり、官には勅任、奏任、判任といった別があり、藩閥以外から抜擢されると新聞種になる、そういう時代だった。
 当時の人名辞典に河本亀之助は出てこない。平民は金を払って載せてもらう側だから、頼まなかったようだ。出版にかぎった人名辞典はどうか調べると、当時も今も名がない。同業者小川菊松が書いた『出版興亡五十年』に、今はない出版社として洛陽堂がとりあげられたわけは本文で明かすとして、なお亀之助その人に筆はおよんでいない。略歴をとどめるのは郷里広島県『沼隈郡誌』だ。

河本亀之助 慶応三年十月二十一日今津村に生る。幼にして同村大成館に学びしが、在学中学大いに進み小学校助教となり今津・松永・高須等に教鞭を執る。後今津郵便局の事務員たりしが、明治二十四年如月二十七日奮然として東都に出づ。上京当初は牛乳配達、新聞売子等の苦役をなせしが、国光社印刷所の設置せらるゝや入りて雇となり励精怠らざりしを以て年と共に要職に挙げらる。明治四十一年故ありて退社、翌四十二年千代田印刷所を創設せしが同年末洛陽堂と命名して出版業を始め今日の大を致す。大正九年十二月十二日日本赤十字病院に逝く。享年五十四。

 小学校助教、牧牛、新聞売子、印刷工、千代田印刷所、洛陽堂と、すべてに関わるのが、江戸福山藩邸に生まれた高島平三郎だった。亀之助が兄事した二歳年長の高島は、小学校卒にして心理学児童学者として立った。高島は亀之助を、「将来見込みのあると云ふものには、自分の財産を投出してもやると云ふ人である」と評した。山本瀧之助は、「無名の士を社会に紹介したい」という亀之助の言葉を伝えた。トルストイ紹介者として知られた加藤一夫は、「損得を超越して無名の士を紹介することを楽しみとする種類の人だつた」とふりかえった。そのとおり亀之助は、在学中だったり卒業したばかりであったり、内務省嘱託であるような、若い人々の著訳書を出版した。しかしながら、もうけを度外においた出版業は綱わたりだった。加藤は「洛陽堂から印税をまともに払はれたことはなかつた」といい、商売が上手ではなかったと重ねる。亀之助の出版事業をめぐって関わりをもった人々が、つながりを断つか、保つかをわけるのは、そこにかかる。
 歯がゆいのは亀之助が書いたものはほとんど残されていないことだ。十数年にわたる日記は、亡くなる直前まではあったとされ、追悼録にぬき書きされたものの一部に限られた。亀之助自叙にもとづく記述は、本書の一割どころか、一分、一厘にもおよばない。ほとんどを、印刷や出版を通じて亀之助とつながりをもった人々が書きとどめたことやできごとを、寄せ集めつなぎ合わせてつづった。小えびを大きな衣で揚げていながら、えび天だといつわるのを予めことわっておく。

版元から一言

 本が語られるとき、出版社名は出ます。夢二画集も白樺叢書も洛陽堂が出しました。しかし出版者はついでのあつかいで、どんな人物だったのかまでは語られたりはしません。出版業そのものが裏方だからでしょう。

著者プロフィール

田中英夫  (タナカヒデオ)  (

1949年生まれ。初期社会主義研究会 休眠会員
 著書『ある離脱』1980年 風媒社
   『西川光二郎小伝』1990年 みすず書房
   『山口孤剣小伝』2006年 花林書房

上記内容は本書刊行時のものです。