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被爆した長崎医科大へ 神戸から 鳥居 真知子(著) - 浪速社
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被爆した長崎医科大へ 神戸から (ヒバクシタナガサキイカダイヘ コウベカラ)

文芸
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発行:浪速社
A5判
縦210mm 横148mm 厚さ18mm
221ページ
並製
定価 1,500円+税
ISBN
978-4-88854-571-6   COPY
ISBN 13
9784888545716   COPY
ISBN 10h
4-88854-571-5   COPY
ISBN 10
4888545715   COPY
出版者記号
88854   COPY
Cコード
C0093  
0:一般 0:単行本 93:日本文学、小説・物語
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2025年3月1日
書店発売日
登録日
2024年12月12日
最終更新日
2025年3月5日
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紹介

ノーベル平和賞! 日本被団協受賞
広島と長崎へ原子爆弾が投下されて80年! 
いま、全ての日本人に読んで欲しい物語。                                                                       
長崎医科大学は、世界で唯一、原爆により壊滅した医科大学である。
神戸出身の主人公昇を始め、生き残った医師や看護婦は、自らも傷つきながら、被爆者救護に力を尽くした。
原爆がもたらした悲惨な実態を、関係者の証言や、『キュリー夫人伝』の警鐘を辿りながら、世界から核兵器が無くなること願い、次世代に継承する。
本書は、極限下における人間愛の尊さを問う物語である。

●著者作「日本の歴史と原子爆弾開発のプロセス」付

目 次
爆心地付近の地図と物語に出てくる地名
●第一章 芳しき日々 
・一中入学 
・結核との闘い 
・ジェーンさん 
●第二章 暗雲の下で 
・太平洋戦争 
・朝倉先生と『キュリー夫人伝』 
・お父さんの出征 
●第三章 長崎医科大へ 
・長崎へ 
・長崎医科大学入学 
・浦上での日々 
・神戸空襲 
●第四章 長崎原子爆弾投下 
・8月 9日午前11時2分 
・8月10日 
・8月11日以降 
●第五章 終戦 
・守山での再会 
・原爆投下後の長崎へ 
・大村海軍病院 
●第六章 戦後の歩み 
・神戸の焼土から 
・未知の原爆症 
・長崎の巡回診療 
●第七章 長崎の鐘は鳴り続ける 
・アンジェラスの鐘 
・戦禍を越えた『キュリー夫人伝』 
・お父さんの帰還 
●エピローグ
あとがき 
参考文献 
日本の歴史と原子爆弾開発のプロセス
                                         

前書きなど

 私は、今年、母が亡くなって10年になります。私自身も歳を重ねて、人生の終盤期を迎えつつあります。
 そのような中、最近よく、母の傍らで過した幼いころのことを、思い起こします。
 私の記憶は、母が大好きだった藤山一郎が歌っていた『長崎の鐘』と共に、始まったと言っても過言ではありません。
 ラジオから『長崎の鐘』の歌が流れる中、母は台所で料理や洗い物をして、そのそばで、私は西洋人形を相手に、ままごとをして遊んでいました。
 「メリーちゃん、今日のごはんは、何が食べたい?」
 私も、母と同じく料理を作っている心地でありました。おだやかな昼下がり、美しい歌と母の愛情に包まれた、懐かしい至福の幼年時代でした。
 私が成長して大学生になったころ、長崎で被爆された永井隆博士のことがテレビで放映され、初めて、『長崎の鐘』の背景を知ることになりました。永井隆博士の悲話は、哀愁をおびた『長崎の鐘』の前半と相まって、いっそう私の胸に届きました。
 『長崎の鐘』は「悲しく美しい」抒情歌として、私の人生と共に歩みました。
 人生の時は駆け足で過ぎていき、最愛の母も喪いました。でもあの『長崎の鐘』は残っています。
 2022年2月、ロシア軍がウクライナに侵攻しました。罪のないウクライナの人々が、日々たくさん亡くなる報道に、胸を痛めています。
 さらに、ロシアは、ウクライナに対して核の脅しも行うようになりました。それは断じて許せないという思いと共に、世界で唯一の被爆国の日本国民である私自身も、その核の脅威の真実に対して、全く無知であることを悟ったのです。
 私が物心ついたころより、私のそばで鳴り続けていた『長崎の鐘』の実態を知りたい、いや知らなければという思いが沸き上がって参りました。
 私は、まず昭和46年に講談社から刊行された『永井隆全集』から読み始めました。この中には、永井博士が病床において執筆をした「長崎の鐘」、「この子を遺して」、「原子爆弾救護報告」など11作品が収録されています。
 中でも、「私たちは長崎にいたー原爆生存者の叫びー」には、原爆投下による地獄のような惨状が、その体験者の子どもからお年寄りの生の声で表わされていました。それは、想像を絶するあまりにもむごいもので、読み進めることを何度も中断しました。
 私は、幼いころからずっと『長崎の鐘』が耳元でささやいていたのに、それを聞き流していたことを悔いました。それから、広島や長崎の原爆と関る本や資料を、片っ端から読み、日本に落とされた原爆について勉強をしました。
 そこから得たことは、この原爆よりもっと威力のある核爆弾が今後戦争で使われたら、生き物や自然は破壊し尽くされて、人類や世界は滅亡するだろうという危機感です。
 私は、人生の終盤で、やっと辿り着いた『長崎の鐘』の歌に込められた長崎原爆の事実を、次世代の子どもや若い方々に書き遺し伝えたいと、ペンを採り始めました。しかしこの壮絶な悲惨さは、筆舌に尽くし難いものでした。
 この作品はフィクションではありますが、私は永井隆博士が勤められていた、世界で唯一被爆し壊滅した医科大学の長崎医科大に焦点を当て、書き進めることにしました。原爆投下直後から、救護活動に尽くされた永井隆博士を始め、調来助教授、また角尾晋学長や古屋野宏平学長、そして大村海軍病院の泰山弘道院長につきましては、後世にも伝えたく実名で記させていただきました。 
 神戸の被爆二世の方たちからも、貴重なお話しを伺い、さらに長崎で、原爆の問題や核廃絶に向けての取り組みをされている方々を、ご紹介いただきました。
 原爆を始めとして、戦争に関る問題を追究されている漫画家の西岡由香さん。西岡さんには、資料をお送りいただいたり、長崎の方言についても細やかなご指導を授かりました。
 さらに、核兵器廃絶長崎連絡協議会の事務局の池田克子さんを介して、核廃絶に向けて活躍されている若い力も、知り得ることができました。長崎大学核兵器廃絶研究センターの山口響さんを中心に、NHKアナウンサーの野村優夫さん、ナガサキ・ユース代表団メンバーで長崎大学大学院生の平林千奈満さんです。
 これらの方々のお力添えにより、執筆を続けることができました。また一昨年の秋には、長崎の地を訪れて、直にお会いすることも叶いました。
 永井隆博士のお孫さんである永井徳三郎館長や、調来助教授のお孫さんの調漸先生、また山口さんにも、ご多忙な中、私の原稿をご高覧いただき、ご教示を賜りました。調先生には、本の帯へのお言葉も頂戴することができました。
 さらに、調漸先生を始めとして、長崎大学附属図書館医学分館や長崎原爆資料館からは、貴重な写真の転載を許可して頂き、本作品を生かすことができました。
 また、イラストレーターの藤正良一様、そしてこの『被爆した長崎医科大へ 神戸から』を刊行して下さった図書出版浪速社の杉田宗詞様に、心より深く御礼を申し上げます。
 長崎訪問の際には、西岡さんが、被爆遺構などを案内して下さいました。そこに立つと、被爆者の方々の声が聞こえてくるように思えました。
 さらに、山口さんに導かれて、長崎大学医学部の裏手にあるグビロが丘に、登ることができました。今は、訪れる人もほとんど無いのか、木の階段は朽ちて、道も丘もうっそうとした木々に覆われていました。
 丘の上には、昭和24年に建てられた追悼記念碑が、木の葉を被って立っていました。ここに原爆投下直後、長崎医科大学を始め長崎の被爆者たちが横たわっていた光景が、脳裏に浮かんで参りました。
 覆っている木々の間から、木漏れ日が、かすかに射し込んでいます。その時私は、この覆い被さっている木々を全部取り払い、グビロが丘を、白日の下に世界に向けて、照らし出さなければという思いに駆られました。
 長崎では、浦上天主堂のアンジェラスの鐘が、毎日、朝5時半、昼12時、夕方6時に鳴り続け、また平和公園に昭和52年に設置された長崎の鐘は、毎月、原爆が炸裂した日時である9日の11時2分に、人々が鳴らし続けています。
 今年は、広島と長崎に原子爆弾が投下されて80年になります。これら長崎の鐘の音が、全世界に届くことを強く願ってやみません。

版元から一言

広島と長崎へ原子爆弾が投下されて80年! 
原爆がもたらした悲惨な実態を、関係者の証言(資料)や、『キュリー夫人伝』の警鐘を辿りながら完成に至った。
本書は、極限下における人間愛の尊さを問う物語である。

著者プロフィール

鳥居 真知子  (トリイ マチコ)  (

1951年三重県に生まれ、兵庫県の芦屋で育つ。
1974年甲南大学文学部卒業。結婚後、神戸に住む。
子育ての合間に児童文学を書き、「おはようおじさん」が三木市立図書館でビデ
オ化される。
1992年甲南大学大学院入学。修了後、同大学と神戸山手女子短期大学で非
常勤講師として勤め、退職後、再び児童文学を書き始める。
研究著書に『我々は何処へ行くのかー福永武彦・島尾ミホ作品論集』(和泉書
院)、共著に『時の形見に』(白地社)、『南島へ南島から』(和泉書院)、『島尾敏
雄』(鼎書房)。
児童文学の著書に『赤い屋根』(BL出版)、『ピラカンサの実るころ』(読売ライフ)、
『あした咲く花』(読売ライフ)、『アマゾンへ じっちゃんと』(海風社)、『アマミゾの彼方から』(海風社)がある。

上記内容は本書刊行時のものです。