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比嘉正子 GHQに勝った愛
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2024年3月5日
- 書店発売日
- 2024年3月5日
- 登録日
- 2024年1月30日
- 最終更新日
- 2024年3月5日
書評掲載情報
2024-03-17 | 産經新聞 朝刊 |
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紹介
敗戦直後の日本で、比嘉正子は子どもたちの生命を守るために、時の絶対権力GHQに「お米をください」と直談判に乗り込んだ。
そしてGHQと対等な関係を築き、人々の生命を、生活を守る闘いを繰り広げた。
子どもたちへの愛、弱者への愛、生活者への愛、国への愛。
いかなる困難にも屈することのない情熱で走り続けた比嘉正子。
彼女を突き動かしたのは、人を思う心、愛だった。
誰もが人としての尊厳をもって生きていける社会の実現のために、誇り高くしなやかに闘い抜いた比嘉正子の軌跡の物語。
■目次■
第1章 マッカーサー元帥に伝えて
第2章 GHQを追い風に
第3章 ヒューマニズムの原点
第4章 GHQと共同戦線
第5章 対等な関係のGHQ
第6章 自らの民主主義
第7章 弱き者とともに
第8章 生活を守る改革
第9章 大和魂の誇り
目次
はじめに
序
第一章 マッカーサー元帥に伝えて
第二章 GHQを追い風に
第三章 ヒューマニズムの原点
第四章 GHQと共同戦線
第五章 対等な関係のGHQ
第六章 自らの民主主義
第七章 弱き者とともに
第八章 生活を守る改革
第九章 大和魂の誇り
結
おわりに
資料編
写真で見る比嘉正子とその時代
主婦の商品学校テーマ一覧
比嘉正子について〈年譜〉
比嘉正子について〈委員関係の記録〉
比嘉正子について〈褒章などの記録〉
社会福祉法人 都島友の会について
参考文献・資料・ウェブサイト
前書きなど
比嘉正子は、生活者、という言葉をよく口にしていました。大人も子どもも消費者も生産者も皆、生活者。そこに境界線を設けることはありませんでした。そして立場の違う生活者たちが力を合わせて、子どもたちの生命、子どもたちの将来を守ることを夢見ていました。
私が比嘉正子と出会ったのは一九六三( 昭和三十八)年、正子が経営する都島病院の仕事をしにいらっしゃいと呼ばれての縁でした。都島病院は正子が経営する都島児童館の子どもたちのために開設した医療施設でした( 正子が都島病院を開いた一九五一年当時は近くに保健所も医院も少なく、預かっている子どもたちにいつでも適切な医療を行えるようにと作りました)。そして都島病院は地域医療、産婦人科、さらに低所得者の医療施設としての役割も果たしていました。
私はその病院の仕事を通じて、地域の人たちと生活を共にしながら信頼関係を築いていくこと、社会の中で弱い立場にある人たちに寄り添うこと、定住する家を持たない人たちの医療に必要なサポートを学ぶ中で社会の営みを、実感を持って覚えていきました。そして、結婚、出産を機に、正子が推進する保育を軸とした地域社会づくりの仕事に従事することになりました。社会事業の仕事を覚えると同時に、正子が会長を務める関西主婦連合会の婦人運動、消費者運動の手伝いをするようにもなりました。
岡山から単身大阪に出てきた私は、大阪に慣れるまでの最初の数か月間を正子の自宅で過ごし、社会人として歩き始める時期を比嘉夫妻に育てられました。その縁もあって、私自身が親の年齢になってからも、よく褒められよくしかられ、生涯、薫陶を受け続けました。ですから今も、正子の声と口調で頭の中で聞こえてくる言葉がいくつもあります。その筆頭が、「賢いお母さん、賢い女性になる」という言葉です。子育てには食(栄養と満足感)や保健衛生など発育のお世話についてだけでなく、その子の将来に関わる社会についての知識や理解が必要だと言ったものです。「子どもたちが生きていく日本社会をより良いものにするためには、お母さんは賢くならなくてはならない」と言いました。
この考えは、正子の婦人運動、消費者運動の根底にもなっています。台所を預かり、家庭を守るリーダーである主婦は賢くならなくてはならない。家庭を守るためには社会という大きな環境について理解し、必要であれば改善するための行動を起こさなくてはならないという考えです。そしてそれを実践したのが、戦後間もなく、子どもたちを飢え死にさせないために「米よこせ」と立ち上がった運動であり、関西主婦連合会という関西の婦人たちが一つになった組織での消費者運動でした。
賢いお母さん、賢い主婦になることを重要にしていた正子は、関西主婦連合会で『主婦の商品学校』という催しを毎年開催していました。巻末の資料編に掲載しているテーマ一覧をご覧いただくと、社会の動きを半歩先取りして賢くなろうという試みが伝わってきます。私が正子と出会った翌年、一九六四( 昭和三十九)年のテーマが『消費者運動二十年記念展』でした。ちょうど一度目の東京オリンピック開催の年で、正子が「戦後デモクラシーが一般に浸透した」と感じた時期に、主婦たちによる自主的な、GHQによって吹き始めた民主精神を追い風に始めた消費者運動が二十周年という節目を迎えたわけです。
私が深く関わった正子の仕事は社会事業の分野でしたが、「社会事業と消費者運動は一本の根から育った二本の幹」と考える彼女によって、消費者運動の分野に関わることもありました。そして二本の幹に共通する正子の実践主義を目の当たりにしてきました。知名な婦人運動家たちの中で、比嘉正子が『日本の消費者運動の生みの親』と呼ばれる所以は、この実践主義にあるのだと私は考えます。理念は行動のためにある、実践あってこその理念―正子の運動はまさしく自分のその考えを実践し続けるものでした。
その実践主義は、対話という形でも実行されました。敗戦間もない日本でGHQの偉い人に会いに行ったように、日本の政財界の要人にも、直接会って話すことによって問題の解決を図る人でした。「たいていの人は、社会を良くしようと考えて、それぞれの仕事をしている。だから会って話をして現実的な解決策を見つけていけばいい。問題は人にあるんじゃなくて事柄にあるんだ。立場は違えど、その事柄について一緒に考えればいいんだよ」と、生活者を守るという大きな目的に向けて大同団結の道を選ぶ人でした。
今、日本は明るい将来のために解決していく問題を山ほど抱えています。
「子どもは国の宝だよ。子どもたちを守ることは国の未来を守ることだよ」と口癖のように言い、立場の違う生活者たちが力を合わせて、子どもたちの生命、子どもたちの将来を守ることを夢見て走り続けた比嘉正子の実践の軌跡が、これからの日本、子どもたちに遺す社会づくりに役立つことを願います。
版元から一言
敗戦直後の日本で自主性の尊重を条件に、時の権力GHQと対等の協力関係を築き、当時の日本政府、財界と対峙して人々の生活を立てなおした女性がいたことを初めて知った。
また、日本保育のパイオニアであり、社会事業家、教育者、大同団結をモットーに生活者のための活動を続けた消費者運動の生みの親でもある。
彼女の名は比嘉正子。
比嘉の社会活動は、戦後日本の政財界にも大きく影響を与え、現代社会が抱える問題をも見通したものだった。
一人の女性がしなやかに誇り高く闘い抜いた原動力は、人を思う心、愛だった。
その闘いの軌跡は、昭和から平成へと続く。
比嘉雅子の精神は、脈々と現代にも継承されている。
上記内容は本書刊行時のものです。