書店員向け情報 HELP
出版者情報
在庫ステータス
取引情報
歌文集 玲子挽歌
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 書店発売日
- 2024年7月5日
- 登録日
- 2024年5月28日
- 最終更新日
- 2024年7月5日
紹介
*愛妻を亡くした著者が「回想」「闘病「哀悼」の全過程の揺れる心情を和歌と文で綴る「歌文集」
*茫然自失から「前に進む」立ち直りへの情動のトレース
*教え子たちに慕われた教員だった故人の「人間教育」の姿
*伴侶の死による「残された人」たちへの「エール」
*不治の病者への「緩和ケア」のあるべき姿を照らす
*学校教育の「原点」への職場環境見直しの必要
目次
はじめに
[回想]
文
▼回想という追悼
▼「非日常」の旅の歌
▼「回想」の始まり――歌詠み始めの時
▼自薦の歌
▼玲子の人となり
歌
▼北海道旅行(一九九三・八)夫婦旅
▼北欧旅行(一九九八・八)息子を加えた三人旅
▼ペルー旅行(一九九九・七~八)和子快気祝いを兼ねて
▼タイ・カンボジア旅行(二〇〇二・七~八)夫婦旅
▼玲子定年前退職(二〇〇三・三)
▼宝登山の蠟梅花見(二〇〇五・二)夫婦旅
▼熱川・稲取温泉旅(二〇〇七・三)夫婦旅
▼義妹柳原和子逝去・散骨(西伊豆・松崎)
▼長歌「我ら宇宙(そら)を翔びて遊ばむ」(荒井宏範君の逝去を悼む)
▼和子を偲ぶ会(京都東山・法然院)
▼スペイン・ポルトガル旅行(二〇〇九・九)夫婦旅・ツアー
▼関西旅行(竹生島・長浜・彦根・結崎)
▼尾瀬行き(二〇一二・一〇)夫婦旅
▼東北震災視察(二〇一三・二)夫婦旅
▼坂東三十三観音巡り(二〇一三・二~一二)夫婦旅
▼台湾旅行(二〇一四・二~三)夫婦旅
▼大洗海岸 息子家族と逗留(二〇一四・六)
▼雑(一九九二~九八)
[闘病]
文
▼身体の不調
▼癌の発見・手術と抗癌剤治療
▼抗癌剤効果ナシ・「緩和ケア」の決断
▼「ラブレターを書いて」
▼墓じまいと樹木葬への移設――玲子最後の「身辺整理」
▼「緩和ケア」病棟入院――二度の危篤を乗り越える
▼ハワイアン・誕生日会・クリスマス会――「緩和ケア」の「実」を知る
▼「ワタシも再生して」、そして危篤
▼幻覚出始め、最後の闘病
▼逝去
▼葬儀――カラフルな祭壇
▼教え子たちの逸話
▼玲子の自作自演「花カンザシ」――「湿っぽくしたくない」
歌
▼玲子、癌発見(埼玉病院・リンパ節検査)
▼医科歯科大病院入院・手術(第4ステージ)
▼抗癌剤治療 苦痛 頭髪落ち(二〇一四~一五)
▼和光森林公園散歩の習慣(二〇一五~)
▼結婚記念日祝い(鰻料理店)
▼伊豆松崎港訪問(妹・和子の散骨場所)
▼抗癌剤治療中止(二〇一六・七)
▼青森への旅 三内丸山遺跡、弘前城、星の宿、棟方志功記念館(二〇一六・〇九)
▼滋賀・京都へ(二〇一六・一〇)
▼「ラブレターを書いて」(二〇一六・一〇)
▼枯れ葉のスケッチ(二〇一六・一〇)
▼足の爪切り(二〇一六・一〇)
▼緩和ケア病院下見(二〇一六・一〇)
▼実家の墓じまいと樹木葬への改葬(二〇一六・一一)
▼緩和ケア病棟入院(都立豊島病院)
▼逝去(二〇一七・一・一三)
▼葬儀
[哀悼]
文
▼「空白」の半年と夢
▼「挽歌第一首」と青春の思い出「源氏物語」
▼私の入院・大手術
▼転居 常陸の土地へ
歌
▼初めての玲子哀悼の歌五首(二〇一七)
▼屋久島ツアー(二〇一七・一〇)
▼我が家にて㈠(二〇一七~一八)
▼三回忌(二〇一八・一)
▼李君来宅(二〇一八・一)
▼わが家にて㈡(二〇一八)
▼四重奏演奏会(和光市)
▼我が家にて㈢(二〇一八)
▼息子家族と信州旅行(白樺湖)
▼クリスマスの飾りつけ、サンタ帽子を人形たちに(二〇一八・一二)
▼我が家にて㈣(二〇一九)
▼平不二夫氏を悼む(二〇一九・一一)
▼私の日赤入院・手術(二〇二〇・一)
▼リハビリ通い(ねりま健育会病院)
▼和光森林公園(リハビリ散歩)
▼我が家にて㈤(二〇二〇)
▼転居・新地(二〇二一・七~一二)
▼ひたち海浜公園 コキア紅葉(二〇二一・一〇)
▼安井信明君を悼む(二〇二一・九)
▼虎塚古墳・十五郎穴横穴墓(二〇二一・一一)
▼水戸紅葉狩り(もみじ谷)
▼傘寿の祝い(二〇二二・四)
▼馬渡はにわ公園(二〇二二・六)
▼鎌田光太郎君を悼む(二〇二二・一二)
▼自著上梓・亡妻の「見えざる」後押し(二〇二三・二)
▼大学クラス会(二〇二三・一一)
▼雑(二〇一八~二四)
▼ひたちなかの新居にて哀悼(二〇二一~二四)
▼長歌「天上の君へ」
おわりに
前書きなど
「はじめに」より
私は、「残された者」として、その「全過程」を綴るひとつの述作を試み、ここに上梓しようというのである。この場合、私は、日ごろ嗜んでいた和歌を通じて自らの「心情」に向き合い、それを「言語化」することで「述作」に充てた。もとより、歌だけでは「全体情況」を表出することは難しかったので散文を添えた。この著作は、いわば「歌」と「文」による複合体としての「歌文集」と言うべきものである。
上記内容は本書刊行時のものです。