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戯曲 黒いダイヤ
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 書店発売日
- 2024年1月10日
- 登録日
- 2023年12月15日
- 最終更新日
- 2023年12月22日
紹介
福岡でテント劇衆
上海素麺工場を
旗揚げして45年
支那海東の
渾身の戯曲を
刻み込む
玄海の風を
テントにはらむ芝居小屋
地底には巨大な子宮の如き
まっくらな坑道
支那海の芝居には数多くの死者たちが立ち現れる。今回の『黒いダイヤ』の場合は、三池炭鉱三川坑の炭塵爆発による犠牲者たちである。地下坑道に果てた彼らは、役者の口をかりて近代日本への呪詛を次から次へと吐き出す。死者たちは鎮魂されなければならない。この世に恨みを残して逝った死者は、いっそう鎮魂されなければならない。(東 靖晋)
目次
第一場 金魚と極道
第二場 神々の密約
第三場 サンバ・踊る昭和
第四場 記憶の旅立ち
キャスト・スタッフ
参考文献
「黒いダイヤ」によせて 東靖晋 上杉満代
あとがき
資料・「上海素麺工場」上演作品ポスター
支那海東略歴
前書きなど
団塊……何ていやな響きを持った言葉だろう。そしてなんとも美しくない称号だ。私が学校に通っていた時には聞き覚えのない言葉だ。聞くところによるとある阿呆が勝手にでっち上げた造語らしい。それをなんでも都合よくひとくくりにしたがるマスメディアが社会に撒き散らしたものだ。もらって喜ぶおめでたい人もいるけど、私はそんな言葉、ありがたくない。ありがたく熨斗を付けてお返しする。
団塊という言葉を聞く度、私はあのごつごつした燃える黒い石の塊を思い起こす。
私は、有明海に面した石炭の町の近郊に生まれ、そして育った。夕暮れになると、町に一つしかなかった共同浴場の煙突から立ちのぼる石炭の嗅いが、今でも私の鼻の中で幽かに息づいているのを感じる。私が小学校三年生の一一月九日のことだ。秋にしてはひどく寒かったのを覚えている。町から三川鉱に働きに出かけたお父さん達が帰ってこなかったあの寒い秋の黄昏時。戦争はもうとっくの昔に終わっていたのに……お父さん達は団体で三途の川を渡って行ったのだ。三池炭鉱の一つ、三川鉱の炭塵爆発事故だ。458人のお父さん達が亡くなり、839人のCO患者が廃人となり取り残された。まだ、海苔の養殖が営まれていなかった鄙びた漁師町で、お父さん達は漁のない日は炭鉱へもぐっていたのだ。町からお父さん達が消え失せ、そして仲の良かった友人達もどこかへ引っ越して行った。小学校のクラスも三クラスから一クラスへ、活気が幾分薄らいだ町に黒い川は相変わらず流れ、コールタールの臭いだけが消えることなく町に漂い続けていた。
あれから、もう四五年以上経ってしまったのか……。久しぶりに帰ったこの町から、石炭の嗅いは跡形もなく消え失せ、私の愛した猥雑な活気もすっかり萎んでいた。そんな町に団塊という文字が、そして言葉が、過剰に私の目と耳に飛び込んでくるのだ。団塊、しかしいやな言葉だ。不幸にしてそう名づけられた世代の末席に私は座らされているのだ。いつもせわしげに揺れて、いきりたって競い合い、なんて座り心地のよろしくない椅子だろう。
戦後の日本の復興、そして経済の高度成長を支えた椅子だろうけど、もうガタガタで自分達でさえ支えきれなくなってしまっている。今度は会社でなく社会で椅子を探そうか。若者達を椅子に見立ててさ。自分たちはレトロという名の椅子を探し、あの頃に酔いしれようか。忘れ去った夢をもう一度追い掛けようか、かつて支那の大人たちが阿片の煙に酔いしれたように。団塊ジュニアと呼ばれている若い人たちよ、戦後のツケはそっくり君たちに回ってくるんだ。どうする? かわせ! そんなツケ、引き受ける事はない。団塊の世代と呼ばれている者たちが、そんな称号をもらったばっかりに避けられなかった人としての不幸せを引き継ぐ事はないのだ。太った女王蜂にこれ以上貢ぐ事はない。オールウェイズー三丁目の夕日はもうとっくに沈んでしまった。あと三年もしないうちから五十兆円をつかんだ650万人もの団塊が君たちの社会に押し寄せてくるだろう。まるで燃えっからしの石炭のように、君たちの頭上に降りかかってくる事だろう。私はそんな石炭になどなりたくないので、とりあえず、自分の体に貼りつけられた団塊のステッカーをひっぱがし、毛の抜けた毛穴から石炭の嗅いの立ちのぼる忌まわしい記憶を引きずり出し、そして漂わせこの時代の白昼の中に放り投げようと思っている。とても美味しい黒いダイヤだよ。この作品は、この虚構に満ちた世の中にとってあくまでもフィクションとなるであろう。闇夜の下では、まこともうそも一夜の夢だ。
上記内容は本書刊行時のものです。