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地球を翔た異風者 橋本 和喜(著) - 石風社
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地球を翔た異風者 古賀武夫伝

発行:石風社
A5判
337ページ
上製
価格 2,700円+税
ISBN
978-4-88344-280-5
Cコード
C0023
一般 単行本 伝記
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2018年6月
書店発売日
登録日
2018年5月16日
最終更新日
2018年6月20日
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紹介

佐賀にひとり、桁はずれの 漢がいた――日本人としての矜持を胸に、常識に抗いつつ、その目をアジアに向けた57年の破天荒な人生。


 アジアシンポジウムで、武夫はタイのソーシャルワーカーの発言を耳にし、心臓に氷の突き刺さる思いをした。
「日本人はバナナだ。外は黄色でも中身は白色。欧米人と一緒、アジア人ではない」
 武夫は自分が責められているような気がした。我々が欧米ボケしている間にも彼らは厳しい目で日本や日本人を見つめていた。世界人口の六割を抱え、我々の毎日の生活が依存し、我々を産み育てた母なるアジア。その一員である現実を忘れ、同胞を無視していた。おまえは本当にアジア人なのか……。(本文より)


 他の人たちが抱くのと違い、「穏やかな人」というのが初見の印象だった。武道者らしく背筋がしゃんと伸び、声は落ち着いていた。タイでの活動に話が及んだとき、「私は一日として、感動して泣かない日はない」と目を潤ませた。胸にじんとくるものがあった。(「あとがき」より)

目次

プロローグ
第一章 泣き虫
第二章 悪友
第三章 バンカラ
第四章 自立
第五章 留学
第六章 結婚
第七章 地球市民の会
第八章 アジアへの視線
第九章 テラトピア
第十章 同志
第十一章 道場
第十二章 酒
第十三章 人間の翼
第十四章 ミャンマープロジェクト
第十五章 家族
第十六章 零戦
第十七章 夢の学校
第十八章 いのちのまつり
第十九章 病魔
第二十章 受け継がれる魂
エピローグ

あとがき
古賀武夫の歩み

前書きなど

 プロローグ

 平成二十年三月十九日、斎場となった北佐賀装苑のホールは千五百人を超える弔問客で埋め尽くされた。祭壇には、詰襟の黒服を着てにっこり微笑む古賀武夫の遺影。それを見上げ、佐賀県知事の古川康(現自民党衆議院議員)は、友との昔日を懐かしむように弔辞を読み上げた。

 古賀さんは、ほかの誰とも違う人でした。「桃太郎」のようでした。背中に「日本一」の旗をつけ、いろんな仲間を引き入れ、ピュアな思いで世間の荒波を乗り越えて、いろんなことにチャレンジしておられました。うまくいったものもあれば、なかなかそうはいかなかったものもありました。そのたびに、周りはハラハラし、ドキドキし、でも、結果にかかわらず、怒る人はいませんでした。みんな古賀さんのことが大好きだったからです。
 古賀さん、零戦の復元のこと、覚えておられますか?
「平和のシンボルとして零戦ば復元するけん、協力してくれんね」と言われましたよね。
「わかりました、資金のめどはあるとですか」
「いや」
「復元したらどこに置くのかあてはあるとですか」
「いや」
 驚いていたら、古賀さんはこう言われました。
「零戦ば作ってしもうたら、どっかに置かんばけんが、なんとかなるさ」
 さらに私にこう言われましたよね。
「古川さん、先ばっかり考えよったらなーんもできんよ。まずやってみる。やっていると助ける人が出てくる。やってみる前から助けてくれる人はおらん。やってみらんば。やってみたらなんとかなるて」
 日本一の男、古賀武夫。私たちはあなたと同じ時代を生き、一緒の空気を味わうことができました。いまどきの日本にこういう男がいるのかと思わせるような人でした。
(中略)
 古賀さん。私たちは今あなたに、あなたがお好きだった言葉を贈ります。
  いのちのひかりは どこまでもとどく 今も昔も照らしてきたよ これからずっとずっ
  と照らしていくよ いのちをありがとう!
 多くの人にとって大事な先輩であり友人であり恩師だった古賀武夫さん。古賀さんと一緒だった情景を思い起こすと、古賀さんはいつも笑っておられました。なんでもないことが古賀さんと一緒にいると愉しく感じられました。その笑顔を私たちの胸にしまいつつ、心からご冥福をお祈り申し上げ、お別れといたします。

 古川は、佐賀大学教育学部附属中学の出身で、古賀武夫の八年後輩にあたる。平成十五年、自治省(現総務省)を退官して佐賀県の知事選に打って出たとき、古賀武夫は第一回の総決起大会に駆け付けて締めの挨拶をした。
「みなさん、心配はいりません、案ずるより古川やすし!」
 得意の親父ギャグを飛ばして会場を沸かせたが、あれではいけないと選挙スタッフからクレームがついた。
 来場者の志気を煽るような、何か心に残るような、古賀さん、そういうことを言ってくれんば。大会のもつ意味を滾々(こんこん)と説き、この次は「ちゃんとした挨拶を」と念押しした。投票日直前の最後の決起大会。再び壇上に立った古賀武夫は、前回にもまして元気な声を張り上げた。
「案ずるより古川やすし!!」
 結果は、まさしく「案ずるより」になった。
 佐賀の県民性を表す言葉に「いひゅうもん」がある。漢字で「異風者」と書き、変わり者、頑固者の意味 がある。あるいは「ふうけもん」という言葉がある。「風狂者」と書き、馬鹿者、お調子者といった意味がある。この点からすれば、古賀武夫は、まさしく佐賀男児を象徴する人物といってよいかもしれない。ただ、右の弔辞にあるように、この男は、ほかの誰とも違う人だった。いひゅうもんやふうけもんの気質をもった同郷の仲間たちでさえ、彼を「奇人、変人」呼ばわりした。それほどまでに並みはずれた強い個性の持ち主だった。
 認定NPO法人「地球市民の会」。古賀武夫はこの民間団体を率いて半生を社会貢献活動にささげた。生まれ故郷の佐賀を地球の中心と定め、ここから世界に向けて発信し、行動を起こした。人間教育、地域活性、国際交流、国際協力、地球救済と活動内容は多岐にわたる。たゆまざる活力の源は酒、武器は語学と空手。追い求めたものは「本物の豊かさ」。世界中の人々が真の豊かさを手に入れ、地球上に笑顔が満ち溢れることをひたすら願って国内外を駆け巡った。
 数多(あまた)ある行跡の中で、とりわけ突飛とされた一つが「零戦」の復元である。戦後五十周年に当たる平成七年、彼は、プロ野球界でただ一人の神風特攻隊員・石丸進一の短い生涯を描いた戦争映画の製作に関わることになる。「世界平和のためなら」と製作・上映資金の調達を請け負い、借金まみれになりながら映画を完成へと導いた。上映後、映画で使われたゼロ戦の模型は京都の映画関係者のもとに十年間保管された。「ボロボロだから廃棄したい」と連絡を受けたとき、彼はこれを引き取り、平和のシンボルとして甦らせることを思い立った。映画同様、復元には莫大な費用が要った。資金調達はままならなかった。戦争を美化する行為だと批判され、その奇行を笑われた。それでも彼は賛同者を求めて駆けずり回った。古川が弔辞の中で述べたエピソードは、金策に追われていたころの一時を切り取ったものである。
 やってみらんば。古賀武夫の行動はつねにこの一言から始まった。ひとたび行動を起こせば、実現するまでやり抜いた。その過程には、いつでも夢、情熱、感動があふれていた。
 グローバル時代を先取りし、人・地域・国の境を超えて「笑顔」の種蒔きをした九州の雄。笑いあり、涙あり。五十七年に濃縮された人生の軌跡をここに振り返る。

著者プロフィール

橋本 和喜  (ハシモト カズヨシ)  (

 1959年北海道生まれ。東北大学文学部東洋史科卒業。出版社勤務を経て、1993年よりフリーに。教育・医療分野を中心としたルポルタージュを多数手掛ける。2008年に活動拠点を郷里に移し、小説や童話などの創作活動に専念。
 著書に『ヘタな人生論よりやっぱり「論語」』(河出書房新社)などがある。

上記内容は本書刊行時のものです。