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スクリーンに映るまなざし
映画で学ぶ国際文化交流
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2026年2月28日
- 書店発売日
- 2026年2月28日
- 登録日
- 2026年1月28日
- 最終更新日
- 2026年3月5日
書評掲載情報
| 2026-04-12 | 京都新聞 2026年4月12日 |
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紹介
山中貞雄『人情紙風船』、ジム・ジャームッシュ『ミステリー・トレイン』『パターソン』、ブレイク・エドワーズ『ティファニーで朝食を』、ロベルト・ヴィーネ『カリガリ博士』、イングマール・ベルイマン『叫びとささやき』、ヤセミン・サムデレリ『おじいちゃんの里帰り』、アラン・レネ『ヒロシマ・モナムール』など、欧米にまつわる映画を複数の「視線」が複雑に交錯する場=主題(トポス)として捉える映画評論集。
目次
まえがき(後藤篤)
第1部 アメリカから見た日本/日本から見たアメリカ
第1章 或る夜の山中貞雄(青地伯水)
1 山中貞雄のいない焼け跡からの復興
2 日本におけるロードムービーの始まり
3 丹下左膳と或る夜の出来事
4 『人情紙風船』をめぐって
5 山中貞雄は戦場へ行った
第2章 ジム・ジャームッシュにおける日米文化交流の詩学(土岐光一)
1 エルヴィス(の他に撮るもの)を探して
2 双子の夢を銀幕に見る
3 理解可能性と不可能性のはざまで
4 奇妙な者たちの交歓
第3章 『ティファニーで朝食を』にみる日本人の異形(後藤篤)
1 配役の奇妙
2 変貌する写真家
3 文化冷戦の残響
4 隠喩としての怪物
第2部 20世紀ヨーロッパの交差する視線
第4章 ドイツ表現主義映画とナチズム(杉山東洋)
1 社会を映し出すもの
2 表現主義映画の先駆者、代表者、そして後継者
3 ナチス・ドイツの到来とクラカウアーの映画論
4 可能性の小部屋
第5章 『叫びとささやき』における記憶と家族(山本葉波)
1 職業監督から映画「作家」、そしてプロデューサーへ
2 それぞれの「痛み」をめぐって
3 記憶とクロースアップ
4 アグネスとアンナの絆
第6章 移民を描くドイツ/移民が描くドイツ(須藤秀平)
1 ドイツと移民―現状とその背景
2 いかなる問題が生じたか―『おじいちゃんの里帰り』
3 ドイツの対応―移民法制定の経緯と現状
4 ドイツにおける排外主義―『女は二度決断する』『ロストックの長い夜』
5 個人にできること
第7章 ヒロシマへの欧米人のまなざし、日本人のまなざし(青地伯水)
1 ペトラ・ケリーのヒロシマ体験
2 ヒロシマが、なぜ私の恋人なのか
3 国家の神格化と原爆への神の沈黙
4 赤狩りと、子なるオッペンハイマー
5 書籍『原爆の子』とその映画化
あとがき 移動演劇さくら隊原爆殉難碑(青地伯水)
前書きなど
●まえがきより(抜粋)
本書のタイトルには、欧米にまつわる映画を複数の「視線」が複雑に交錯する場=主題として捉えなおしてみたいという、論集全体のテーマが示されています。ある映画が特定の国や地域を意識した物語を紡ぎ出すとき、その映像のうちには、作品の制作(脚本執筆から撮影、編集にいたる一連の実作業)や製作(企画、資金調達、宣伝、配給を含む商業活動)に関わった人々のどのような思惑を読み取ることができるのでしょうか。あるいはより素朴に、映画の登場人物の目と目が合うその瞬間を一定の視角から切り取るとき、そこにはいかなる場面解釈の可能性が浮かび上がってくるのでしょうか。はたまた、そうした「スクリーンに映るまなざし」を映画館の暗闇のなかで、ないしはテレビやPC、スマートフォンの画面で一心に見つめ、さまざまな情動に突き動かされる私たちの鑑賞行為それ自体は、欧米文化研究の文脈において何を意味するのでしょうか。これらの疑問に答えるためのヒントを求めて、本書では多種多様な洋画・邦画を2部構成で見つめなおします。
第1部「アメリカから見た日本/日本から見たアメリカ」には、日米関係を主軸とする論考が並びます。冒頭を飾る第1章は、戦前に夭折した山中貞雄の現存する数少ない監督作品、とりわけ『人情紙風船』を取り上げます。戦後を舞台とする同時代の欧米映画との主題的共通性を導き出すその議論は、山中と小津安二郎との影響関係にも及びます。第2章はジム・ジャームッシュの『ミステリー・トレイン』と『パターソン』における日本人観光客の身振りを焦点化し、日米を複眼的にまなざすこのアメリカ人監督ならではの映像美学の論理を、反復と差異をキーワードにつまびらかにします。『ティファニーで朝食を』の物語をかき乱す世にも奇妙な「日本人」の配役を考察する第3章では、冷戦文化論の知見を取り入れた翻案研究の観点から、原作小説と映画版それぞれの日本との関わりが持つ文化史的意義が検討されます。
第2部「20世紀ヨーロッパの交錯する視線」は、『カリガリ博士』を中心的に取り上げる第4章で幕を開けます。同章ではドイツ表現主義映画とヴァイマル共和国末期の社会情勢との共振関係が見出されるなかで、ジークフリート・クラカウアーの社会学的洞察を戦後映画研究に敷衍する道筋が示されます。イングマール・ベルイマンの『叫びとささやき』を扱う第5章は、監督の映画技法のみならずその伝記にも留意しつつ、女性登場人物たちが抱く「痛み」を導きの糸として、同作が孕み持つフェミニズム批評の可能性を可視化する試みです。第6章ではふたたびドイツに目を移し、ヤセミン・サムデレリやファティエ・テキン、そしてブルハン・クルバニら、移民問題が深刻化する現代ドイツの社会情勢を劇化してみせた新世代の監督たちの感性を手がかりに、今日の多文化主義と排外主義の交差点に立つ個人のあり方が問いなおされます。終章にあたる第7章では、近年ドイツで公開されたドキュメンタリー映画『ペトラ・ケリー』から、戦後まもなく出版された書籍『原爆の子』にもとづく邦画まで、原爆投下の歴史をめぐる欧米・日本の映画的想像力の諸相が縦横無尽に論じられます。
上記内容は本書刊行時のものです。
