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ライフ・トークの社会空間
1990~2000年代の女性野宿者・在日朝鮮人・不安定労働者
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2022年3月15日
- 書店発売日
- 2022年3月25日
- 登録日
- 2022年3月2日
- 最終更新日
- 2022年3月15日
書評掲載情報
2023-09-05 |
日本都市社会学会年報
第41号 評者: 丸山里美 |
2023-08-01 |
大原社会問題研究所雑誌
778 評者: 山口恵子 |
2023-05-01 |
地域社会学年報
35号 評者: 内田龍史 |
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紹介
都市周辺に位置付けられたひとびとの人生の語り=ライフ・トークをとおして、ひとびとの「ライフ/生」の実践から社会空間がどのように生成されているのかに迫る
目次
序章
1 都市周辺層の「生きられた空間」
2 都市周辺層の社会空間
3 ライフ・トーク
第1章 寄せ場
1 山谷の歴史
2 山谷の変容
3 山谷の社会空間
第2章 女性野宿者
1 野宿とジェンダー
2 女性野宿者のライフ・トーク
第3章 在日朝鮮人
1 エスニシティの生活と労働
2 エスニック産業の形成―神戸市長田地域
3 エスニック・コミュニティの形成―東京都足立区
第4章 労働運動
1 ユニオン運動
2 組合員のライフ・トーク
終章
1 「ライフ/生」
2 「ライフ/生」と都市空間
おわりに
文献一覧
前書きなど
●本書「おわりに」より
筆者の「はじめの一歩」は、おそらく、1980年代後半に訪れた山谷の無料診療所だといえる。南千住駅から5分ほどのパチンコ店の角を曲がった路地の先にその無料診療所があった。学部4年生の6月から無料診療所のボランティアスタッフとして、大学院の博士後期課程を終えた1997年頃までおおよそ8年ほど山谷に通った。当時、筆者は山谷の日雇い労働者によく怒鳴られた。理由は、簡単だ。小さなノートにメモ書きをしていたからだ。
お前、何やってんだ!
馬鹿野郎!
小さなフィールド・ノートには、その日、出会った山谷の労働者のこと、会話を、仕草を、自分が何をしたかを必死に書いていた。怒鳴られた瞬間は、びっくりして何があったのか、どうして怒鳴られるのかがわからなかった。
その後、怒鳴られる回数は減った。理由は簡単だ。筆者がメモを書くボールペンやノートの代わりに夜回りのおにぎりを握っていたからだ。
診療所前の道路にパイプ椅子を並べたり、全国から送られてきたカンパ物資の仕分けをしたり、夜回りに一緒にでかけたりするなかで出会った多くの日雇い労働者や野宿者のなかで何人かのひとを見送った。診療所の待合室でいつもバカヤローと怒ってばかりいたひとも、病院に見舞いにいったときに、雀を米で集め、籠を被せて捕った子ども時代を語った末期癌だったひとも、生活保護を受給してパレス(簡易宿泊所)にいたひとも、雨の日に建設現場の足場から落ちて大けがをして手術する前夜、入院先の病室で故郷の「北の国から」の放映をみていたたまれなくて逃げ出してきたひとも、隅田川の桜橋公園のテントで手打ちうどんをふるまってくれたひとも、ドヤでクラシックのCDを100枚以上集めていたひとも、みんなもういない。
山谷の越年活動のとき、支援団体の炊き出しの長い列に並んでいた日雇い労働者の一人ひとりに割りばしを渡しながら炊き出しの人数を数えていたときに、アンケートに協力して、炊き出しのどんぶりを受け取った野宿者の「ライフ/生」に、そっと、列を離れていった野宿者の「ライフ/生」に、どのように接近していいのか、当時の筆者にはわからなかった。筆者がもたもたしている間に、みんないなくなってしまった。本書を出すのが遅すぎたのだ。馬鹿野郎の意味を理解するのにだいぶ時間がかかってしまった。
その後、在日朝鮮人の集住地域での聞き取り調査のなかで、やはり、筆者は怒鳴られた。そのひとは、地域史について教えてくださいという依頼に協力してくれた在日1世の自営業者だった。
西新井に来たきっかけは?
ヘップサンダルの仕事に就いたきっかけは?
それは、学校出てからすぐのことですか?
筆者の質問攻めにあい椅子を蹴飛ばして出ていった。
バカヤロー
そんなこと聞いて何になるんだ。
10分ほど外で煙草を吸って落ち着いて戻ってきて、聴き取りが再開された。あとからフィールド・ノートを読み返すと、そこには戦前に済州島から進学のため来日した後、親戚を頼って西新井に来た在日1世の口惜しさに気づかない鈍感な自分がいた。
その後も、筆者は、ライフ・ヒストリー研究におけるひとびとの「ライフ/生」をめぐる「ヒストリー(生活史)」を聴くことができなかった。また、「ライフ」の「語り」をめぐる対話的構築主義にも「ナラティブ(ストーリー)」にも違和感をもってきた。ひとびとの「ライフ/生」は、「史」というにはあまりにも断片的であり、個人的であり、実践的でもある。また、一方でそれが戦略的であるとも断定できない。ひとびとの「ライフ/生」を聴く行為には、語る側、聴く側の相互行為や「共同作業」として捉えきれるとも言い切れない何かがある。
それは、ひとびとの生活が硬直的なモノとして存在しないように、たとえ、ひとびとの日々の生活が不自由であっても、ひとびとの「ライフ/生」の実践が自由であるからだ。
本書では、1990年代から2000年代の山谷の野宿者、在日朝鮮人、そして労働市場の周辺化された労働者、移住労働者のライフ・トークをとりあげて、彼ら彼女らが、どのように働き、どのように生きているのか。彼ら彼女らの「ライフ/生」の実践から、「社会空間」がどのように〈生きられる空間〉として生成されているのかについて問うてきた。
本書をまとめる過程で、フィールド・ノートに登場するひとびとの「ライフ/生」も社会空間も大きく変化し、その輪郭もぼやけてみえた。しかし、筆者にとって、ごそごそと取り出したフィールド・ノートに刻み込まれた都市周辺層のひとびとの「ライフ/生」は、決して過去のものではなかった。
2019年末から始まる世界中でのCOVID-19の感染拡大のなかで、日本国内においても緊急事態宣言下、飲食業や中小零細事業所への緊急支援策が講じられた。マスメディアが報じる、年末の炊き出しや緊急支援、生活相談から垣間見る彼ら彼女らの貧困問題や生活困難の実態は、90年代に筆者が参加した年末の山谷の労働組合や支援団体の実施した越冬事業、炊き出し、相談活動と同じだった。そこに既視感があった。本書で取り上げた非正規労働者、女性サービス労働者、移住労働者など都市周辺層の置かれている状況はこの数十年何も変わっていない。正確には、ひとり親家族や子どもの貧困問題がそこに加わった。
【中略】
一方で、90年代との違いもある。2021年の年末の都内の公園の炊き出しや相談活動では、誰も怒ったりしない、淡々と、炊き出しの列に並び、そっと手渡されたお弁当をもって去っていく。
馬鹿野郎!と怒鳴るひとはそこにはいない。NPOのスタッフも労働組合も、今日を、そして明日をとりあえず生きるために公園に集まったひとびとに食事を手渡す。そして、弁当を手にしたひとびとも、助かりましたと感謝して去っていく。誰もが、なんとか生きなければならない。
今日、炊き出しをはじめとする一連の貧困支援の輪は、「公助」ではなく、「共助」「自助」しかないという諦念を社会全体に広げているのではないだろうか。構造化された不正義に対して怒りを発露し、自身の尊厳を取り戻す機会が、ひとびとから奪われているのではないだろうか。
もやもやと自問する筆者に対して、馬鹿野郎とガツンと怒鳴ってくれる日雇い労働者はもういない。筆者がそこに答えを見出すのが遅すぎたからだ。それでも、手探りで進んでいくしかない。かつて、筆者に対して、不平等な社会に対して、怒りをぶつけた彼の「ライフ/生」へ接近することばや道具を探さなければと思う。
90年代の都市周辺層の「ライフ/生」が、2000年代を経て、そして現在につながっているという「現実」に向き合うことは、多様な「ライフ/生」の実践に耳を傾け、ライフ・トークを書き続けることは、都市周辺層をめぐる排除や包摂、平等や不平等の社会構造について改めて目をむけ、批判的に検討する道を開くためだ。とりわけ、不平等の構造的問題は、そこで不利益をこうむっているひとたちが沈黙し、批判しなければ、決して解消されない。
本書をとおして、筆者に向かって馬鹿野郎と怒鳴ってくれたあの日雇い労働者への応答を探せればと思う。
上記内容は本書刊行時のものです。